2018年11月30日金曜日

侮れない塗り絵作品

 京成電鉄日暮里駅に展示されている塗り絵作品、10月13日に開催された「にっぽり電車まつり2018」のものだそうだ。幼児自身が彩る「スカイライナー」、直ぐにでも実現できそうなカラーリングもあり興味深かった。個性は好きなものを素直に表現する楽しみから育まれていく。暫し眺めてふと思ったこと「大丈夫、この子らの将来は明るい。」 
外国からの観光客も興味深々。
       
駅長賞

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2018年11月29日木曜日

小春日和

 小春日和は冬の季語。時期としては旧暦の10月、現代の11月頃のうららかな陽気を表すのだそうだ。それでいえば関東地方の先の土曜日は小春日和にふさわしい「うららかさ」だった。今回の作品は都電のビュースポット「大塚駅南口駅前広場」でのスナップ。小春日和の中、ギャラリーはそれぞれの休日を楽しんでいた。
都電と共存する街。(カメラ CANON EOS7D)
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2018年11月28日水曜日

古レールが支える上屋

 久しぶりに鶯谷駅を眺めてみると曲線を描く2つのプラットホームの屋根を支えている古レールに目に留まった。この古レール、屋根だけでなく梁が横断して碍子を介して架線を支えている役目も担っている。古レールが再利用されている駅は全国各地で見る事ができるが、鶯谷のような2つの対向式ホームを繋ぐ構造は都市部ならではのもの。古レールの調査をする人もいる程、駅構造には使われているレールは趣味的にも興味深い分野だ。
最近は錆による塗装剥がれが目立つ鶯谷駅。
(カメラ CANON EOS7D)

国鉄時代S58年の鶯谷、レールによる梁が良くわかった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクロームRH)

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2018年11月27日火曜日

軌道チェックカー

 サハE231-145号車床下に付けられた真新しい機器、良く見てみると「線路設備モニタリング装置」とある。これがJR東日本の7月3日付PR「線路設備モニタリング装置の本格導入について」による艤装された設備。ポイントは「営業車両」に測定装置が設置されていることで、従来のEast-iによる年数回の計測に比べ収集される軌道状況のデ-タは飛躍的に向上する。リリースによると東日本エリアで線路の歪みなどをチェックする軌道変位モニタリング装置は39台、レール周りの部材の不具合をチェックする軌道部材モニタリング装置は36台で2020年度末までに50線区へ導入という。どうやらレアな車両になりそうだ。
物々しいモニタリング装置が装備されたサハE231形

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2018年11月26日月曜日

赤・黄・緑

 いつもの景色と違う今年の都電沿線。学習院下停留所のある明治通りの銀杏は、枯れて見るに耐えない状況だった。銀杏がダメならバラ、と意気込んで向原~大塚駅前を歩いてみたがこちらも今ひとつ。その中でも見頃を迎えている花を絡めて暫し都電と山手線を待ってみる。するとやってきたのは「黄色い」電車、「この電車を見つけると幸せになれる」都市伝説のある8810号車。タイミングよく山手線も入線してくるアナウンスが流れる。そして両者が揃ったのが今回の作品。晩秋の日差し中での小さなドラマだった。
1両のみの黄色い8800形。
(カメラ CANON EOS7D)
          
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2018年11月25日日曜日

そこはアメ横

 今回の作品は日が暮れる頃の「上野の森さくらテラス」からの眺め。「白熱電球」のエリアの先にはアメヤ横丁商店街が連なっている。生活の薫りが伝わってくる光景には通勤電車がよく似合う。と思っていたら同じ場所にいたギャラリーのご婦人達が語っていた一言には驚かされた。「(ここから見える)上野東京ラインは大きなS字を描いている。」。えっ!?目の付け所が鋭い。これ宴での話のネタになりそうだ。
「師走近し」
(カメラ CANON EOS7D)
            

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2018年11月24日土曜日

プロジェクト「UENOYES」

昨日11月23日から公開が始まった京成電鉄 元博物館動物園駅。テレビで紹介されたため、今日は見学希望者が多く熱心なファンは開館50分前から整理券を求める列を成していたという。2015年3月2日の本ブログ「博物館動物園」(https://gazosousakunin.blogspot.com/2015/03/blog-post_2.html)と比べてみると20年強開かずだった扉が開けられた以外、建物は原形を留めていた。今回は、その中で印象に残ったスナップを纏めている。ちなみに公開は来年2月までの金、土、日に行われるそうだ。(カメラ RICOHGRデジタルⅡ)
重厚な建物は健在。
照明灯が復元されたのは2010年のこと。

謎の扉の模様。
エントランスの特大オブジェ。

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2018年11月23日金曜日

「いなほ」から始まった「ひたち」。

常磐線特急「ひたち」の誕生は昭和44年10月、羽越線特急「いなほ」の間合い運用の季節列車としてスタートした。 当時、羽越線は非電化だったことから「いなほ」はキハ80系が担当。そのため「ひたち」は全線電化区間をいくディーゼル特急という異例な列車となった。ユニークなのは運転時刻で下りは上野18:10発、平(現いわき)21:12着、上りは平6:45発、上野9:45着だったこと。今でいう朝夕のライナーのような時間帯は短距離利用客を考慮し、上野口特急では初の自由席を設定している。「いなほ」とのペアは翌45年の定期化、羽越線電化によって485系に置換えられる47年まで継続した。その後「いなほ」との関係は2013年(平成25年)に入り「フレッシュひたち」用E653系によって在来車を置き換えたことで再び縁が繫がっている。今回は民営化後の485系による両列車の在りし日の姿をアップしてみた。
運行開始当初は「冠」企業ご用達列車と揶揄された「ひたち」
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
「ひたち」と「いなほ」は交直区間を跨ぐことから縁が繫がっている。

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2018年11月22日木曜日

銀杏は残った。

 今年の秋は彩が乏しい。その背景には、大型台風の塩害の影響によって樹木の葉が赤茶けている事が大きい。紅葉とは言い難い今年の景色に落胆していた中で、近所の公園の銀杏は塩害をうけることなく見頃を迎えていた。よくぞ残った。その黄葉は清々しい朝の光の下、一際映えていた。
世代交代が進む武蔵野線、ここでは「山手」育ちの205系を配してみた。
(カメラ CANON EOS7D)
        
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2018年11月21日水曜日

控え車ヒ600

「控え車」は列車と機関車の間に連結されるバッファーの役目をもった事業用貨車。主な用途は鉄道連絡船への積み下ろし作業の控え車で鉄道車両を航路輸送する際、車重の重いディーゼル機関車が桟橋の可動橋に乗ることがないよう複数両連結されていた。その他、操車場構内入換えにも用いられ、今回のヒ600形は隅田川貨物駅で使用されていたもの。構造はシンプルで有蓋車の上部を撤去、手すり等は使用箇所が必要に応じてカスタマイズされていた。民営化後もJR北海道、四国、貨物に継承されたが、その多くが青函、宇高両連絡船向けで、連絡船廃止後は転用されることもなくひっそりと消えていった。


用途廃止後も残されていた隅田川駅のヒ600(カメラ CANON EOS7D)
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2018年11月20日火曜日

「ひたち」と共存する「ときわ」

常磐線特急「ときわ」の愛称は「常磐」を訓読したもので、その「常磐」は「常陸」と「磐城」の合成名。一方僚友の「ひたち」は「常陸」、なのでエリアでいえば「ときわ」の方が範囲が広い。ところが列車で言えば、両者の関係は逆転して上位列車に「ひたち」が命名されている。例えば準急時代、自由席中心の「ときわ」に対し「ひたち」は全車指定、優等列車時代後も急行は「ときわ」、特急は「ひたち」として愛称による棲み分けが昭和60年3月までなされていた。
 現在、この二つの愛称は同じ特急として速達タイプが「ひたち」、地域停車タイプが「ときわ」と役割に応じて棲み分けられている。これで両者の関係は上手く落ち着いたようだ。
451系急行「ときわ」はグリーン車2両込みの11両編成。特急「ひたち」並みの列車本数で常磐線を往来した。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム コダクロームKR)
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2018年11月19日月曜日

1991年の示唆

 手元にあるのは「とれいん」No.193号(1991年1月)。当時、友人から「模型をやらない人が(「とれいん」を)買うなんて珍しいね。」と冷やかされたが、購入目的は広田尚敬さんとリチャード シュタインハイマーさんの「日米トップ会談」にあった。その会談内容の示唆するところには感銘を受けたものだ。
 「はっきりした意図が写真の基礎」「技術だけでなく写真の背後にある撮影者の意識が大切」そして人間関係。「写真家だからこそ、楽しい人間関係が作れる。カメラはひとつの大切なキー」。
 いい写真は作者の人間性から生まれるもの、それはいつの時代にも通じることだ。そのために品性を高めるように心のゲージを広く持たなければ。
日米鉄道写真家「2トップ」
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2018年11月18日日曜日

線路下の「もも太郎」

「もも太郎」というそのユニークな出で立ちに似つかない愛称が付けられている道床掘削機は、バラストが敷かれた線路をレールや枕木を動かすことなく道床を掘削する機械。寝静まった夜間に活躍する縁の下の力持ちならぬ「道床下の力持ち」だ。機能に徹した無骨な姿は誇らしげにも見える。プロフェッショナルな保線の世界にも目を向けてみる価値はありそうだ。
「何だ?これ??」子供も興味津々。(カメラ RICOH GRデジタルⅡ) 
       

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2018年11月17日土曜日

気がつけばトップナンバー

 鉄道ファンの中では「1番信仰」というのがあるようでトップナンバーへの関心は強い。ところがその「1番信仰」も同僚に絶対的なエースがいると影が薄くなることもある。例えば、昭和47年梅小路蒸気機関車館開設の際、原則当時現存していた最若番機を保存すると言う方針のもとで、C57、C58、D51の三形式は「1号機」がセレクトされているがC62形は当初計画では方針とおり「1号機」が予定されていたが、最終的に「スワローエンゼル」2号機へ置き換わっている。今回の作品のEF58、EF66もトップナンバーの影は薄かった形式で、ファンの関心は前者ではロイヤルエンジン61号機、後者では試作機901号機に向いていた。現在もEF66 1号機は京都鉄道博物館入りはかなわなかったがJR貨物広島車両所の残されている。さて、再び脚光を浴びる日はくるだろうか。                             


荷物列車を牽引するEF581号機.没個性だったこともあって人気は低かった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)


EF66が本格的に運用に就いたのは「よんさんとう」から。
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2018年11月16日金曜日

刻み。

 メインロッド(主連接棒)に刻まれている車号は真岡鉄道C11325号機のもの。その刻まれたナンバーは同機の歴史と重なる。それを体感できるイベントが11月25日開催の真岡鉄道第9回SLフェスタ。有火状態でC11が展示されるということなので、じっくりと機関車と触れ合うには良い機会だ。
機械美。
           
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2018年11月15日木曜日

「はくたか」のルーツ。

 現在、特急「はくたか」というと東京~金沢間の北陸新幹線の主力列車。その前は上越新幹線接続特急として越後湯沢からほくほく線経由で金沢を結び、ほくほく線内では最高速度160km/h運転がなされていたのは記憶に新しい。この「はくたか」のルーツを遡ると昭和40年に大阪~青森・上野(信越線経由)を結んだ「白鳥」から系統分離された上野~金沢間の特急に至る。「はくたか」と命名された新設特急がファンの間で有名になったのは昭和44年に向日町運転所485系11連によって電車化されてからで、金沢で「雷鳥」と共通運用を組むことで毎日上野駅に関西系編成が乗り入れたこと。時には60Hz「赤スカート」も運用に入ることもあって注目された列車だった。今回の作品は昭和57年上越新幹線開業前の「はくたか」。まもなく羽を休める最後の「かがやき」を放っていた勇姿をアップしてみた。
絵入りマークが「ショッカー」に似てると揶揄された「はくたか」
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RHP
   
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2018年11月14日水曜日

Activeであれ。

 3436両、これは民営化時にJR各社に継承された103系電車の総数。2018年の現状は78両にまで減少、その内60両はJR西日本に所属している。今回の作品は2008年に乗車した奈良線の103系。前面窓下の「226」は車番でJR西日本独自の延命N改造車だったこともあってスナップしたものだ。その226号車、2018年期首の段階で「60分の1両」として在籍している事がわかったのは驚いた。よく残っていたなぁと思った反面、常に撮っておく姿勢の大事さを再認識したものだ。後悔先に立たず、まずは行動を起してみる事だ。
新形車に置換えが進む奈良線。ウグイス色の103系も先が見えてきた。
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2018年11月13日火曜日

赤色反射板

 赤色反射板は貨物列車や客車列車の最後部でみられる赤い円板。正式には後部標識という位置付けで、目的は従来の赤色灯と同じく後続車両に自列車の存在を示すこと。
 この反射板が誕生したのは、昭和60年3月ダイヤ改正で貨物列車から車掌車、緩急車の連結が原則廃止されたことによるもの。ただし、北海道東北など降雪地区を行く列車では被視認性確保の観点からバッテリー内蔵の可搬式ライトが取り付けられている。テールライト代わりの赤色反射板、今回の作品ではその効果を確かめるためストロボを焚いている。見た目は冴えないがその効果は確かなようだ。
反射板を付けた12系客車。見た目は?だが。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)


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2018年11月12日月曜日

特急機、健在。

 西日を受けるEF65 501号機、気がつけば現存するEF65形の中でPF形(1000、2000番台)でない唯一の存在になってしまった。製造は昭和40年で形態的には1次車に該当するこの機関車が未だ現役である理由は寝台特急牽引に充当された500番台のトップナンバーであること。経年による更新改造で原形からは崩れているが、ヘッドマークを装着すると往年の特急機の貫禄が蘇ってくる。今回は13年で終わった特急専用機時代のイメージを再現してみた。
長崎・佐世保行き「さくら」は列車番号「1」。東京発は16:30だった。
(カメラ EOS7D)
           
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2018年11月11日日曜日

働く車両大集合

 「働く車両大集合」は、11月10日に開催された第18回ふれあい鉄道フェスティバルのメインテーマ。例年と異なるのは東鉄工業の保守用車両の展示がメインだったこと。青空のもとオーストリアの線路工事用重機メーカー「 Plasser&Theurer」の車両が揃ったのは圧巻だった。子供向けのイベントして人気だったのがホッパ車による模擬実演。バラストに見立てたカラーボールが落ちる様子に興味津々。今回はそんなフェアの模様を纏めてみた。  (いずれも、カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
       
転車台回転実演にはEF65P「さくら」登場
作業車たち「マルチプルタイタンパー」
大きな空の下で。

作業車たち「バラストレギュレータ」


ホキ車の模擬実演は大人気。
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2018年11月10日土曜日

斜めラインを眺める。

 緑の斜めラインはJR東日本185系電車だけの「国鉄メイク」。その色の由来は「伊豆の木々」をイメージしたものと言われている。計画時のカラーリング案では青、オレンジもあったが最終的に緑に落ち着いた斜めラインの角度は485系等でお馴染みの60°が採用されているのは「国鉄電車」たる所以だろう。その185系、定期運用の東海道線「踊り子」系統は「あずさ」から捻出のE257系に置換えとそろそろ先行きが見えてきた。気になるのは、今後斜めラインの継承する車両はあるのかどうか。常磐線に戻ってきたE653系が国鉄特急色を纏ったのをみるとE257系への斜めラインも悪くないと思うのだが、さてどうなるか。「踊り子」転用改造のため秋田へ回送された車両の出場が楽しみだ。 
青空と伊豆の緑とのハーモニー
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)

 
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2018年11月9日金曜日

「相棒」の役目

真岡鉄道のリリースによると「SLもおか号」は1月まで運休するという。この決定に至ったトラブルは蒸機や客車ではなく、ディーゼル機DE10形に発生したもの。回送列車を牽引する機関車だから列車運行に支障はないはず、と思う人は多いが同社のリリースには「SL故障の際、救援列車の運行ができない」旨が記されている。これで真岡鉄道のDE10の本当の役目は救援機で「SLもおか号」の回送牽引は「兼務」であることが判る。DE10は蒸機列車の運行に欠かす事のできない「相棒」だったのだ。その相棒の復帰を待っての「SLもおか号」。そのとき蒸機は「2台」で迎えてくれるだろうか。
「SLもおか号」編成のi牽引はDE10にお任せ。
(カメラ CANON EOS7D)



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2018年11月8日木曜日

2011年、会津坂下。

 JRで最後までタブレット(通行証)による運転保安装置による運行がなされていたのがJR只見線の会津坂下~会津川口間。この両駅ではタブレット交換は2012年9月までなされていた。今回の作品はタブレット廃止の噂がささやかれた2011年11月に会津坂下駅で記録したもの。列車交換の僅かな時間でのスナップ。そこには特別でない日常の光景が写っていた。
緊張感、漂う。(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
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2018年11月7日水曜日

E353系分割編成の可能性

 一部メディアのリリースによると来年3月のダイヤ改正で中央東線特急「あずさ」「かいじ」系統のE353系による富士急行線への直通列車が誕生するという。新宿(東京)~大月は「かいじ」に併結、大月から分割して富士急行へ乗り入れる列車はオールドファンには懐かしい昭和61年まで運行されていた急行「かわぐち」の再来だろう。昔から中央東線の準急・急行では頻繁に行われていた2階立て(多層立て)列車、富士急とは「かわぐち」時代から自社でキハ58形を発注、電車化後も利用債を負担するなど縁は深いが、次なる展開はどうなるだろうか。大糸線、篠ノ井・信越線、JR東海管轄の飯田線、中央西線等への運行も期待したいところだ。
来春に本領発揮する9両+3両のE353系「あずさ」「かいじ」
(カメラ CANON EOS7D)


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2018年11月6日火曜日

狙うべきは旬

「鉄ちゃん気質」の特徴に「消えていく」被写体には熱中する反面、「旬」の被写体には醒め気味というのがある。古のSLブームしかり、近年のサヨナラフリーク&「葬式」鉄フィーバーはその典型だろう。その反面、全盛を極めている車両は「あたりまえ」な存在になっているせいか、コアなファンは別にしてあまり見向きされない傾向もある。例えばJR東海のN700系、国鉄時代の通勤、近郊形を統合したJR東日本の一般形E231、E233系等は今絶頂期にある。これらをテーマにした記録や創作するには今が絶好のタイミング。このチャンスを活かすか否かの答えは過去の経験にある。
全盛期ならではの記録。201系試作車のみで組成された1984年の「特別快速」。
(カメラ CANON NewF-1、フイルム フジクローム RDP)
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2018年11月5日月曜日

薄明光線

 薄明光線は雲に隠れている太陽から雲の切れ間を通して地上へ光が降り注ぐ気象現象。「天使の梯子」「光芒」「レンブラント光線」等の別名でも称される人気の現象だ。特に意識はしなくとも、一度遭遇すると思わず驚嘆の声を洩らしてしまう。今回の作品では薄明光線が降り注ぐ中、タイミングよく左方向から峠を下ってきた「タラコ」色の列車が彩を添えている。本命はこの後に峠を登ってくる「C62ニセコ」だったが、この一枚も満足度は高かった。誤算は撮影前のセッティングでこの撮影に使用するレンズをクルマから落としたこと。リスク覚悟でカメラに装着して撮ったことでも印象に残っている。MF時代の機材はタフだったのだ。
秋の稲穂峠
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
           
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2018年11月4日日曜日

あぁ、空回り。

 今回の作品は2002年11月3日に運行された「思い出のみちのく号」。昭和57年(1982年)東北新幹線盛岡開業によって廃止されて以来のイベント運行だった。編成は往時を彷彿させる583系12連となれば気合が入るもの。心地よい緊張感の中、早朝から好きなポイントで列車を待つことにした。ただひとつだけ誤算があった。それは天気で、前日曇りと予報されたのは朝方までで9:00を過ぎると次第に晴れてきたこと。これによってフラットと予想した光線は、陰影が強くなってしまった。ステッカーのヘッドマークといい、意気消沈。これが「平成14年」文化の日の思い出。
往時の「みちのく」は1、2M「はつかり」の補完列車として連絡船1,2便に接続した。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
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2018年11月3日土曜日

伝説になった瞬間。

 タブレットキャッチャーを起して「築」の区名札を外す作業は通常では行われない。だがこの日は別だった。1995年11月3日、小樽築港から苗穂への回送を前に区名札が外されたのは8年に及ぶ復活運行が終了した証しでもあった。C62運転終了後、小樽築港ヤードの跡地はショッピングモールやマンションが建設され景観が一変。かつての機関区の往時を偲ぶことはできなくなっている。
「築」は元小樽築港機関区の区名札。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2018年11月2日金曜日

厚岸

 牡蠣で有名な北海道  厚岸町を最後に訪れたのは2008年11月。以前は足元がおぼつかない1、2月で食事、買い物に「立ち寄った」程度だったが、その中で気になったのが厚岸大橋。厚岸湾と厚岸湖のとの境に架かっているこの橋から列車は見えるだろうかということ。その結果が今回の作品。あれから10年が経つ。長いようで短い時間だった。
ステンレスのキハ54は景色に埋没してしまった。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)
牡蠣尽くしの食事もまた良し(ホテル 五味)

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2018年11月1日木曜日

家路を急ぐ

 夜の帳が下りる頃、微かに踏切の音が鳴った。家路を急ぐ乗客が待つ始発駅に入線してきたのは「流星」号。各編成に愛称のある流鉄流山線の中で夜に因んだ愛称は「流星」のみ。そう思うとヘッドライトの輝きが流星かも・・・と戯れはここで終わり。秋の夜長の楽しみ方は他にもある。早く「おうちに帰ろう」。
ラッチのあるホームも貴重。(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
           
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