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2024年5月7日火曜日

関心事

時はGW真っ只中、公共交通も年末年始、お盆と並ぶ恰好の書き入れ時。この時期には多くの臨時列車が増発される中、ファンの関心事は「どの車両が使われるか」ということ。注目はJR東日本の元「踊り子」の185系電車。他は元「あずさ」「かいじ」のE257系、「いなほ」のE653系、西日本681、683系といったところだろうか。ところが利用客視点で見ると関心事は「モバイル対応」。特に「コンセント」の有無は重要でこれらの車両の車内設備では応えきれていないのが実情だ。設備の陳腐化は待ったなしだが。さてどうなるか。  
国鉄時代の583系も物議を醸し出した車両。
       

鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。

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2024年2月24日土曜日

気がつけばトップナンバー(4)

保管されているネガカラーフィルムを探ってみると意外な発見がある。気がつけば「気がつけばトップナンバー」というカテゴリーが出来る程、「1」に拘ったカットが出てきた。今回は583系のクハネ583-1。まさか高校の頃の作品を復旧できたのはデジタル技術のなせる技。さて次は何をリマスタリングしてみようか。  
夜行「ゆうづる」から昼行「はつかり」へ。
       


              
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2023年12月31日日曜日

諸行無常

地上19番線は昭和58(1983)年に撤去。後に新幹線ホームに命名されている。
今年最後のブログは埋もれていたネガから発掘した作品で昭和55(1980)年上野駅19番線に到着した583系 5014M ゆうづる12号。昼夜運行が使命であった583系はこの後車両基地で寝台から座席へ転換ののち、27M はつかり7号として青森へ戻るという運用が課せられていた。この当時東北・上越新幹線建設工事のため20番線は撤去、19番線と共に新幹線コンコースへの転用が見込まれており駅としては大きな転換期を迎えようとしていた。あれから43年、気がつけば上野から夜行列車は消え、地上ホームには閑古鳥が鳴こうとは・・・ああ無常。   
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2022年10月23日日曜日

No.2に徹した「みちのく」 

今回の常磐線特急「みちのく」は昼行特急「はつかり」1M、2Mを補完する列車として昭和47年急行「十和田」を格上げして誕生した。本州北海道連絡は連絡船中心にダイヤが組まれていたため、「みちのく」の列車番号11M、12Mは連絡船11、12便を介して道内では11D、12D「北海」とリンクしていた。昭和50年のデータによると上野駅14:48発の11M「みちのく」は16:00発1M「はつかり」より75分先んじたが、終着青森時点では27分差まで追いつかれているのは東北線内での停車駅の差にある。1Mが速達性から停車駅を絞ったのに対し「みちのく」は東北主要駅に停車していくことで北海道連絡へのバランスをとっていた。両者の関係はジョイントNo.1ではなくエースとNo.2だったと考えるとわかりやすい。
11M「みちのく」の送り込み回送。遅れを回避するため前日から滞泊中の編成が充当された。

その上下の「みちのく」が入れ代わりで上野駅に入線したのが13:45~14:48で上野駅が新幹線工事に入る前は20番線でみることができたのも懐かしい思い出だ。   





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2022年7月18日月曜日

夏祭り特急

旅先での出会いは良き思い出になるもの。今回の作品は、平成24(2012)年8月に秋田(矢島、湯沢)を訪れた際に秋田駅で遭遇した青森行「特急ねぶた祭り号」。秋田~青森間特急といえば「つがる」号だが、別名としたのは「青森ねぶた祭り」見物客向けということで、この列車を利用すれば青森には22:45まで滞在でき、秋田には1:16に戻ることができた。今年は8月2~6日、E751系電車によって運行されるが青森発が21:30に繰り上がる。新型コロナ再拡大が懸念される中、何事もなく3年ぶりの開催がなされることを願いたい。
「臨時」表示はファンには不人気

モデルさん達






       
鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。








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2021年8月31日火曜日

8月の朝

 かつて夜行列車が健在の頃、8月の「夏休み」の一日は「朝駆け」撮影に充てていた。始発電車で出発し5時台に通過する寝台特急を撮影、ラッシュアワー前には機材を片付け帰路に着く。鉄道写真の格言「早起きは三本の徳」を堪能した朝のコーヒーは美味かった。
            終着上野まであと30分、車内では下車の準備が始まっていることだろう。

 
鉄道撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係で成り立つもの。ファン同士よき人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。

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2021年3月10日水曜日

50.3 大トレード

昭和50年3月10日は山陽新幹線博多開業の日。前日までの山陽特急時代に代わり、対九州へは新幹線から接続する特急網が構成された。その主役でもある昼行用485系は新幹線開業前は大阪局の向日町運転所に407両(11両×37編成)配置されていたが、「有明」「にちりん」用に鹿児島へ154両(14編成)「にちりん」用に南福岡に66両(6編成)が転出、その代わりとして南福岡から向日町へ583系254両が転入、同区は対九州夜行特急&北陸特急の車両基地として様相が一変した。更に向日町から品川へは「はやぶさ」「富士」「出雲」置き換え用として24系24形全車が転属。後のブルトレブームはこの日から始まった。
581、583系は南福岡→向日町

          

481、485系は向日町→鹿児島、南福岡

24系24形は向日町→品川






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2021年1月21日木曜日

雪の便り

 今回の「ふるさと」は東北新幹線大宮暫定開業時から上野乗り入れまでの間に運行された上野~青森間の臨時特急。夜行で上京した寝台列車の折り返しということもあって「雪下ろし」をすることなく北へ帰っていく。東北から上京する長距離列車がなくなったことで、雪を纏った列車を上野駅で見れなくなって久しい。
鉄道少年が見送る
           
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2020年11月9日月曜日

やはり「雷鳥」

山科を行く「雷鳥」

北陸特急を代表する列車が「雷鳥」。国鉄時代は東の「とき」「ひばり」、西の「雷鳥」と最多本数を競ったもの。その名門列車もJRになって「サンダーバード」と改められ今日に至っている。「雷鳥」⇒かみなりとり⇒「サンダーバード」という変調には「ほんまでっか?」的な洒落心を感じるが、北陸新幹線の敦賀、更には大阪延伸の際の愛称はどうなるのだろう。東の「とき」に準じて「雷鳥」の再登場を期待したいがさてどうなるか。敦賀延伸の2年後が楽しみだ。


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2020年11月6日金曜日

往年の輝き


平成14(2002)年秋、8年ぶりに「ゆうづる」が帰ってきた。イベント性の高い臨時列車だったにもかかわらず列車名は「ゆうづる1号,2号」と季節列車扱いだった。今回の作品は闇夜の中から颯爽と現れ、そして消えていった一夜限りの青森行「ゆうづる1号」。その姿は往年の北海道連絡特急の誇りに満ちた貫禄の12両だった。
夜景に映える583系。
                          
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2020年9月28日月曜日

朝の「彗星」

 今回の作品は昭和59(1984)年2月のダイヤ改正で山陽~九州の運用が終了する直前の583系「彗星」。ダイヤ改正後に「彗星」は「なは」と共に客車化されることが決まっていたこともあって、最後の勇姿を記録すべく須磨まで足を伸ばしている。いつの時代も早朝の撮影は身が引き締まる思いだ。
九州内の昼行特急への車両送り込みを兼ねていた「彗星」
       

                              
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2020年8月14日金曜日

早起きは3本の得

今回の作品は昭和62(1987)年8月の寝台特急「ゆうづる」。当時、お盆休みの一日は早起きして青森から上って来る寝台特急を撮るのが定番コースでターゲットは2本のブルトレ24系と583系の1本。まだ気温の低い4時台の始発電車で出発、陽射しが強くなる7時前には切り上げるというカラダに優しい撮影だった。この年、特に注目したのは翌年3月から「北斗星」に転用されるブルトレ編成に連結されたA寝台個室「ツインDX」。この段階では寝台特急の概念を変える「真打」登場への露払いだった。  
24系ブルトレ編成、電源車に次ぐ2両目が「ツインDX」

「ゆうづる」の最後を飾った583系
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2020年7月31日金曜日

パンタ下の「二段ハネ」

元々三段の「蚕棚」式が標準だった国鉄のB寝台。それが「二段」に進化したのは昭和49年製造の24系25形からだが、その元祖は昭和42年に登場した昼夜兼用寝台電車583系で電動車モハネ580・582形のパンタグラフ設置部下は屋根が上げられないため二段になっていた。構造上の産物であるこの寝台スペースはヘッドクリアランスが十分確保されたB寝台として知られるようになり、ベテランユーザーともなると寝台券購入の際「パンタ下」寝台番号を指定したという逸話がある位「穴場スポット」だった。寝るだけしか居場所のなかった583系寝台でもこのようなトリビアがある車両は趣味的に惹かれるものだ。
ここが「パンタ下」寝台。寝台料金は上、中段扱いだった。

明り窓が一つが二段寝台の区画。
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2020年7月25日土曜日

「1」の称号

 現在、JRで使用される「ロ」「ハ」は、国鉄時代3等級制だった頃の名残。昭和44年の等級制の廃止によって「ロ」はグリーン車となり現在に至っているが近年「グリーン車」を越えるグレードのサービスが登場している。JR東日本の「グランクラス」「プレミアムグリーン」JR九州の「DXグリーン」が好例でこれを「グリーン車」の範疇で括るには無理がある気がしてならない。Luxuryなサービスに対しては民鉄も含めてファーストクラスたる「1」を与えてはどうか。「1」の称号は鉄道旅の質を高める切っ掛けになる。
ステッカーでも「1」は貫禄十分


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2019年9月22日日曜日

似たり寄ったり

 京都鉄道博物館で行われている581系、489系の人気投票。その得票数によって展示車クハネ581、クハ489のどちらかのカラーリングを国鉄色から変更するというもの。581系は「シュプール・リゾート色」、489系は「白山色」をラッピングで再現するというが現役時代決して好評ではなかった双方のカラーリング。それを知らない世代にはどのように映るだろうか。ちなみに中間発表では581系がリード、9月30日が〆切りになるそうだ。
「シュプール・リゾート色」が施されたのは平成4~9年の5年間。
「白山色」は平成元~14年まで。

           
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2019年8月12日月曜日

自由席と食堂車

国鉄特急初の自由席連結列車は新幹線「こだま」だそうだ。特急は「全車指定」、急行は「自由席中心」だった時代では異例の事だったが、東海道新幹線開業時から短区間利用者が多かった「こだま」では手作業での特急券の発券業務の煩雑さから導入したという。これ以降特急への自由席の導入が進められ、後に誕生した「L特急」では「自由席の設定」がコンセプトとなり「特別急行」は「大衆化」へ大きく舵を切っている。その影響を受けたのが「特別急行」の顔だった食堂車。営業時は自由席にあぶれた乗客の溜まり場となり「コーヒー一杯で粘る」と称された回転率の低さもあって採算面の悪化、更には営業休止を招いたのは皮肉だった。今回の作品は飛鳥山の展望タワーからみた青森行「はつかり」。食堂は営業中だった。
展望タワーが残っていたのは1993年まで。

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2019年8月7日水曜日

「カラクリ」電車

 世界でも他に類を見ない「座席寝台可変車両」国鉄583系電車。寝台と座席を比べてみると同じ車両とは思えない変貌ぶりは、いかにも「日本」らしい手の込んだ「カラクリ」のような構造によるもの。さらにそのセット、解体は全て人の手によってなされており、運用によっては走行中での寝台解体作業もあったという。昼夜運用に供されることを運命られた高度経済成長期を象徴する車両。現在もJR東日本に車籍を有する1両の安住の地はどこになるだろうか。
☆☆で区別された三段寝台
四人シートは賛否あったがシートピッチは485系より広かった。

秋田に保管されている最後の現役車クハネ583-17
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2019年6月29日土曜日

朝靄

 日本式の分類では霧と靄の違いは、肉眼で確認できる最大の距離が1km未満が霧、1km以上10km未満が靄という。その例でいえば今回の作品は「靄」がテーマ。朝靄のラストスパート、終着駅はもうすぐだ。 
「ゆうづる」上京。
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2019年6月27日木曜日

サントリーカーブ

「サントリーカーブ」は東海道本線 山崎~島本間にあるサントリー山崎蒸留所付近の曲線の俗称。古くから関西地区の有名撮影ポイントとして知られており、きれいな曲線を往来する列車に時間を忘れて見入ってしまうトレインビュースポットだ。ところが、1998年「サントリーカーブ」の背景にマンションが建設されたことによって景観が一変したのには驚かされた。今回は1984年と2002年の「なは」を並べたてみたが、その差は一目瞭然。2002年に訪れた際は一目見た瞬間「うーん、これは・・・」と唸るくらいショックは大きかった。これ以降、現地への足が遠のいたのは致し方ないことだった。
単独編成時代、晩年の「なは」。

583系時代。(再掲)
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2019年6月16日日曜日

色違いの「ひばり」

 東北新幹線開業前の仙台行き特急「ひばり」には昭和47~53年まで寝台電車583系による運用があった。早朝、上野着寝台特急の夜行運用までの間合いを利用し仙台を1往復するというもので、寝台から座席への転換整備作業を経て上野を10:00に発ち、仙台から19:00頃戻った後、今度は寝台への転換整備を受け同日の寝台特急として青森に向かうというものだった。昼夜運行を宿命付けられた583系ならではの運用ではあったが、7年余りの短命に終わった現役時代に比べ、JR後7回運行された「リバイバルひばり」では平成14、15、19年に583系「ひばり」が再現されているのは興味深いこと。今回の作品は平成14年のもので、小雨交じりの中での「ひばり」は逞しかった。
文字マークの再現は現役を彷彿させた。
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