2016年5月31日火曜日

みどりの路

  高戸橋付近から学習院下方向を望遠レンズで見てみると「みどりの路」が飛び込んできた。 ここが豊島区?といった驚きと共に都市部の鉄道の魅力がここにも・・・といったイメージで都電を狙ってみる。 その中で一番「収まりが良かった」のは長年この路を往来している古豪の電車7000型だった。 
「緑一色」。原版からのトリミングはしていない。
(カメラ CANON  EOS7D、レンズ NewFD300ミリF4L+FD-EFコンバーター)

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2016年5月30日月曜日

エール

 北海道から九州まで営業エリアになっているJR貨物。「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」で展示されていた仙台所属の「金太郎」EH500形電気機関車には遠く熊本に向けた応援メッセージが付けられていた。 「がまだせ!熊本」。 東北から九州を往来する機関車からの力強いエールだった。     

金太郎と熊本城、がまだせ!熊本
(カメラ CANON EOS7D、レンズ EF50ミリF1.2L)
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2016年5月29日日曜日

モニュメント

 昨年6月11日のブログで紹介した「日本初の振り子式気動車」、現在はその特徴ある前頭部のみが大宮車両センター内に残されている。人によって想いは異なるだろうが、私はこのようなカットモデルは好きになれない。 そんな中、今回「鉄道ふれあいフェア」のモニュメントとして、何かこれを活かせる構図はないのかを考えてみた。 横断幕を入れ、切断された車体を目立たなくするよう試行錯誤してみた結果が今回の一枚。 良く見ると、前面扉に付けられている「特急シンボルマーク」が所定の大きさに戻されている。 展示に際して、車両センター職員からの良き餞だったようだ。   

「ガスタービン車」の歴史は語り継がれるのだろうか。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年5月28日土曜日

ツーショット

2016年「鉄道のまち 大宮 鉄道ふれあいファア」の目玉は、D51形蒸気機関車の展示と東武特急スペーシアの試乗会。 その両雄が揃い踏みした瞬間、JRと東武日光線はライバル関係から共存関係になっていることを実感した。 栃木は、これから益々注目される地域になるだろう。


「スぺ-シアとデゴイチ」。次回「スペーシア」が出会う蒸気機関車は北海道からのC11。
(カメラ CANON EOS7D)

今年も登場、栃木のゆるキャラ「とちまるくん」。
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2016年5月27日金曜日

紫陽花が似合う登山電車

 このブログでも何度か登場している箱根登山鉄道登山線、来月中旬からは「あじさい電車」の季節となる。 都心から近い観光地として知られる箱根は「カメラ散歩」にも適しているが、登山電車の撮影は安全第一、紫陽花に気をとられ線路に寄り過ぎないことだ。あとは古豪から最新の「アレグラ」号までバラエティに富んだ登山電車と紫陽花をうまく絡めるかだけ。人真似ではなく、自分らしくまとめてみたいものだ。
前ボケを活かすことで「あじさい」ラインをイメージしてみた。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)
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2016年5月26日木曜日

五年前の新緑

 5年ぶりに新緑の只見線にC11が帰ってきた。 今週末に運行される「SL只見線新緑号」の試運転が火曜から始まっていることによるものだ。 四季を通じて魅力的な景色の只見線だが、紅葉と新緑の時期は特に見応えがある。 前回のSL春季運行は2011年5月、地元の人にとって東日本大震災後の風評で揺れていた時期だった。その目に5年ぶりに新緑の中を行く蒸機列車は、どのように映るだろうか。    
JR東日本「行くぜ 東北」のCMロケ地になった「只見川第一鉄橋」。
橋の前後がトンネルのため「煙を出さない」ことが基本。(カメラ CANON EOS7D)

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2016年5月25日水曜日

北の牙城の終焉

 東北新幹線開業前、上野と青森を結んだ東北特急の黄金期を支えたのは、「盛アオ」の略称で知られた盛岡鉄道管理局青森運転所。昼行の485系、夜行の24系、昼夜兼用583系など多数の特急車両を要する北の牙城だった。特に昼行485系は青森特急のみならず上野口から仙台、盛岡特急にも充当されたため出区して7日近くも所属区戻れないほど複雑な運用をこなしていた。
 新幹線開業後も新幹線連絡特急と寝台特急を担っていたが、寝台特急「あけぼの」廃止後は役目は青函連絡特急「白鳥」と「つがる」となり、北海道新幹線開業に伴なって車両配置がなくなったことで「盛アオ」は消滅した。 時代の流れとはいえ、品川、田町に続きかつての栄華を誇った車両基地がまたひとつ役目を終えたことになる。 今回は在りし日の盛アオ車の活躍をアップしてみた。 

昼行特急「はつかり」は青森行、北海道連絡と東北都市連絡の二つの役割があった。

583系寝台特急「ゆうづる」、昼行「はつかり」とペアで青森と上野を往復した。

いく通りか運転経路が変わった青森「あけぼの」、寝台車は青森区所属だった。





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2016年5月24日火曜日

薔薇色の明日

 都電8800形電車のローズレッドは、沿線の薔薇をイメージしたものだという。 なるほど、言われてみれば春秋の薔薇のシーズンでは一番しっくりくるカラーリングだ。 停留所でローズレッドとイエローの電車が並ぶシーンでは、沿線の薔薇の花壇を思わせるような華やかさがある。 特にイエローは都電では「今のところ」1両だけの存在であることから、この電車を見ると「幸せになれる」という都市伝説もあるとか。 薔薇色の路面電車は、沿線の人々に親しまれ共存していく時代になっているようだ。  

次、増備予定の新車8900形の色はイエローとか。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年5月23日月曜日

フクシマを行く真岡鉄道のC11。

 真岡鉄道のC11は、年に数回JR東日本に貸し出されてJR線を運行する事は良く知られている。今週末は新緑の只見線での運行が予定されているので、沿線は多くのギャラリーで賑わうだろう。このC11、数年前までは地域イベントの一環として東北各地の路線を走る姿を見ることができた。その中の一つが磐越東線。福島県「浜通り」のいわきと「中通り」の郡山を結ぶローカル線だ。沿線には三春、田村、小野町といった観光地や温泉もあるが、鉄道に並行する磐越道の開通後は道路に圧され活気がなくなっている。その磐越東線に「SL列車」が運行されたのは2004~6年の3年間、それ以降は中断されたままだ。 大震災からの復興途中の今こそ、福島支援の一環として磐越東線に「イベント列車」の汽笛を響かせて欲しいと願うのは私だけだろうか。 
現役時代は大型機D60が往来した磐越東線だがC11も似合う路線。
(カメラ CANON NewF-1、レンズ FD500ミリF4.5L、 フィルム フジクローム RVP)
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2016年5月22日日曜日

「だんらん」になった食堂車

 1985年に特急「雷鳥」に連結された和式グリーン車「だんらん」は、団体列車で好評だったお座敷車両を定期特急にも導入するという新らしい旅を提案した車両だった。 元は食堂車だった車両を改造したことから、厨房設備の一部を再利用し「ビュッフェ」形式の供食スペースも設けたが「雷鳥」全列車へは導入されず、一部の列車への連結に留められた。
 和式グリーン車としての実働期間は短く、民営化後1989年には運用から離脱、一部は「スーパー雷鳥」用「ラウンジ付グリーン車」へ再改造され2001年まで活躍したが、他は転用される事なく廃車となるという薄幸な車生になってしまったのは残念だ。
障子部が畳敷きスペースだった「だんらん」。外観に金帯が入った以外は「食堂車時代」を留めていた。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)

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2016年5月21日土曜日

九州のヘッドマークはお椀形。

今、鉄道ファンで話題になっているのが「ヘッドマークチャーム」の収集。エビスビールに付けられている景品だが、コンビニ毎に割り当てられているマークが異なることから完全収集にはコンビニ各店に行かねば手に入れられない代物だ。
 マニアックなマークもあることで往年の「ブルトレ少年」達を刺激したことは間違いないが、残念ながら「選に漏れた」モノもある。それは九州仕様のお椀形ヘッドマークで、他地区のマークが平形であるのに対し中心部に膨らみがある独特のものだ。 形状が特殊なので「実用」には向かないかもしれないが、悪ノリついでにヘッドマークチャーム第三弾は是非とも「お椀形」の登場を期待したい。
九州オリジナルのお椀形ヘッドマークを装着した「なは/あかつき」。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)


今回のレアマーク「紀伊」。 このデザインは客車のテールマークに使用されたのみ。
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2016年5月20日金曜日

消えた昌平橋ビル

 再開発が始まる秋葉原界隈、ラジオ会館、石丸、ヤマギワ・・・といった古くから「秋葉原」の目印になっていたお馴染みのビルもその中に含まれ景観も少しづつ変化がおきている。 その中でも驚いたのが東京都住宅供給公社昌平橋ビルの消滅で、聞くと耐震性に問題があり大規模地震では倒壊の恐れがあったとか。私がこのビルを最後に訪れたのは「特急あずさ」の世代交代が囁かれていた頃で、今回はその時の作品。騒然とした町だった秋葉原、どのように再開発されるのだろうか。 東京の街が見渡せる「展望ポイント」があると良いなぁ・・・が、ささやかな願いだ。

神田川を渡る「千葉行」あずさ号は1986年から運行されている。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

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2016年5月19日木曜日

新緑いろいろ。

 1999年から運行が始まった磐越西線「ばんえつ物語」。風光明媚な阿賀川沿いを行く蒸気機関車の存在は沿線にも定着しているようだ。 時には思いがけなく「SL、走っていたよ。」と地元の人が教えてくれることもあり、「え!そうなのですか!!」と返すとコミュニケーションの切っ掛けには事欠かない。特に桜の開花や訓練運転など特ダネ情報に繋がると、感謝の一言に尽きる。その情報をどう活かすかは自分次第。 面白さの第一歩は、与えられた環境を「楽しむ」ことからになるのだろう。 
「新緑」といっても樹によって色が違う。何の樹か教えてもらったが名前は忘れてしまった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)


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2016年5月18日水曜日

面白発見ができる「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」

5月のイベントとして定着している大宮での「鉄道ふれあいフェア」、今年も28日にさいたま市と共同で開催される。会場は車両センターのみならず、近隣の鐘塚公園や駅東口銀座通りでもイベントが行われるという。今年の車両展示の目玉はD51498号機と蓄電池駆動電車、そして注目は東武線との直通運転開始10周年を記念して「スペーシア」が試乗用に使用されるということ。JRの工場内を走る東武特急は人気を呼びそうだ。 

面白発見1:「ニューシャトル」との出会い。この車両も6月に引退する。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)

面白発見2:各種ク-ラーユニット置場、手前は253、255系用。
面白発見3:「構内は走ってはいけません。」を具体化して表示。

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2016年5月17日火曜日

小雨交じりの朝

 今朝からの雨模様を見ていて思い出したのが今回の一枚。新緑の頃、小雨の天竜峡で飯田線の新鋭119系電車を撮影したときのものだ。 今、見てみると新緑と調和がとれている電車の色合いも当時は従来のスカ色、湘南色と比べると派手に見え、伊那谷の景色には似合わないなぁと思ったもの。実はこの電車のスカイブルーは京浜東北線と同一で、都市部と自然界では同じ色でも存在感の違いを感じたのも懐かしい思い出でもある。今、飯田線にはJR東海所属のステンレス213系電車が往来している。さてこのステンレス車、伊那谷にどう溶け込んでいるのだろうか。 
新車ながら、廃車流用品や1M方式の採用などコストダウンが図られた119系。
 (カメラ CANON NewF-1、フィルム コダクロームKR)
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2016年5月16日月曜日

ちょっとしたヒラメキ。

 ふと立ち寄った百貨店からの景色は、思いがけなく視界が開けていた。 ガラス越しにフレーミングしてみると、この地域の特徴が見えてくる。左の高台には、関東富士見百景の一つにも入っている戸定邸で知られる戸定が丘歴史公園がある。ひょっとして、今の位置からも富士山は見えないだろうか。そう思うと空気の澄んだ季節に再訪してみたくなった。
 目立つ色の建物やロゴはなるべくカットしたい。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年5月15日日曜日

都電の5月は「Rose」ライン。

 今、都電沿線は春の薔薇が見頃を迎えている。特に「大塚バラ祭り」が開催されている大塚~向原間で多くのギャラリーがデジカメやスマホを片手に記念撮影をする光景は、この時期の恒例になっている。都電沿線をカメラ散歩していると、路面電車が走る街はクルマが頻繁に往来する街とは別の時間が流れているように思える。 少し疲れたなと思ったとき、長閑な時間が流れる街は良薬になるようだ。     
引くか迫るか、勢いあまって花壇には入らないことがマナー。
(カメラ EOS7D)

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2016年5月14日土曜日

「カシオペア・クルーズ」試運転

 今日は、6月から運行が開始される「カシオペア・クルーズ」の試運転、どこから情報を聞きつけたか土曜の朝にもかかわらず沿線にはカメラマンがチラホラしていた。 この「カシオペア・クルーズ」のルートは上越線、羽越線を経由することから、上越線内は補機EF64と本務機EF81の重連運行となる。そして今日の本務機は故障から回復した「ロイヤルエンジン」の81号機。試運転でトラブルがなければ再び「カシオペア」の先頭に立つことは間違いないだろう。陽の長くなるこれからの季節、いよいよ「カシオペア」第二章が始まる。


上野を8:00前に出発する「カシオペア・クルーズ」試運転列車。
(カメラ CANON EOS7D)

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2016年5月13日金曜日

お座敷気動車の元祖は北海道。

 NHK朝ドラ「あまちゃん」で有名になった「お座敷ディーゼルカー」、そのルーツを探ってみると第一号は北海道で1973年に改造によって誕生している。 当時のお座敷車両は客車のみだったが、北海道に導入するにあたっては、運用に小回りが利く気動車に白羽の矢が立った。とはいえ、ディーゼルエンジンを装備した畳敷き車両を誕生させるため課題となったのは振動で、その対策として改造タネ車には横型エンジンを装備した「急行用」車両が選ばれ、画期的な「お座敷車」が3両誕生することとなった。その後は1984年に2両増備、JR北海道になった後も一般用キハ40系や最高時速130km/h対応の特急用キハ183系を改造したお座敷車両も誕生する事となる。この当時のJR北海道は「次」を期待させる元気な印象もあったが、近年は後ろ向きな印象を受けるのは私だけだろうか。  
函館山線を行くお座敷気動車。改造時に問題となったのは「扇風機」だったとか。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)


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2016年5月12日木曜日

川を渡る鯉のぼり

 今回は、Facebookのカバーに使っている「鯉のぼりとSL」。 撮影場所は大井川鉄道の家山で春は桜並木が見事な場所だが、GW前になるといつの頃からか川を跨ぐ鯉のぼりが見られるようになった。 
 ところが鯉のぼり、風がたなびくか否かによって印象が変わるクセモノで、面白そうに泳ぐ姿は様になるが、ぶら下がっているときは情けない感じになってしまう。風向きが気になるのは蒸気機関車も同じで、こういう時は気ままな「風を読む」工夫が必要になる。 いくつか方法はあるが、私はひとなめした指の「皮膚感覚」を利用する。こういうローテクが役に立つ事もあるものだ。 
この時使用したフィルムはフジクローム ベルビア。 以後 このフィルムとの付き合いが続く事になる。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
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2016年5月11日水曜日

山から里へ

 五月になると冠雪は緩み、やがて姿を変え里を潤す。 この大きな自然のサイクルの恩恵でもある水は、米どころ、酒どころに大きく関わっている。ここ西会津町も米の産地。まもなく美しい飯豊山が水面に映る季節がやってくる。

色が統一された列車は新緑に映えた。
 (カメラ CANON EOS-1VHS、フィルム フジクロームRVP)



 
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2016年5月10日火曜日

510-510

 今日5月10日に相応しい機関車は、「カシオペア」「北斗星」の牽引にあたったEF510-510号機。「カシオペア」塗装とその番号のゴロの良さから、「カシオペア」最終運転日に充当されたのは記憶に新しいところ。
 6月に団体列車として再出発する「カシオペア」客車に対して、牽引機EF510形は全機JR東日本からJR貨物へ転籍、第二の「車」生を貨物列車に求めることとなった。 そういう中で特急牽引機の証でもある「寝台特急」塗装が、一部のロゴマークを外し維持されているのは嬉しい限り。 貨物色に再塗装されるまでは、「異色」の存在になりそうだ。    
カシオペア色の510号機、今後は日本海縦貫線で活躍する。
(カメラ CANON EOS7D)

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2016年5月9日月曜日

いとなみ

買い物へ行く人、行ってきた人
(カメラ CANON EOS7D)

  知らない町で「生活の薫り」を感じるのは、どんな瞬間だろうか。 そのテーマに対して全く見当もつかない時は、暫く観察してみることも大事なアプローチ。 カメラを持たずに広く周囲を見渡してみると、その街の生活の一端が見えてくるものだ。イメージが決まれば、あとはどう表現するかを考えるだけ。今回は、そんなアプローチで撮ってみた一枚。 
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2016年5月8日日曜日

最高速度95km/hの旅客列車に最適だったEF58。

 今日はGW最終日、5月8日に因んで旧型電機の雄、EF58形をとりあげてみたい。 趣味的にみるとこの機関車はC51形蒸気機関車と並んで形態の変化にバリエーションが豊富だったことから、50代前後のファンからは支持された機関車。特に「ロイヤルエンジン」として製造された60、61号機の存在は「ゴハチ」人気を決定的にし、自動車のナンバーが選べる時代になってからは「ロイヤルエンジン」ナンバーが有名撮影地では氾濫したというエピソードもあったとか。
 スマートな車体だが構造的には旧型電機そのもので、「旅客用」という用途から定格速度(最大出力を発揮できる速度)が68~87kmと高かったこともあり、最高速度95km/hの特急から荷物列車まで幅広く使用された。反面、牽引力が必要な貨物列車や総括制御ができないことから重連運用は不向きだった。 EF58は、JRの鉄道博物館全てに0系新幹線共々展示されていることでも知られており、鉄道史を語る上では欠かす事ができない車両となっている。

JR東日本新入社員向け企画列車を牽引するEF58重連。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDPⅡ )
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2016年5月7日土曜日

40年活躍した東武5700系

 1951、1953年に東武鉄道の特急用車両として新造された5700系電車は、1991年の引退まで優等列車を中心に運行された東武特急を語るには欠くことのできない名車。特に戦後からの復興の中、肘掛つきの転換クロスシート、放送室(後に売店)を備えた車内設備は、時代を先取りする東武特急らしさの先駆けとなったともいえる。特急としては後進の「DXロマンスカー」へその座を譲ったが、その後も急行や快速、団体列車に活躍、実働期間は40年に及びその引退に際しては「さよなら運転」がなされる程、東武ファンには親しまれた車両だった。 廃車後、東武博物館への保存展示に際して前面を二つ窓に復元、華やかな特急時代を再現してくれている。

重厚なスタイルが魅力だった5700系。
風を取り込める「昭和の特急」。
復元された猫ヒゲ。







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2016年5月6日金曜日

暖房車を不要としたEF56

日付に因んだ車両エピソードの5月6日版はEF56形電気機関車。 鉄道省時代の1937年(昭和12年)から製造された「旅客用」機関車で、メカ的には手堅い設計のEF53形をベースとしているが画期的だったのは列車暖房用の蒸気発生装置(SG)を初めて搭載したこと。これにより石炭を焚く暖房車を省略する事ができたことは、悲願ともいえる装備だった。
 スタイル的には車内にSG用ボイラー設置を接し設置した関係からパンタグラフが中央に寄せられている事が特徴で、出力増大をしたEF57形共々東海道本線、東北本線で使用された。大きな転機が訪れたのは1969年、1972年で先代のEF53形に引き続き5両がEF59形へ改造されたこと。この結果、EF56本体が1975年までに廃車となった後も山陽本線「瀬野八本松」用補機として1987年まで特徴ある姿を見ることができた。現在、EF5921号機となった元EF562がJR貨物で保管されているが、願わくば保存してもらいたい機関車である。
EF59時代、SGは撤去されたが外観は原形を留めていた。


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2016年5月5日木曜日

1750ミリのスポーク動輪を持つC55。

 京都鉄道博物館所蔵のC55形蒸気機関車は、大型機関車で1750ミリのスポーク動輪を使用した最後の形式として知られており、その美しいシルエットは往年の蒸機ファンを魅了し人気は高かった。
 基本設計はC51の後継として丙線規格の路線へ入線可能としたものだが、同じコンセプトで製造されたC54形機関車の失敗を踏まえた改善が図られている。 C55形を有名にした内容の一つに1936年製の2次車で採用された「流線形」構造がある。EF55形電気機関車、流電52形電車と並び流線型ブームの中製造されたのは21両、少量生産に終わった両車種とは異なり、四国を除く各地に配属されたことは特筆されるエピソードだ。 C55の全製造両数は62両に終わったが、更に改良を加えた後継のC57共々使い勝手が良かった事から重宝され、最後に火を落としたのは1975年だった。 
 現在、各地で復活している蒸気機関車には、「1750ミリのスポーク動輪」を持つ機関車がいないことからも、C55の動態復元には価値があると考えるのは私だけだろうか。
スポーク動輪を透した景色は、どう見えるのだろうか。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
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2016年5月4日水曜日

悲運の標準機 DD54。

交通科学館時代のDD54。鳩胸スタイルは西欧風。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
国鉄車両には有り難くない「54のジンクス」というのが存在し、なぜか「54」を命名された機関車は短命に終わっている。その中の最たるものが今回のDD54で、新製後の平均在籍年数が7年強、最短では5年に満たない車両もあった。この機関車は、海外の新技術を使いこなせなかったことによるトラブル多発の欠陥機関車と評されることが多いが、背景には「ライセンス契約」の縛りと日本流カスタマイズの「ボタンのかけ違い」が大きく、結果としてこの機関車以降、国鉄では「保守化」が進み、海外新技術の導入には慎重になっていく事となった。 そんな中、「模型」の世界では西欧風のスタイルが斬新だった事もあり登場時から人気が高く、奇跡的に京都鉄道博物館で保存されている33号機は寝台特急「出雲」牽引機。波乱の生涯の中で、輝きを放っていた頃を偲ばせてくれる。【スポンサーリンク】

2016年5月3日火曜日

麗しき半流型クモハ53。

流電亡き後、飯田線では白眉だった半流型クモハ53。
( カメラ CANON NewF-1、フィルム コダクロームKR)
 
今日は、5月3日ということで国鉄電車の「53」をとりあげてみたい。 写真のクモハ53008号は、京阪地区で「急行電車」を運転するために製造された「流電」クモハ52形の3次車にあたる車両で1937年(昭和12年)の製造。当時の車番はモハ43040で後に出力増強改造がなされクモハ53形と改称している。外観上の特徴は、車体構造は「流電」を踏襲していたが前面を流線型から同時期に誕生していたクモハ40、51の半流型とした事で、当時のファンからは「流電と一般車との折衷」という意味の「あいのこ流電」という愛称で親しまれてきた。
 後年、飯田線に集結した流電一族だったが、その最後を飾ったのもクモハ53008で1983年(昭和58年)飯田線旧型国電の「さよなら列車」の先頭に立ったことが最後の足跡となった。振り返れば1958年(昭和33年)に転入した飯田線が、終の棲家となるとは関西時代には想像できなかったこと。仮に、あと数年遅ければイベント用に旧型国電、旧型電機を復元したJR東海の「目玉商品」になったかもしれないと思うとあっけない幕切れだったことは残念でならない。
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2016年5月2日月曜日

52の因縁を乗り越えたキハ52

 5月2日にちなんで、今回は「いすみ鉄道 キハ52」をとりあげてみたい。この車両は、動態で現存する最後の国鉄キハ52であることは有名だが、なぜか他の「52」を付与された蒸気機関車(C52)、電気機関車(EF52)、電車(モハ52形)が6、7両のロットにとどまった中で、この気動車は前期型(0番台)、後期型(100番台)合わせて112両の大所帯となったことは特筆されること。
 いすみ鉄道に在籍する125号は後期型に属し、1966年に製造されたロットの一両。系列的には一般型気動車キハ20形の2基エンジン装備タイプで車体は従来車より1.3m長くなり21.3mになったことが特徴。2基エンジン付両運転台車であることから、国鉄時代は山岳線を中心に運行されていた。いすみ鉄道では片運転台キハ28とコンビを組んで土日を中心に運行されているが、少なからず痛みは進んでいることから乗車体験は早めの方がよさそうだ。   

いすみ鉄道入線前は、非電化区間のJR大糸線で活躍していた。 
現在はツートンカラーではなく「タラコ」と称される「首都圏色」になっている。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年5月1日日曜日

水田が映すもの

 GW前後から水が張られ早苗を植えたばかりの田圃は、被写体として魅力的だ。凪いだ瞬間の水鏡、水面を揺らす「はるかぜ」からは春の清々しさを感じさせてくれる。 そして、蛙の唱が聞こえてくると田圃は生態系の一部であるということも。
 そういう自然の中では「水鏡で、列車を、きれいに、撮りたい。」といった願望は、実は「小さいこと」だと気づかせてくれる。 ありのままをどう表現してみるか。水田に映る景色は、自分の心の中にあるようだ。 

曇り空を水田に映すことで、早苗を活かしてみた。
(カメラ CANON EOS7D)
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