2018年12月31日月曜日

振り返り

大晦日に際して今年を振り返ってみると「今年の漢字『災』」のとおりトラブルの多い一年だった。季節では春秋が短く冬と夏しかなかった印象が強く、特に夏の酷暑はフィールドに出ることを躊躇させるには十分でこの時期の作品は皆無に近かった。また各地の蒸機に故障が多発した事も足を遠のかせる一因になった。そんな平成30年をイメージしたのが今回の作品。カットオフしてスカスカになった煙は「消化不良」そのもの。さて来年はどのような一年になるだろうか。
C62の復活運転は平成の鉄道史に残る事業だった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
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2018年12月30日日曜日

気がつけば都営5300形。

 三社相互乗り入れしている京浜急行、都営浅草線、京成の各沿線の中で見かけることが多い都営5300形。1990年古豪5000形置き換えの為に誕生して以来、直通運転可能な車両としての運用は都営浅草線内に留まらず京浜急行の三崎口、新逗子、羽田空港国内線ターミナル、京成本線経由で成田空港そして北総線の印旛日本医大までに及んでいる。まさに沿線内で「気がつけば5300形」という存在感だったが、今後後継車5500形による置換えが一挙に進むことから沿線で「白い電車」を見れるのも「今だけ」になりそうだ。
2017年度予讃で全27編成の置換えが決まった都営5300形。
(カメラ CANON EOS-1N RS、レンズ EF600ミリF4L、フィルム フジクローム RDPⅡ) 
          

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2018年12月29日土曜日

習熟運転

 習熟運転は運転士が車両や路線に慣れるための運転で、列車種別で言えば「試運転」列車の範疇に含まれる。一例でいえば、蒸機列車がイベント運転として地方遠征する際に、本運転前の数日間所定ダイヤに従った試運転列車が運行されるのはこのためだ。その一方で既運転路線でも定期運転のない「機関車牽引の客車列車」に対する運転技能維持、向上のため運行される試運転列車もあり、ファンからは「ハンドル訓練」として親しまれている。今回の作品は’90年代初頭の上越線での「ハンドル訓練」で当時稼動状況が芳しくなかった旧形客車をD51が牽引するという情報から撮ったもの。思いがけない雪景色を行く蒸機列車は一足早いクリスマスプレゼントだった。
レアな試運転情報には運休のリスクがある。ネットがない時代、現地にツワモノがいると安心したものだ。
(カメラ CANON T90、フィルム コダクロームPKL) 
             
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2018年12月28日金曜日

塩田平を望む

上田盆地の塩田平(しおだだいら)には鎌倉から室町時代にかけての中世の文化財が多く残されていることから「信州の鎌倉」として知られている。今回はかつて年の瀬に別所温泉へ旅した際、小高い丘から塩田平を望んだ時のもの。扇状地を行く上田電鉄は往年の「丸窓電車」風にカラーリングされた元東急7200形。やはり「鎌倉」には濃紺とアイボリーの彩りがしっくりくるようだ。 
「忙中有閑」のプチ湯治。温泉とこの景色でどれだけ癒された事か。
(カメラ CANON EOSRT、フィルム フジクローム RDPⅢ) 
      
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2018年12月27日木曜日

きらり。

 列車の存在感を出すため、冬の射光を中ててみる。俗に言う「ギラリ写真」も時には良いものだ。だが「光らせ具合」には気をつけたい。太陽を「真芯」でジャストミートするより芯を外した方が「凄み」を抑えることが出来る。ギラリときらり、似て非なるもののようだ。
濃藍(カメラ CANON EOS7D)
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2018年12月26日水曜日

大開口ホームドア

 東京メトロ東西線の名物車両はワイドドア車。在来車より500mm拡大されたドア幅はラッシュ時の乗降緩和に大きく貢献している。このユニークな車両は現在05系で5編成、15000系では3編成が活躍しているが、それ以外にもドア位置が異なる車両を運行している東西線ではホームドアもどの車両にも対応できるよう2重引き式大開口ホームドアが採用されている。このホームドアの見所は戸袋からの開閉シーンで「延び縮み」する様はとてもユニーク。そして5系列7区分の車両が運行されている東西線もかなりマニアックな路線だ。
大開口ホームドアを実感できるのがワイドドア車

左端の07系は有楽町線用だったが、同線のホームドア設置にそぐわず転属してきたもの。
(カメラ CANON EOSRT、フィルム フジクローム RDPⅢ)
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2018年12月25日火曜日

まるちゃんが生まれた町

 今日最終巻が発売された「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこさんの出身地が清水と知ったのはJR清水駅にあった看板だった。その清水駅で興味深かったのが「江尻口」の存在。東海道五十三次の江尻宿に因んだ「江尻」は、明治22年開設時の駅名で昭和9年に「清水」に改称された後もその名が出口に残ったのは興味深い。縄文時代から続く歴史のある「まるちゃんが生まれた町」は懐が広いエリアだ。
「清水へようこそ。」まるちゃんとたまちゃんがお出迎え。

階段を撮るのは人がいないタイミングで。


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2018年12月24日月曜日

イルミネーション

 クリスマスイブの12月24日、巷で流行っているイルミネーションをみて思い出したのが磐越西線「SLクリスマストレイン」の電飾されたヒイラギ付のヘッドマーク。このヘッドマークが映えるSHOW TIMEが始まるのは日暮れ前からで、クリスマスらしい雰囲気を演出するには優れたアイデアだった。ところが12月第一週の運行になったここ数年は装飾が省略されている。新たな元号となる来年の運行では復活を期待したいもの。さてどうなるだろうか。 
蒸気に霞む(カメラ CANON EOS7D)


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2018年12月23日日曜日

昭和35年の同窓生

 平成最後の天皇誕生日では国鉄時代に製造された皇室用客車1号御料車と貴賓車クロ157形を取り上げてみたい。共に昭和35年製という同窓生で今も車籍を有する「現役」車両だが、現在その役割は後継のE655系「和」に譲っており長らく保管されたままとなっている。今回の作品は、1996年10月にJR両毛線に運行された1号編成と再掲となるが1984年2月に伊豆方面へ運行された183系+クロ157編成によるお召し列車。今上天皇は特別扱いを嫌うともいわれているが、次の天皇のご意向は如何なものだろうか。来年以降が楽しみだ。
9年ぶりの1号編成の運転には多くファンが出迎えた。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

  
クロ157の牽引は157系の他183、185系も担当した。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクロ-ム RDP)

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2018年12月22日土曜日

鏡遊び。

 今回の作品は東京メトロ東西線 大手町駅の後方確認用カーブミラーを使ったスナップ。真横を通過する電車とミラーに映る電車とのタイムラグが面白く撮ってみたもの。カメラはコンデジだったので一枚切り。その適度な緊張感を楽しんでみる。カメラ散歩ではこういう遊び心も良いものだ。
5系列の車両が行き交う東西線。これは15000系。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
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2018年12月21日金曜日

横須賀・総武快速線から消える「ボックス」席

 JR東日本のPRによると横須賀・総武快速線で使用中のE217系の後継車として2020年度以降導入されるのが、山手線で使用されているE235系列になるという。ストロングポイントはメカ部分に多い中で、賛否あるのが普通車がロングシートとなっている客室レイアウトだろう。古くから東海道線と共に沿線の「グリーン定期族」と称されるセレブ層向けにはグリーン車、普通車にもボックス席を備えたセミクロス車が基本だった国鉄時代に比べると近郊仕様(セミクロス)から通勤仕様(ロングシート)への変貌は隔世の感がある。
今回の作品は1999年12月まで活躍した最晩年の「セミクロス」113系。転用改造のため二階建てグリーン車が外されたオリジナル編成で有終の美を飾っていた。
着席数で優位性があるのはセミクロス。ロングシートは乗車数にメリットがある。
(カメラ CANON EOS-1N RS、レンズEF400ミリF5.6
L、フィルム フジクローム RVP)
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2018年12月20日木曜日

復活するC58

 秩父鉄道のPRによると「SLパレオエクスプレス」の運行再開と冬季特別運転がなされるという。「SL初詣号」となる元旦からの三が日には恒例の日章旗が掲げられる。以降年度内は3月3日まで土日に運行される。真岡鉄道に続きドラフト音が帰ってくるこのニュース。少し早いクリスマスプレゼントだ。
秩父路のC58は平成時代と共に足跡を残してきた。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDP)


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2018年12月19日水曜日

レンズフード

 今回のテーマはレンズフード。切っ掛けは撮影地でフードを見て「それ、なんですか?」という質問を受けたこと。現在使用しているフードはキヤノンのFDレンズ時代のゼラチンフィルターホルダー&フードで、フードは一枚単位で着脱できるもの。レンズフードはレンズ付属のパーツとしては必需品だが、メーカーによっては実用性、収納性に難のあるものも多く、更にはレンズごとに形状が異なる「専用性」も悩ましいものだった。そのネックを改善するため選んだのが上記のゼラチンフィルターのセットで72mmのフィルター径があればどのレンズにも装着できるメリットは大きく写真上の135mmレンズでは取説に従い6枚のフードを装着してあるが、50mmでは2枚、85mmは4枚と汎用性があったこともポイントだった。MF時代は「道具」を自分で使いやすいように工夫するのは珍しくなく、柔軟に他社のパーツにも目を光らせていた。現在でも中古カメラ市のパーツ売り場のチェックが欠かせないのもその名残だ。
取説にない応用を探るのも楽しみ。アダプター代用のステップアップリングもその一つ。
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2018年12月18日火曜日

師走模様

 年間を通じて人の賑わいの絶えないアメ横、今回の作品は「師走模様」を意識して先月に撮影している。平成最後の年の瀬を前に行き交う人の心境は如何なものか。新元号となる来年は「今年の漢字」の「災」ではなく「福」となることを願いたいものだ。
庶民の街(カメラ CANON EOS7D)

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2018年12月17日月曜日

結果オーライ

 今回の作品は御茶ノ水を通過する東京16:15発の「かいじ115号」となるE257系。新形車両を期待したがやってきたのは在来車。「あれ?」と思って時刻表で確認したら、今では珍しくなったE257系の「かいじ」運用だった。来年3月からは新形に統一される中央線特急、平成最後の師走の記録としてはこれで良かったようだ。結果オーライ。
メトロ丸ノ内線が来ればベストだったが、そうそう上手くはいかないもの。
(カメラ CANON EOS7D)

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2018年12月16日日曜日

白い「かもめ」

 今回の作品は2000年に登場したJR九州885系「かもめ」。ドイツのICE3を思わせるデザインは「赤い」九州に新風を吹き込んだ。誕生当時は「かもめ」用の一次車は黄色帯、「ソニック」用の二次車は青帯と区別された。ところが運用に際しては両編成は混用されたこともあって黄色い「ソニック」、青い「かもめ」も珍しくはなく、現在は青帯に統一されたが当時は「正規の色」でない編成が来ると大いに失望したものだ。メカ的には空気式制御付自然振子台車、VVVFインバータ制御等当時のトレンドを導入、革張り座席を採用するなど意欲的な車両だったこともあって2001年の鉄道友の会「ブルーリボン賞」を受賞している。本系列以後、JR九州が新製する特急車両は新幹線中心となり「ななつ星」を除くと在来線の特急車は新製されていない。これらの後継車が気になるところだ。
スタイルの良さは白眉のJR九州885系
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)
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2018年12月15日土曜日

変わり行く御茶ノ水駅。

バリアフリー整備工事が進行中のJR御茶ノ水駅。現在のホーム上に人口地盤を設置する大規模工事のため、お堀に仮設桟橋が設けられている中で大きく変貌するのが聖橋口。人工地盤内に移設されるコンコースに合わせて聖橋口駅舎も人工地盤上に移設、入口は現在の茗渓通り側から聖橋側に変わる。モダニズム建築の御茶ノ水橋口駅舎に比べ、地味な印象のある聖橋口駅舎も人工地盤工事の進捗と共に取り込まれていくことになる。そんな思いを込めて「聖橋口の今」を記録してみた。
現在の聖橋口駅舎。
         

姿が見えてきた人工地盤、因みに工事完成の暁には仮設桟橋は撤去される。


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2018年12月14日金曜日

運行決定、SLもおか号。

 SLもおか号が帰ってくる。真岡鉄道のPRによると故障したDE10形の修繕のメドが経ったことで、来年1月5日から運行再開されるという。奇しくもこの時期は「新年号」の運転とも重なる。長らく禁煙を強いられたファンにとっては嬉しいお年玉になりそうだ。
平成31年の撮り始めは真岡へどうぞ。
(カメラ CANON EOS7D)
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2018年12月13日木曜日

二つのアクセント

 ロケハンしていると雪中で耐えているかのような柿の木が目に留まった。モノトーンの景色の中、存在感を示していた柿は良きアクセントになる。これをメインに構図をつくったのが今回の作品。更にそこに列車のヘッドライトを取り込むことで静寂の中に動きを加えている。この場面でのキハ110系はバイプレーヤー、落ち着いたカラーリングで巧く主役を引き立たせてくれた。
めぐりあい。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
        
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2018年12月12日水曜日

南稚内は初代稚内駅

 JR宗谷本線の南稚内駅は昭和14年までは「稚内」駅だった。今の稚内駅は「稚内港」として稚泊(ちはく)連絡船の発着がなされており現在も残る北防波堤ドームはその名残。今回の作品は、2004年稚内空港からの連絡バスでJRへ乗り換えのために南稚内駅に立ち寄ったときのもの。タイミングよく同駅を出る札幌行特急「サロベツ」の発車に間に合ったこともあって行き掛けの駄賃で撮ったことも良い思い出だ。昭和の面影が残る駅舎は昭和28年に建てられたもの。かつては元 天北線との乗換駅でもあったことから、町の賑わいは南稚内側にある印象。機会があれば舌鼓を打ちに再訪したい町のひとつだ。
待合室のストーブは必需品
(カメラ FUJI ティアラⅡ、フィルム フジクローム RDPⅢ)
南稚内駅全景
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2018年12月11日火曜日

消えた冬のシルエット

 有楽町の12月は銀杏が美しい。ところが先週土曜久々に立ち寄った際、例年とは異なっていることに気がついた。ひとつは塩害の影響か銀杏が黄葉前に枯れてしまっていること、そして更に衝撃的だったのはホームドアの設置によって見通しが利かなくなったことだ。これで冬の射光に照らされた銀杏並木を背景にしたシルエットも過去帳入りしてしまった。冬らしさが表現できたポイントだっただけに惜しまれる。
流行の女性車掌だったら絵になったのに・・・と思っても後の祭り。
(カメラ CANON EOS7D)
          


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2018年12月10日月曜日

ラッセル車の行く末。

今回の作品は国鉄時代の代表的なラッセル式除雪用ディーゼル機関車のDE15形。DE10形をベースに二軸台車を装備したラッセルヘッドを前後に連結することで低規格路線への入線を可能とした実績は大きく、民営化時点では84両継承されたが今年度の期首では23両にまで減少、内訳はJR北海道13両、東日本2両、西日本8両で東日本車はロータリー式のDD14形とも合わせて年度内に廃車とも囁かれている。減少の背景には除雪用モーターカー等の台頭がある。DE15形の除雪では「排雪列車」としてのダイヤ設定、運転要員が必要だったが、モーターカーは保線機械扱いのため線路閉鎖をすれば保線要員で運転可能という簡便さから急速に置換えが進んでいるのは時代の流れかもしれない。その一方で北陸新幹線で北陸本線から継承された「あいの風とやま鉄道」には除雪用として2両のDE15が譲渡されている。今後、どのように活用されるか楽しみだ。
コアなファンがいるフル装備のDE15。
(カメラ CANON EOSRT、フィルム フジクローム RDPⅢ)
        
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2018年12月9日日曜日

いとおかし

夕日が緩やかに空を焦がしていく。東京の空も美しい。秋の夕暮れ、いとおかし。
明日は晴れ
(カメラ CANON EOS7D)

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2018年12月8日土曜日

この先は。

 霧の朝、対向列車を待つ列車は、まもなく霧のベールの中を進んでいく。さて上り、下りどちらへ行ってみようか。行先は霧が晴れた後の天気を読んで決める。こういう旅も面白い。
沿線の足でもあったキハ47も電気式気動車に置き換えられる予定だ。
(カメラ RICOH  GRデジタルⅡ)

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2018年12月7日金曜日

GATEWAY

 今、話題沸騰中の山手線の新駅名「高輪ゲートウエイ」。「GATEWAY」は「玄関口」の意味で使われているのは、2015年にPRされた「品川開発プロジェクト」の町造りのコンセプトが「グローバル ゲートウエイ 品川」とも関連しているようだ。
今回の作品は「日暮里・舎人ライナー」の日暮里駅。下町の繊維街も交通アクセスの充実によってイメージを変えた。今回の新しい「GATEWAY」は、どのような町を見せてくれるのだろうか。
夕暮れの街(RICOH GRデジタルⅡ)
             

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2018年12月6日木曜日

0系食堂車は99両

 昭和50年博多開業に合わせて導入された新幹線0系の食堂車36形は側廊下式の全室食堂車。在来線のように通り抜け客を気にすることなく、景色を眺めながら食事を楽しめたその多くは「大窓」時代に製造され、外観上変化のあった22次車以降では3両の製造に留まっている。
  今回の作品は国鉄「新幹線新春初旅フリーきっぷ」で京都を往復したときのスナップ。食事時間帯から外れていたこともあってお客さんも程々だったことから「速写」しているが、座席で飲食する今の「列車旅」と比べるとそこには「楽しさ」があった。決して99両の食堂車が往来した時代が良かったとは思わない。だが、いつから保安面を心配して旅するようになったのだろうか。変わったのは世相だけではなさそうだ。
彦根付近を行く「200km/hのレストラン」、だが何を食べたかの記憶がない。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)

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2018年12月5日水曜日

昭和のキロ、平成のキロ

 今回の作品は昭和、平成の特急形気動車のグリーン車、1972年製国鉄181系気動車キロ180形と1993年製JR北海道281系気動車キロ280形の並び。大きく変化しているのは外観や性能面は言うまでもないことだが、顕著な差が出ているのは定員で前者は横2+2列の48名、後者は横1+2列の26名、更にキロ280では客室スペース以外にオーディオ、公衆電話、喫煙コーナーといったサービス面の充実がなされていた。これらのサービスは2011年以降の座席リニューアルによって見直されたが、新たに座席毎にコンセントが設けられるなど時代に応じた改善がなされている。国鉄時代は輸送力重視、民営化後は付加価値重視とも言えそうだ。さて来年5月以降、新時代の「キロ」はどのようなサービスを提供してくれるだろうか。
四国特急に活躍したキロ180は車販準備室付の100番台。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
制御付自然振子機構台車を装備するキロ280、ステンレス車体だが重量はキロ180より重い。

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2018年12月4日火曜日

思いもよらなかったこと

 今回の作品は2003年12月に運行された「SLクリスマスin小樽」号の牽引にあたったC11207号機。「札幌駅にSL」を表現するための構図は、順当ならばヘッドマークの装着された前面側から狙いたいところだが、前面からデフレクターまで電飾が配されていたため、これを避けるため運転席側からの構図を創っている。今当時を振り返ると思いもよらなかったことが三つあった。ひとつは調子が悪いといわれていた207号機が東武鉄道で運行している事、次に207号機の所属会社の経営が芳しくない事、そしてこの日の夜、父が他界した事。
新幹線がこの駅に到達するとき、C11は維持されているだろうか。
(カメラ CANON EOSRT、フィルム フジクローム RVP100)

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2018年12月3日月曜日

今も残る24系700番台車。

 700番台は国鉄末期に登場したジョイフルトレインやブルートレインのグレードアップ車に付番された区分。前者は現在でもJR西日本「サロンカーなにわ」やJR東日本の「リゾートやまどり」や新幹線「とれいゆ」等に附番されているが、後者で残るのはJR東日本のオシ24 701号車のみ。車内は星空をイメージした改装がなされたが食堂車としての活躍は短く、晩年は「ロビーカー」的な意味合いで特急「出雲」に使用されていた。2006年の列車廃止後も保留車として車籍は残っているが、いつ解体になってもおかしくない状態となっているのは気になるところだ。 
現役時代の701号、改造は国鉄大宮工場が担当。残っているのはその縁か。
(カメラ FUJI ティアラⅡ、フィルム フジクローム RDPⅢ)


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2018年12月2日日曜日

速写のススメ

 今回の作品は金町栄通り商店街に繫がる踏切から撮った京成3600形。撮影は横断者の迷惑にならないよう「秒撮」したものだ。撮影後は速やかに立ち去るのがマナー。デジタル写真は「撮って半分、後処理半分」。撮影後の画像チェックは前半分だ。一喜一憂するのは後処理後で良い。
流行のスクエアサイズ&日の丸構図。4両編成の最後の砦となった京成金町線
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
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2018年12月1日土曜日

三段跳びした京葉線

 昭和63年の12月1日はJR京葉線第二期の開業日。新木場~南船橋、西船橋~市川塩浜、千葉みなと~蘇我の各区間が開業したことで、先に開業していた西船橋~千葉みなとと合わせて蘇我~新木場間が結ばれた日でもある。二年後の東京~新木場間の開業によって全通した京葉線だが、計画時の貨物線から旅客線として第一期開業したのが昭和61年。以後二年毎にステップアップしていったのは同時期に開業した埼京線とも重なる。その埼京線とはりんかい線を挟んで繫がった。コンセプトワード「進化する毎日。京葉線」のもと、次の時代にはどのようなステップアップがなされるだろうか。
第二期の主力車両は4+6両の103系。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
         
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2018年11月30日金曜日

侮れない塗り絵作品

 京成電鉄日暮里駅に展示されている塗り絵作品、10月13日に開催された「にっぽり電車まつり2018」のものだそうだ。幼児自身が彩る「スカイライナー」、直ぐにでも実現できそうなカラーリングもあり興味深かった。個性は好きなものを素直に表現する楽しみから育まれていく。暫し眺めてふと思ったこと「大丈夫、この子らの将来は明るい。」 
外国からの観光客も興味深々。
       
駅長賞

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2018年11月29日木曜日

小春日和

 小春日和は冬の季語。時期としては旧暦の10月、現代の11月頃のうららかな陽気を表すのだそうだ。それでいえば関東地方の先の土曜日は小春日和にふさわしい「うららかさ」だった。今回の作品は都電のビュースポット「大塚駅南口駅前広場」でのスナップ。小春日和の中、ギャラリーはそれぞれの休日を楽しんでいた。
都電と共存する街。(カメラ CANON EOS7D)
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2018年11月28日水曜日

古レールが支える上屋

 久しぶりに鶯谷駅を眺めてみると曲線を描く2つのプラットホームの屋根を支えている古レールに目に留まった。この古レール、屋根だけでなく梁が横断して碍子を介して架線を支えている役目も担っている。古レールが再利用されている駅は全国各地で見る事ができるが、鶯谷のような2つの対向式ホームを繋ぐ構造は都市部ならではのもの。古レールの調査をする人もいる程、駅構造には使われているレールは趣味的にも興味深い分野だ。
最近は錆による塗装剥がれが目立つ鶯谷駅。
(カメラ CANON EOS7D)

国鉄時代S58年の鶯谷、レールによる梁が良くわかった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクロームRH)

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2018年11月27日火曜日

軌道チェックカー

 サハE231-145号車床下に付けられた真新しい機器、良く見てみると「線路設備モニタリング装置」とある。これがJR東日本の7月3日付PR「線路設備モニタリング装置の本格導入について」による艤装された設備。ポイントは「営業車両」に測定装置が設置されていることで、従来のEast-iによる年数回の計測に比べ収集される軌道状況のデ-タは飛躍的に向上する。リリースによると東日本エリアで線路の歪みなどをチェックする軌道変位モニタリング装置は39台、レール周りの部材の不具合をチェックする軌道部材モニタリング装置は36台で2020年度末までに50線区へ導入という。どうやらレアな車両になりそうだ。
物々しいモニタリング装置が装備されたサハE231形

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2018年11月26日月曜日

赤・黄・緑

 いつもの景色と違う今年の都電沿線。学習院下停留所のある明治通りの銀杏は、枯れて見るに耐えない状況だった。銀杏がダメならバラ、と意気込んで向原~大塚駅前を歩いてみたがこちらも今ひとつ。その中でも見頃を迎えている花を絡めて暫し都電と山手線を待ってみる。するとやってきたのは「黄色い」電車、「この電車を見つけると幸せになれる」都市伝説のある8810号車。タイミングよく山手線も入線してくるアナウンスが流れる。そして両者が揃ったのが今回の作品。晩秋の日差し中での小さなドラマだった。
1両のみの黄色い8800形。
(カメラ CANON EOS7D)
          
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2018年11月25日日曜日

そこはアメ横

 今回の作品は日が暮れる頃の「上野の森さくらテラス」からの眺め。「白熱電球」のエリアの先にはアメヤ横丁商店街が連なっている。生活の薫りが伝わってくる光景には通勤電車がよく似合う。と思っていたら同じ場所にいたギャラリーのご婦人達が語っていた一言には驚かされた。「(ここから見える)上野東京ラインは大きなS字を描いている。」。えっ!?目の付け所が鋭い。これ宴での話のネタになりそうだ。
「師走近し」
(カメラ CANON EOS7D)
            

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2018年11月24日土曜日

プロジェクト「UENOYES」

昨日11月23日から公開が始まった京成電鉄 元博物館動物園駅。テレビで紹介されたため、今日は見学希望者が多く熱心なファンは開館50分前から整理券を求める列を成していたという。2015年3月2日の本ブログ「博物館動物園」(https://gazosousakunin.blogspot.com/2015/03/blog-post_2.html)と比べてみると20年強開かずだった扉が開けられた以外、建物は原形を留めていた。今回は、その中で印象に残ったスナップを纏めている。ちなみに公開は来年2月までの金、土、日に行われるそうだ。(カメラ RICOHGRデジタルⅡ)
重厚な建物は健在。
照明灯が復元されたのは2010年のこと。

謎の扉の模様。
エントランスの特大オブジェ。

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2018年11月23日金曜日

「いなほ」から始まった「ひたち」。

常磐線特急「ひたち」の誕生は昭和44年10月、羽越線特急「いなほ」の間合い運用の季節列車としてスタートした。 当時、羽越線は非電化だったことから「いなほ」はキハ80系が担当。そのため「ひたち」は全線電化区間をいくディーゼル特急という異例な列車となった。ユニークなのは運転時刻で下りは上野18:10発、平(現いわき)21:12着、上りは平6:45発、上野9:45着だったこと。今でいう朝夕のライナーのような時間帯は短距離利用客を考慮し、上野口特急では初の自由席を設定している。「いなほ」とのペアは翌45年の定期化、羽越線電化によって485系に置換えられる47年まで継続した。その後「いなほ」との関係は2013年(平成25年)に入り「フレッシュひたち」用E653系によって在来車を置き換えたことで再び縁が繫がっている。今回は民営化後の485系による両列車の在りし日の姿をアップしてみた。
運行開始当初は「冠」企業ご用達列車と揶揄された「ひたち」
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
「ひたち」と「いなほ」は交直区間を跨ぐことから縁が繫がっている。

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