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2023年11月3日金曜日

ひょんなことから。

  今回はデジタル処理の恩恵で救えたモノクロ写真のエピソード。平成元(1989)年12月、「鉄道友の会」エバーグリーン賞を受賞したC623号機による記念列車を撮影した際、モノクロフィルム(トライX)装填したメインカメラに絞りが作動しないというトラブルが発生した。結果、撮影したコマは超露出オーバーとなり救おうとしてもプリントもダメ、スキャナーへの取り込む事もできないお手上げ状態に陥っていた。ところが最近ひょんなことからスキャナーに取り込めたことでPCでのレタッチが行える環境になってきた。今回はその「取り込めた」データをレタッチしたもの。作品としての課題を差し引いても35年前のC62の勇姿がモニターに浮かび上がったときの気持ちは感無量だった。
1コマをスキャンするのに30分!モアレ対応がキモになる。
              
 

              
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鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。






2023年4月30日日曜日

この道はいつか来た道

’90年代初頭のGWは函館山線詣で、いやC623号機との邂逅に費やしたものだ。当時、復活蒸機運転に際して現役当時と同じ路線を走行したのは函館線のC62だけだったことから、重連で急行「ニセコ」を牽引した頃と重ね合わせたファンは少なからず居ただろう。函館山線は新幹線開業によって廃線となる。C62にとって現役時代、復活時代どちらが幸せだったのだろうか。この道はいつか来た道だが、二度と走らない道でもある。             
力感を表現する。
                           

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鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。

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2023年2月27日月曜日

今できること。

今日は62回目の誕生日、ということで選んだのはC623のイメージ写真。活きている証しをヘッドライトの光跡で表現している。禍福は糾える縄の如しのとおり、良いも悪いも繰り返しやってくるというが今の身体に関しては悪くなっていくスピードを抑えるだけしか出来ないジレンマがある。今できることは信じること。リハビリ、医師、友人、家族・・・あと自分自身。
発進準備良し!
                                    
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2022年6月23日木曜日

シロクニ・サン

令和4年6月23日は・・・日付の語呂合わせで「C623」の日。このブログでも幾度も紹介しているが、JR北海道発足後動態復元したC623号機が、函館山線 小樽~ニセコ間を運行した「C62ニセコ」号は今では伝説になっている程の大きな出来事だった。現役蒸機時代に縁がなかった世代としては、この復活運転に魅せられて何度、函館山線を訪れたろうか。フジクロームに記録されたこの時代の一瞬一瞬は今も色鮮やかに残されている。                              
ファンによるファンのための手作り撮影会
            







       
鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。


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2022年4月9日土曜日

ケムケム・エブリバディ 

 マイマイガという蛾は10年周期で大発生するという。それを実際、目の前にしたのは昭和63(1988)年7月 函館本線216.6キロ付近の撮影ポイントでのこと。そこには至るところにマイマイガの毛虫が蠢いていた。「この虫には毒毛があるから注意してください。」と先に位置取りしていた方からアドバイスをうけたが、列車が来るまでの数時間は毛虫が集ってこないかの「ぞわぞわ」感しかなく生きた心地がしなかった。後にも先にもマイマイガの大発生に遭遇したのはこの時のみ。この作品には「ぞわぞわ」感が憑りついている。   
C62はモクモク、足元にはケムケム





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2021年6月14日月曜日

自粛期間を活かす

昨年に続く緊急事態宣言下での外出自粛生活は、当り前だった生活のリズムを変えつつあることを実感する。創作活動でも撮影行がままならない中で今できることを考えてみると、この自粛期間を利用して過去の作品を振り返ってみる、あるいは他の作家や別ジャンルの作品に接して自らの充電期間に充てるのはどうだろう。そこからの「気づき」は次の作品に活かされるはずと思うと自粛明けが楽しみになりそうだ。                            
オタモィ峠を下るC62ニセコ号。遠方には塩谷の海も。





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2020年11月3日火曜日

3人目の機関士

 仕業を終えネグラの小樽築港へ戻ってきたC623号機は、夕刻に転車台のある苗穂へ回送、方転の後深夜に帰ってくる・・・3人目の機関士はその運行のための要員だった。だが25年前の11月3日の回送は小樽へ戻る事のない送り込み。これが8年間運行されたC62本当のさよなら運転となった。惜別の想いで見送るファンからのエールに汽笛で応えた3人目の機関士の姿は今も記憶に残っている。
白い軍手が殿のハンドルを扱う
         

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2020年10月16日金曜日

最後の日

 今回の作品のテーマは機関士。取材のライトに浮かぶその表情には無事に運行を終えた安堵感がうかがえた。平成7(1995)年11月3日、C62ニセコ号最終運転日のスナップ。
        池野さん(左)と山口さん。良い表情だった。

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2020年10月10日土曜日

今は昔

 函館山線にC62ニセコ号が健在のころ秋の運行は10月14日(鉄道の日)近くに設定されることが多かった。ちょうど紅葉の時期と重なる頃だったこともあって幾度か渡道している。今回の作品では有名ポイント「218キロポスト」で色ついている樹をアクセントに構図をまとめている。この時のエピソードは現地で知り合ったベテランカメラマンのM氏からジッツォ三脚のレクチャーを受けたことで、そのアドバイスで購入した雲台と三脚は今も現役。思い出が残る作品だ。

このポイントへは徒歩で移動、当時は楽勝だったが2007年再訪した際はヘロヘロだった記憶がある。

                         



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2020年7月10日金曜日

納得いくまで

 撮影名所で悩ましいのは、手持ちの機材では満足いく構図が作れないことがわかったとき。今回のポイントもそうだった。ここでは煙が背景の羊蹄山を隠すことからシャッターを切る位置が重要だったが、手持ちのズームレンズ70ミリでの構図は収まりが悪かった。現像後この作品を見て購入したのが単焦点の85ミリレンズ。50ミリと135ミリの間をうめるレンズだった。デジタル時代の今ポピュラーになったズームレンズを選ばなかったのは常用していたフィルム感度がISO32だったこと。その条件下では開放値の暗いレンズは使い難かった。
名所「北四踏切」を行く
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2020年5月7日木曜日

動感を求める

 蒸気機関車の動感をどう表現するか。今回の作品では、広角ズームレンズをズーミングしながら「流し撮り」している。文字で書くと簡単だが実際にはそれぞれの「加減」がキモだった。その成否は現像後までのお楽しみ。この間がフィルム写真の魅力のひとつ。
いざ勝負!ターゲットはC62.

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2020年5月5日火曜日

天の邪鬼

羊蹄山は蝦夷富士とも言われる円錐型の活火山。
函館本線の列車と羊蹄山をからめての定番撮影地は倶知安~小沢間の「北四踏切」。だが蒸機列車では、勢いよく吐き出す煙が山を隠してしまうリスクがあった。そのためここでは定番の北四踏切を避け、小沢側へ下がったポイントを選んでいる。結果は御覧のとおり、完全燃焼のC62は山を隠すことなく倶知安峠へ挑んで行った。
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2020年5月3日日曜日

春を告げるドラフト音

函館山線の檜舞台。これは本運転前の試運転列車
今回の作品は函館山線お約束の羊蹄山。山に雲がかかっていないのが理想的だが、列車と山のバランスが良い構図は「お立ち台」北四踏切から少しだけ離れたところにあった。C62のドラフト音が響いたGWを過ぎると、この地には遅い春が訪れる。
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2020年5月2日土曜日

叶わなかった願い

1989年GWを駆け抜けるC62
復活したC623号機は最高速度85km/hに抑えられたが、ファインダーを通じてのスピード感は高速列車を彷彿させた。東海道山陽という二大幹線に君臨したC62、願わくば線形の良い千歳・室蘭線で前年国内運行を行った「オリエントエクスプレス’88」を牽引する姿を見たかった。
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2020年5月1日金曜日

1994年5月1日

 今回の撮影地はC62復活に際して整備された私有地。カメラマンからは持ち主の名前にちなみ「金五郎山」として親しまれたポイント。1994年GWは若手カメラマン2名を交えた5人の特別セッションで、「金五郎山」には若手に煽られて駆け登ったのも懐かしい思い出だ。
 そしてもうひとつ、この日には忘れることができない出来事がある。それが「アイルトン・セナ死亡」。1994年5月1日、F1サンマリノGPでの事故から今日で26年が経つ。
「金五郎山」には通過5分前に駆け上がってきた。
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2020年2月21日金曜日

ビーム光線

 ビーム光線が登場するのは特撮ヒーローやアニメーションに限らない。30秒のバルブ撮影が創り出すSHOW TIME。
むせる。丑三つ時の築港詣で。
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2019年11月3日日曜日

結果オーライの失敗作

  C62復活運転に際しては運転区間沿線の各町に停車する方針が出され、仁木町にある仁木駅にも停車することになった。この時の狙いは駅発車後の力行シーンだったが、結果はこのとおり。発車時のドレインの噴出しにシャッターを切っていた。狙いとは異なる結果にはなったが満足度は高かった。それで結果オーライの失敗作。
蒸機列車の仁木駅停車は後のSLニセコ号にも引き継がれている。


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2019年9月30日月曜日

爆煙

 蒸機をどう撮ってみようかと迷っている時の選択肢の一つに「思いっきり煙を堪能」がある。それも「煙モクモク」程度ではなく「爆煙」。蒸気機関車らしい力感を表現するには効果的なので「熱烈なファン」もいるほどだ。だがその濫用は、他人の目からはどの機関車も煙だけの印象しかない作品に陥りやすいリスクがある。どうやら「心の健康」のためには「煙」は程ほどに楽しむのが良さそうだ。
作品の出来は、高揚感と冷静さのバランスによって決まる。

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2019年9月23日月曜日

ジェット機サウンド

 連続勾配が続く函館本線 銀山~小沢間の稲穂峠では雨は難敵。空転を防ぐため高度な運転技術で登っていくC62。その音は「ジェット機サウンド」そのものだった。
光る。


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2019年9月16日月曜日

トラップ

深々と降る雨を見て思い出したのが今回の作品。「C62ニセコ」号が健在だった頃、初めて撮影に来た仲間を最初に案内した場所は、函館本線215.3キロ付近のポイント。お好みのポジションで列車を待つ間の余裕は、シロクニ通過後は一転放心状態に。ここは「シロクニ感染症患者」になるトラップだった。
雨上がり
                                
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