2019年5月31日金曜日

130km/hのいぶし銀

今回は日付に因んでJR東日本唯一の一般型交直流電車E531系。2005年に競合する「つくばエクスプレス」対策として常磐線へ投入されてから、2年余りで先代の中距離電車415系、E501系を置換え、2007年からはグリーン車の連結が開始されている。最高速度130km/hは特急「ひたち」、「ときわ」と同等で常磐線の高速化に寄与している一方で、近年では2015年上野東京ラインでの品川乗り入れの他、交直流電車のメリットを活かして勢力範囲を水戸線、東北本線へと拡大している。派手さは無いがしっかりと役割をこなすE531系。先代から引き継いだ青いラインはまだ活躍の余地がありそうだ。 
Suica世代のグリーン車がチャームポイント。
            
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2019年5月30日木曜日

そこに居たもの。

今回は都電荒川線「大塚駅前」停留場付近でのスナップ。撮影は2010年6月で時期的には年初から導入したデジタル一眼レフにも慣れてきた頃の作品。10年一昔というが、振り返ってみると今も残っているのは「大塚駅前」停留場だけということに気がつく。山手線の6扉車、都電7000形、花壇の紫陽花、いずれも平成とともに去った。更には東京都交通局のマークも・・・。さて令和で初の6月、「東京さくらトラム」ではどのような発見があるだろうか。
東京あじさい電車


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2019年5月29日水曜日

No.2の価値

 今回の作品は、ほくほく線経由時代の681、683系特急「はくたか」。共通運用だった北越急行車とJR西日本車との混結を強調するため「北越急行」のエンブレムをアクセントにしている。北陸新幹線金沢延伸前、北越急行車(681系2000番台、683系8000番台)を中心とした「はくたか」は狭軌のほくほく線内で国内最速160km/h運転の実施により、標準軌での京成スカイライナーと並び国内No.2の高速列車として知られていた。そのNo.2の価値は「新幹線並みの高規格区間」であれば在来線でも160km/h運転が可能であることを実証したことにあり、その意義は大きかった。その北越急行車は「はくたか」が北陸新幹線に召し上げられた後、JR西日本へ譲渡され「No.2の誇り」を偲ばせつつ現在も「しらさぎ」等で活躍中だ。
混結が始まったのは681系が和倉温泉に乗り入れ後のこと。
左が北越急行、右がJR西日本車
          
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2019年5月28日火曜日

もう一両の「カシオペア」

 今回の作品は「カシオペア」の予備電源車カヤ27形。本編成の電源車カハフE26形が使用できないときのみ連結される車両で、2000年に24系客車のカニ24形を改造したもの。
 過去のブルートレインを振り返ってみると20系では旧形客車を改造した簡易電源車マヤ20、24系ではカニ22形を改造したカニ25形と先代のオールドカーが編入していた例がある。まさに歴史は繰り返すといったところだ。  
ステンレスのE26系と異なり 車体は鋼製のカヤ27。
         
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2019年5月27日月曜日

上で留めるか下で留めるか。

今も昔も「ヘッドマーク」は大人気。鉄道フェアでの展示機関車には「懐かしのブルートレイン」のヘッドマークが前面を飾り、多くの老若男女のギャラリーを集めている。ところで今回の作品の「はやぶさ(&あかつき)」と「カシオペア」ではマークの留め方が異なっていることにお気ずきだろうか。前者では上部、後者では下部に留めがねが設けられている。伝統的なのは九州特急で御馴染みの上部での固定方式で、下部での固定は寒冷地でのヘッドマーク交換作業のためとも言われているがさて真相は・・・。ただ今回の機関車を見ると貫通扉が備わったEF65PFでは「ヘッドマーク取り付け位置」が非貫通のEF81より上がっていることも一因かもしれない。そのような検証をしてみるのも楽しみのひとつだ。
「はやぶさ」から「出雲」へ。ヘッドマーク交換は大人気
上部で固定する「はやぶさ」「あかつき」。
ヘッドマークのおさまりが良いEF81



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2019年5月26日日曜日

鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア

 昨日は毎年恒例の鉄道のまち大宮「鉄道ふれあいフェア」の日。「令和」初の開催とあってサプライズとしてヘッドマーク「令和」が登場、真夏を思わせる暑さの中多くのギャラリーの注目を集めていた。今回は昨日の模様を纏めてみた。
検修庫から望む
            
御馴染みのエントランス。
新観光列車
令和と富士。
人気の金太郎、60分待ち。












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2019年5月25日土曜日

ひとつ進む。

5月8日の本ブログ(https://gazosousakunin.blogspot.com/2019/05/blog-post_8.html)で取り上げた東京メトロ日比谷線の駅ナンバー。今回は注目の「H06」霞ヶ関駅でのスナップ。変更対象となる霞ヶ関~北千住間の駅名を見てみると有名どころがズラリ。こちらの変更作業も大変そうだ。混乱を避けるために仮に「H06」霞ヶ関を「H06a」と改称したらどうだろうか。あるいは新駅虎ノ門ヒルズを「H05a」にしてみる手もある。利用者からすれば後者が納得できそうだ。  
H06の次はH07、その前は。
         
接続が多ければ変更箇所は多岐に渡る。
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2019年5月24日金曜日

悲願の延伸

東京メトロ千代田線 北綾瀬行の普通列車は長らく「綾瀬~北綾瀬」間を綾瀬駅0番線から専用の3両編成で運行されていたが、3月のダイヤ改正で10両編成による本線からの直通列車が誕生している。北綾瀬駅のホーム延伸がなされたことによるものだが、駅周辺の住民にとっては乗換えなしで都心まで直通できるメリットは大きい。構想では北綾瀬から野田市方面への延伸もあるという。令和の時代にブレークが期待できる路線になりそうだ。
JR車による小田急線直通「北綾瀬」行は新鮮。

北綾瀬の駅ナンバーは「C20」。21以降が楽しみだ。

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2019年5月23日木曜日

特急色の誇りと共に。

 碓氷峠鉄道文化むらに保存されているEF60 501号機は、20系客車牽引用EF58形を置き換えるため昭和38年に製造された。外観上の特徴は、後に「特急色」と称される塗分けがなされたことで、側面2本のクリーム色のラインは20系客車と合わせられている。
 更に機関車では500番台で区分された初のグループとなったが、性能面では20系客車との連結対応の他は一般機と同一で後年製造されたブレーキ系設備の追加がなされたEF65 500番台とは異なっていた。運用に際してはEF58に比べ高出力により20系客車の増結に対応したが定格速度の差は如何ともしがたく、昭和40年EF65 500番台にブルトレ牽引機の座を譲ることとなった。その後は貨物機に転用、外装も特急色から一般色へと変わったが国鉄末期の電気機関車館構想の中で機関車としての価値を認められ特急色へ復元。現在に至っている。
3次量産車にあたる501号機。この機関車は「P形」ではない。


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2019年5月22日水曜日

駅ではない駅

 昭和60年3月14日に廃止された国鉄小松島線の小松島港駅は、四国総局が独自に設定した駅。正式には国鉄本社設定の駅ではなく「仮乗降場」で小松島駅構内の一部だった。立地は駅名のとおり小松島港に隣接しており大阪・和歌山との南海フェリー、関西汽船との連絡がなされ、高徳線からの急行列車が乗り入れる発着駅としての役割もあった。今回の作品は廃止を前にした小松島港駅のスナップ。マスコミのインタビューを除けば、喧騒とは縁遠い日常の光景だった。
踏切の先はフェリー乗り場。
切符を拝見
小松島名物の「竹ちくわ」
小松島とは300mの距離


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2019年5月21日火曜日

しっとりと。

時ならぬ今朝からの雨で思い出したのが小岩菖蒲園。ここでの花菖蒲はしっとりとした小雨の日、園内の東屋から「ゆっくり」眺めたい。鬱陶しい天気でも不思議と「涼」を感じる瞬間があるものだ。更に鉄橋に電車を通すことで動と静が交錯する魅力も生れてくる。引き際は「時には雨も良い」と思ったとき。雨中での長居は無用、それが粋というもの。
電車は脇役だが京成3600形は確実に撮っておきたい。
             
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2019年5月20日月曜日

「繋ぎ」に徹した機関車。

5月20日に因んで碓氷峠鉄道文化むらに保存されているEF65 520号機を取り上げてみる。同機は昭和40年に高速貨物牽引用500番台として製造、外観の特徴に連結器周りの装備と正面窓のツララ切りがある。前者は後のEF66形誕生まで牽引定数600~1000tの高速貨物列車での重連運用のため、後者は豪雪線区上越線での運用に備えた装備だった。だが、いずれの線区でも実働期間は短かく、結果的には後継機への「繋ぎ」に徹した形になっている。保存されるにあたっては高速貨物輸送のパイオニア的存在としてJR貨物高崎機関区の尽力により「現役当時」の装備が再現されているのは嬉しい限りだ。

F型(Freight)に分類される520号機。

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2019年5月19日日曜日

若葉&新緑

 流鉄流山線の「若葉」号のカラーリングは黄緑色。青空の下、新緑と絡めてみると、ふと夏の気配がした。
「若葉」は三代目

         


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2019年5月18日土曜日

帰りはよいよい、行きは怖い。

 初めてのポイントへ行く際は地図頼みとなるが、その道すがらは現地に行って見なければわからないもの。今回のポイントへは遊歩道を徒歩で移動しているが、後に「あの道、自殺の名所だよ・・・」と聞くに及んでは肝を冷やしたものだった。ところが帰路、幹線道路に出てみると近くにバス停留所があるではないか。事前にわかっていれば・・・と悔やんでも後の祭り。こういう失敗は時が経てばもはや笑い話に変わるようだ。
臨時列車扱いだった「トワイライトエクスプレス」、民営化後「日本一の営業距離を走る」旅客列車だった。
(カメラ CANON EOSRT、フィルム フジクローム フォルティァSP)
         
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2019年5月17日金曜日

魅惑の三重連

「機関車牽引旅客列車」が人気だ。それは蒸機に留まらずディーゼル、電気機関車にも及んでいるという。「客車」自体がレアになっている時代では客車を牽引する「機関車」は問わないということだろうか。「DL〇〇号」「EL〇〇号」という臨時列車も珍しくなくなってきた。その中で「重連運転」は人気のある「イベント」だが、三重連以上となるとレアとなる。それで思い出されるのは廃線となった「碓氷線」での三重連。貨物が廃止となった民営化後の上り客車列車でのみ見られた光景。イベントではない平時の姿に魅かれるのは今も変わらない。「残しておきたい『令和』の鉄道風景」に機関車が力を合わせて運転する光景は残るだろうか。
団体列車、華やかな頃。
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2019年5月16日木曜日

短命だった秩父鉄道500系

今回の作品は秩父鉄道オリジナル車の500系。1963~67年にかけて18両新製されたロングシートの通勤形電車だが、特徴は急行用300系と共通設計の片開き2扉車だったこと。そのことが原因で、後に他社の「両開き4扉車」中古車に置き換えられ1992年に全廃されることになったのは地方私鉄としては珍しい短命さだった。これ以降、秩父鉄道の電車は他社からの譲渡車が中心になっていくこととなる。現在は元 都営地下鉄、西武、東急の車両が第二の車生をおくっている。
湘南タイプの前面は’60年代ならではのもの。

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2019年5月15日水曜日

大きい窓がいい

 初夏の景色を楽しむには大きな窓がいい。窓枠をキャンパスに見立て、そこに新緑を映して見るとそこは森林浴。マイナスイオンで癒されているかのようだ。今回は大きな窓からひらめいた遊び心を表現した作品。こういう戯れも列車の旅の楽しみ。
車両はJR北海道721系8次車。
(カメラ FUJI ティアラⅡ、フィルム フジクローム RDPⅢ )
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2019年5月14日火曜日

二大看板

 秩父鉄道の貨物列車は武甲山からの石灰石輸送が中心。その貨車は昭和30年代から使用されているヲキ、ヲキフ100形で最大20両の編成は圧巻。秩父鉄道では蒸機列車「パレオエクスプレス」と並んでの看板列車だ。被写体として狙うのは石灰石を積載した上り列車、親鼻~上長瀞 間の荒川橋梁は良き舞台となる。
重量貨物を牽引する電気機関車も魅力。

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2019年5月13日月曜日

あばたもえくぼ。

 今回の緑かかった表現は、デーライトタイプのリバーサルフィルムを人工光源下で使用したときのもの。「本来の」色を出すためには色補正フィルターで補正する必要があり、フィルム時代では悩ましいものだった。デジタルになってからはホワイトバランスを任意に選択することでクリアできるようになり「緑被り」は過去帳入りしつつあった。ところが近年「緑被り」がデジタルでの表現の一つとして注目されているという。フィルムとは異なる「緑一色」の世界。どういう作品が生れるか楽しみだ。
水銀灯下のC62をバルブ撮影。緑被りも良い味を出している。


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2019年5月12日日曜日

真間と呼ばないで!?

母の日に因んだ企画として注目されたのが京成電鉄の市川真間駅。期間限定で「市川ママ」と改称された駅名は、マスコミに取り上げられたこともあって一般客からも注目される駅となった。今回はそんな市川ママ駅のスナップを纏めてみた。
「ママ」駅への変更は今年が初。

電車の表示は「真間」のまま。
人気の「記念入場券」。

「お母さん ありがとう」

バス停も「ママ」に。


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2019年5月11日土曜日

斜光

 陽光が車体を照らすシーンは魅力的だ。それを活かした作品創りでは被写体を選ぶのも大事なポイント。今回の作品では国鉄時代に投入された781系を選んでみた。特急「すずらん」札幌行。朝陽の中、そのサイドビューは映えていた。
ヘッドライト4灯は、JR北海道の電車の特徴。
(カメラ CANON EOSRT、フィルム フジクローム RDPⅢ)

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2019年5月10日金曜日

国鉄グリーン車のこだわり。

今日は「グリーン車の日」。それに因んで国鉄時代の特急グリーン車のこだわりが伺えるエピソードを紹介したい。
 国鉄特急を代表する485系サロ481形では、客室と乗降口、隣車に繫がる貫通扉との間には開き戸が介在され外からの雑音を遮るレイアウトになっていた。更に床下には騒音源となる電動発電機(MG)、コンプレッサー(CP)を艤装しないこと合わせて当時の「1等車」のこだわりが伺えたものだ。その後、サービス電源確保という方針から昭和49年製の183系1000番台以降はグリーン車床下へも予備のMG,CPの艤装が行われたが、この時期からグリーン車や特急から「特別」感が失われ「大衆」化していたのは皮肉なことだった。
 令和時代のグリーン車にはやや時代遅れの感がある昭和仕様ではなく「こだわり」を期待したいところだ。
サロ481のレイアウトは後の国鉄特急のグリーン車の標準になった。
        

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2019年5月9日木曜日

おとぎの国のトロッコ。

2017年3月19日の本ブログhttps://gazosousakunin.blogspot.com/2017/03/blog-post_19.htmlでも取り上げたこともある小湊鉄道のトロッコ列車「里山トロッコ」。マニアからはSL風のディーゼル機関車がお気に召さない「里山トロッコ」も一般客からは大人気。更に今夏の納涼ビール列車が6/28、7、8、9月の金曜夜、五井~上総牛久間に運行予定。オープン客車での「走るビアガーデン」は楽しそうだ。
「SL」が前を向くのは養老渓谷行きのみ。
              
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2019年5月8日水曜日

大物ル-キーの波紋

近年、急速に普及している「駅ナンバリング」、その目的は「訪日外国人旅行者を含めた全てのお客にわかりやすく安心して利用していただくこと」とのことでその先駆者は2002年の日韓W杯に合わせて導入した横浜市営地下鉄、2004年の東京メトロと続き、今では駅名の代名詞として定着している。
 その駅ナンバーのありかたへ一石を投じたのが昨年12月5日の東京メトロのPR「日比谷線の新駅の名称を『虎ノ門ヒルズ駅』に決定しました。」。これによると新駅の駅ナンバーは霞ヶ関駅の「H06」を転用、これによって霞ヶ関~北千住 計16駅のナンバーが変更になるというもの。ナンバー変更の影響はどの程度のものか興味深い中、JR東日本の大物「高輪ゲートウエイ」駅には既に山手線(JY)では26、京浜東北線(JK)は21が空番で用意されている。路線が違うとはいえ同一駅に複数の駅ナンバーがある駅が「わかりやすく安心して利用できるか」を含め、駅ナンバーの運用面ではまた検討の余地はありそうだ。 
銀座線上野駅は「G16」、対して日比谷線上野駅は2020年「H17」から「H18」に変更となる。
         
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2019年5月7日火曜日

EF6310との再会

 この連休中、スライドファイルの整理をしていたら碓氷峠鉄道文化村に保存されているEF6310号機の現役時代の姿が出てきた。季節を問わず幾度か訪れた碓氷線は廃線となったが、文化村に保存されている7機の「ロクサン」は華やかな往時を偲ばせてくれる。今回の10号機も動態ではないが屋内保存のため状態は良好だ。今回は現役時代と現在の姿をアップしてみた。
現在の10号機、通電はレア。

48‰区間を下る現役時代の10号機。

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2019年5月6日月曜日

「まさか」のはやぶさ。

 平成時代の鉄道を振り返って「まさか・・・」という事例に本州~九州、北海道を結ぶブルートレインの廃止がある。最後の九州特急は「はやぶさ・富士」。民営化前は15両のフル編成で運行された名門列車も最晩年は6両編成に短縮、さらに熊本・大分行き2列車を併結した編成となった。今回の作品は九州での「はやぶさ」。ヘッドマークは凛々しかったが往年の輝きはそこにはみられなかった。そのブルトレ「はやぶさ」が消えたのが2009年、その二年後に「まさか・・・」の復活をしたときは驚いた。300km/hの新幹線として。そして「北斗星」を駆逐する結果になることを。
併結後、「はやぶさ」のヘッドマークは九州内だけで装着された。

E5系で復活した「はやぶさ」。

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2019年5月5日日曜日

ポスト「タラコ色」

いすみ鉄道のキハ52の色が変わる。前社長の鳥塚さんが呼びかけたクラウドファンディングによって、劣化がすすむ「タラコ色」(国鉄首都圏色)の塗り替えがまもなく始まる。ベテランファンの不評を買った「タラコ色」から国鉄一般色に戻すということだが、注目されるのが2020年春に検査切れとなるキハ52の去就。本線をいく国鉄キハの記録は早めにしておいたほうがよさそうだ。
タラコ色のキハ52も過去帳入りする。
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2019年5月4日土曜日

モチベーション(動機付け)

「人間が作り出した人間に近い機械」と称される蒸気機関車の魅力はメカニカルさにある。昭和に第一線を退いた蒸気機関車が平成に復活したときのインパクトは世代によって異なるが、現役を知らない世代からは「新車」に共通する驚きをもって迎えられているという。若い感性には拍手を惜しまないが、それ以上に円熟した感性にも驚かされることも珍しくない。既存の枠を越えて挑むのに年齢は関係ないようだ。いつするか、ただそれだけ。
30秒のバルブ撮影中、フォーカスリングを動かしてみた作品。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2019年5月3日金曜日

昭和のあさま、平成のあさま。

 信越線特急「あさま」が誕生したのは昭和41年10月1日、同年12月に中央東線で運行が開始された「あずさ」とは同期生だ。沿線に国際的観光地軽井沢を有する信越線特急は当初は旧こだまの流れをくむ181系8連でスタート、後に碓氷峠越えのEF63と協調運転可能な189系に置換えられ最長12連で運行されたのが「昭和時代のあさま」。その後、平成9年(1997年)北陸新幹線開業後の「平成のあさま」は新幹線としてE2系8連、そして現在では三クラス制のE7系12連へと変貌した。碓氷峠を越える列車は歴史を繰り返す。次なる「令和のあさま」への期待を込めて、今回は前二世代の「あさま」を纏めてみた。
181系時代のあさま、8連のうち2両がグリーン車だった。

189系12連では8基のパンタグラフを上げていた。

E7系+E2系、平成「あさま」の離合

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2019年5月2日木曜日

30分間の幻想。

 昭和52年のデータによると上野駅発東北線特急のトップバッターは6:30発盛岡行「やまびこ1号」。2000年(平成12年)の5/2に撮影した今回の急行「能登」の回送列車も上野駅を6:30頃に発っていた。朝陽の中を行く489系電車に全盛期の上野口特急が重なる。次は7:00発仙台行特急「ひばり1号」だ・・・来たのは「スーパーひたち」。30分間の幻想はそこで終わった。
「特急らしい」急行能登。2012年以降は運転されていない。
(カメラ CANON NewF-1,レンズ NewFD500ミリF4.5L、フィルム フジクローム RVP)



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2019年5月1日水曜日

令和が歩む道。

 令和元年5月1日、今日から始まる新しい時代にはどのような未来が待っているだろうか。できるなら緩やかに進んでもらいたいもの。今回はそのようなイメージで選んだ作品。
川の流れのように。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)


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