2019年6月30日日曜日

国鉄車が似合うJR只見線

三度、C11が運行されるだろうか。
 近年絶景の鉄道路線として注目されているJR只見線。2011年の水害からの復旧工事が進む会津川口~只見間では現在もバス代行が継続されているが、あらためて注目されるのは会津鉄道からの乗り入れ車を除く全列車が国鉄時代のキハ40系列で運行されていることだろう。名うての豪雪路線にとっては重量のある国鉄形気動車は頼もしい限り。後継車の噂もある中で、今暫くは活躍する姿を見る事ができそうだ。今回の作品は第三只見川橋梁を行くキハ40の普通列車とC11牽引の蒸機列車。いずれも2005年6月運行時のもの。この路線は自然の一部である事を実感できる風景だ。
キハ40+キハ40が基本編成(再掲)
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2019年6月29日土曜日

朝靄

 日本式の分類では霧と靄の違いは、肉眼で確認できる最大の距離が1km未満が霧、1km以上10km未満が靄という。その例でいえば今回の作品は「靄」がテーマ。朝靄のラストスパート、終着駅はもうすぐだ。 
「ゆうづる」上京。
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2019年6月28日金曜日

タイミングは一発勝負

「電車のすれ違いを撮る」は今も昔も難物。基本の構図、ピント、露出の他に双方のタイミング合わせが重要だが、そのタイミングを掴むのは機材頼みではなく自らの感覚が大事。今回の作品では京成電鉄3400形、3600形の並びを狙っているが設定は全てマニュアルで撮っている。結果は御覧のとおり。「二兎を追うものは一兎を得ずではない」が「どちらを主役にするか」で結果は異なってくるものだ。
京成3400と3600.
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2019年6月27日木曜日

サントリーカーブ

「サントリーカーブ」は東海道本線 山崎~島本間にあるサントリー山崎蒸留所付近の曲線の俗称。古くから関西地区の有名撮影ポイントとして知られており、きれいな曲線を往来する列車に時間を忘れて見入ってしまうトレインビュースポットだ。ところが、1998年「サントリーカーブ」の背景にマンションが建設されたことによって景観が一変したのには驚かされた。今回は1984年と2002年の「なは」を並べたてみたが、その差は一目瞭然。2002年に訪れた際は一目見た瞬間「うーん、これは・・・」と唸るくらいショックは大きかった。これ以降、現地への足が遠のいたのは致し方ないことだった。
単独編成時代、晩年の「なは」。

583系時代。(再掲)
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2019年6月26日水曜日

車両移動機アント

創刊700号となったRF誌を眺めて思わず目に留まったのは「アントとザグロ」の記事。これで2016年に幕張車両センターでスナップした移動機の正体が判明した。この移動機はアント工業株式会社のANT100シリーズの「ANT100D‐RT」というタイプで同社のHPによると100Dシリーズで最強とのこと。無線操縦システムと路上走行機構を備え、総重量約300tの電車編成10両を移動することができる「縁の下の力持ち」だ。因みに社名アントは製品名「ANT」が由来という。冒頭の記事によると、もうひとつの「ザグロ」はドイツ「ZAGRO社」のことで同社の移動機はJR貨物の大宮車両所内で稼動しているという。来年の公開日が楽しみだ。
アントは「蟻」という意味。
              
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2019年6月25日火曜日

朝陽の中を。

 夏至近くの時季になると魅力が増すのが早朝の列車。列車間隔が空く時間帯なので、一本一本が朝の陽射し中で異なった表情を見せてくれる。今回の作品は切り通し区間を抜けた先にある一瞬陽が射すポイントを狙ったもの。手応えはファインダー内でもある程度わかる。よしOK。次は本命の列車を待つだけだ。
朝陽に映えるオイルトレイン
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2019年6月24日月曜日

ブルトレ14号車

 JRの号車設定は原則として東京駅を基準に西側の先頭車を1号車としている。そのため今回の九州行ブルートレインの「14号車」は東京方の最後尾車ということになる。最もブルートレインの場合は「14両」といっても牽引する機関車や号車に含めない電源車を入れると編成自体は15、16両。15両の通勤電車が往来する東海道沿線では長さに対しての実感は薄いが、ブルートレインの末裔でもあるE26系「カシオペア」でも機関車を入れて13両にすぎない。今回はその長さがわかる作品をアップしてみた。

末期の九州ブルトレはJR九州の所属だった。
浜松町産業貿易センターからの眺め。
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2019年6月23日日曜日

薔薇のレリーフ

 今回の作品は、東京さくらトラムこと都電荒川線の「荒川遊園前停留所」にあるレリーフ。隣の荒川車庫前停留所との間は薔薇の名所として知られており、実に的を得たデザインだ。「役所」主導で決められた愛称からは伝わってこない沿線の姿がここにあるというのは言いすぎだろうか。
薔薇の名所へ。ひっそり、目立たずに。
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2019年6月22日土曜日

プレイバック「大垣夜行」

「大垣夜行」が夜行快速「ムーンライトながら」号に変わったのが平成8年、指定席設定により指定券発券システムに登録する際につけられた愛称で、口の悪い鉄道マニアからは「貧乏人のスラム街」とか言われているそうだが「青春18きっぷ」ユーザーにとって指定券を追加する事で「東京~大垣」を「座って」移動できるコスパの高い列車だ。
 というのは前身の「大垣夜行」では全車自由席だったため座席確保の「並び」が必要だったこと、更に繁忙期では通路にも人が溢れ、ボックスシートから身動きがとれないことも珍しくはなかったこと。その頃からすると「座席指定」は着席を保障されるありがたいサービスだが、懐かしがられるのはボックスシートの狭い座席で眠れぬ夜を過ごした「夜行(やぎょう)」の方。辛い事も時が経てば笑い話に変わるというが、今でも鮮明に記憶に残っているのは、朝到着した時の陽の眩しさ。これだけは体験しなければわからないことだ。
大垣からの「大垣夜行」、4:42東京駅到着。
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2019年6月21日金曜日

風そよぐ 

 初めて訪れる路線では可能な限り列車に乗って全線を下見することを心掛けている。そこで気になった駅やポイントに「あたり」をつけてみると思いがけない発見があるものだ。今回の由利高原鉄道 黒沢駅もそのひとつ。目に飛び込んできた瓦屋根の駅舎は2003年に改築されたものだという。ここでの「空白の時間」を楽しむには待合室がいい。耳を澄ませば喧騒の中でも微かに地元の音が聞こえてくる。彼の地には2012年に訪れて以降、久しく足を向けていないが、再訪してみたい路線のひとつだ。
黒沢駅全景、
国鉄時代の駅名は羽後黒沢。第三セクター転換時に変更された。


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2019年6月20日木曜日

小粋さ。

 東武特急「スペーシア」の座席カバーには「SPACIA」のロゴが入っている。「バブル期の電車」と揶揄されるグレードの高いアコモデーション中での「隠し味」的存在だ。「スペーシア」という愛称名を登録商標している東武鉄道らしい拘り。そこに「小粋さ」を感じるのは私だけだろうか。
ロゴはリニューアル後もの。

1990年製の東武フラッグシップトレイン。

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2019年6月19日水曜日

時間が止まっている駅

今回の作品は山形鉄道フラワー長井線 羽前成田駅。木造の駅舎は大正11年開業時からのもので登録有形文化財に登録されている。ユニークなのは待合室に掲示されている運賃表。普通運賃の他、特急、急行、寝台料金が記されているが明らかに現在の料金ではないのだ。さていつの時代のものだろうか。赤湯駅で接続する奥羽本線には山形新幹線開業までは福島・上野方面への特急、急行、寝台特急が運行されていたのでその頃のものとは推測できたが、決め手となったのは寝台料金。A寝台が上段9000円、下段10000円となったのは昭和57(1982)年4月~59年まで。この大正生まれの駅には昭和の時間が流れている。

手書きの運賃表。


手入れの行き届いた待合室。

駅全景。
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2019年6月18日火曜日

再び国鉄一般色に。いすみ鉄道、キハ52。

いすみ鉄道のキハ52が2011年当時の輝きを取り戻した。同車は前社長の鳥塚さんによるクラウドファンディングによって調達された修繕費用によって、国鉄一般色にお色直しののち15日にお披露目、16日から営業運転に入っている。このキハ52、来春には全般検査を控えており存続が危ぶまれているが、今はお色直しをしたキハ52を楽しみたいもの。撮るのも良し、乗るのも良し。本線を行く「キハ52+キハ28」を国内で見ることができるのは「いすみ鉄道」だけなのだから。
通常キハ52は上総中野方に連結される。単行ならではの構図。
         
「風そよぐ谷」国吉にて。



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2019年6月17日月曜日

さよなら「だるま」電車。

2017年6月10日の本ブログ『「京急らしさ」が残る京急800形」(https://gazosousakunin.blogspot.com/2017/06/800.html)で取り上げた京急800形の運行が6月16日の惜別イベント列車で終了した。1978(昭和53)年から2019(令和元)年まで稼動した本系列の引退で京急電車の歴史から「片開き扉」が消える。今後の「京急らしさ」は「赤い電車」残るだけになりそうだ。
18m車体に片開き、4ドア・・・今後、こういうコンセプトの車両は誕生するだろか。


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2019年6月16日日曜日

色違いの「ひばり」

 東北新幹線開業前の仙台行き特急「ひばり」には昭和47~53年まで寝台電車583系による運用があった。早朝、上野着寝台特急の夜行運用までの間合いを利用し仙台を1往復するというもので、寝台から座席への転換整備作業を経て上野を10:00に発ち、仙台から19:00頃戻った後、今度は寝台への転換整備を受け同日の寝台特急として青森に向かうというものだった。昼夜運行を宿命付けられた583系ならではの運用ではあったが、7年余りの短命に終わった現役時代に比べ、JR後7回運行された「リバイバルひばり」では平成14、15、19年に583系「ひばり」が再現されているのは興味深いこと。今回の作品は平成14年のもので、小雨交じりの中での「ひばり」は逞しかった。
文字マークの再現は現役を彷彿させた。
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2019年6月15日土曜日

昨今の撮影スタイル

 スマホやミラーレスカメラによって変わったのが撮影スタイル。今はカメラを「脇を締めてしっかり保持する。」から「片手撮り」等自由度が高いスタイルに変わっている。それによって思わぬトラブルも。今回の作品は先日の鉄道フェアでのスナップだが、片手を伸ばして構えているスマホの位置は立ち入り制限のロープをはみ出している。画面だけを見て構えていることによるものだが、これをやられるとロープに合わせて位置取りしている人はお手上げになる。更には撮った「その場」でのモニターチェック、スマホ画面でのトリミングなど「居座る」時間が増えたのも今の撮影スタイル。スナップでは素早く撮って撤退する「速写」が肝心だがデジタルになってからは「鈍写」になっているようだ。
空中移動は人気あるイベント・・・だがこれでは子供は楽しめない。

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2019年6月14日金曜日

お先に。

 遠方に見える2つのヘッドライト。駅に入線する流鉄「さくら」号と常磐線を上る貨物列車との暫しの競争。さてどこまで並走するだろうか。ふと思いついたタイトルが「お先に!」。時にはこういう遊び心も良いものだ。
残る色、消える色


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2019年6月13日木曜日

現代の「ゲタ電」

「ゲタ電」は戦前に国電(通勤電車)を例えた表現で「下駄履きでも気楽に乗れる電車」がその由来という。特急、急行等の優等列車からは格落ちながらも、当時から国電が庶民の足でもあったことが伺えるエピソードだ。ではエアコン、モバイル環境が整った今の通勤電車はどうだろう。庶民の足という役割は同じだが、現代の「ゲタ電」とはかなり「オシャレ」になった。それを例える別の表現が定着するまで、「ゲタ電」を使わせてもらおう。
光のマジック。輝く「ゲタ電」。
         

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2019年6月12日水曜日

灯る。

 JR小樽駅に灯るランプは、昭和62年に地元の北一硝子が108燈を寄贈した事から始まっているという。今回の作品は「C62ニセコ」号を追いかけていた頃、定宿にしていたホテルから見た小樽駅。寒空の中、ランプの灯を狙うにあたっては時刻にこだわってみた。それが「22:10」。どうやらこれで纏まったようだ。
小樽駅は、昭和9年道内初のPC造の駅舎として建築された。

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2019年6月11日火曜日

標高554mの別所温泉駅

 上田電鉄別所温泉駅は、信州最古の温泉地と伝わる別所温泉への最寄り駅。「旅の終着駅」然とした駅は標高554mの高地にあり、前駅の八木沢からは40‰の勾配を登って到着する。別所温泉への玄関口らしさがある駅舎は上田丸子鉄道時代からのもので、現在は簡易委託駅として別所温泉観光協会によって窓口業務が運営されている。今回はそのような駅中心に作品を纏めてみた。
別所温泉駅の駅ナンバーは「BE15」。
難所40‰を行く。
            
駅敷地内にある送迎車乗り場は、標高約570mにある温泉旅館が利用する。
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2019年6月10日月曜日

ゆっくりと。

JR北上線を象徴するポイントのひとつが錦秋湖。和賀川に建設された湯田ダムによって堰きとめられた人造湖だ。錦秋の名に相応しい秋の景色は絶景と称されるが、雪融け水を湛えた春から夏も趣がある。この景色を楽しむには、ゆっくりと走る列車がいいようだ。
梅雨明け近し。


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2019年6月9日日曜日

深夜の大移動。

 昔「地下鉄の電車って、どうやって入れるのでしょう?」という地下鉄漫才があったが、鉄道車両の搬入方法は興味深いテーマ。最近TVの特番でも取り上げられるので知られる事になったが、軌道が異なるなどの理由でJR線と繫がっていないケースでは最寄の貨物取り扱い駅から車両基地へは1両単位で公道を陸送する。今回の作品は公道運搬中の模様で時はまさに「丑三つ時」。フィルム時代は条件が厳しい中でも知恵と工夫で何とか対応したもの。結果、20m級の車両を公道で運搬する緊張感が伝わってくる一枚となった。
ストロボ発光は停車中での撮影。この日は一晩で2両の運搬がなされた。
          


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2019年6月8日土曜日

12:2:3

 来春から東海道新幹線での一時間当たりの最大運行本数が「12:2:3」になる。内訳は12本が「のぞみ」、2本は「ひかり」、3本が「こだま」で、その背景には最高速度が270km/hの700系車両が東海道新幹線から撤退し、全列車が285km/h運転可能なN700A系に統一されること、そして自動列車制御装置(ATC)の改良がある。リニア開業まではN700系の時代が続きそうだ。 
有楽町を行くN700A、来年からは昭和60年以来の全列車同一形式での運行となる。
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2019年6月7日金曜日

Wフェイス、東京メトロ綾瀬駅

 東京メトロ綾瀬駅は元々国鉄綾瀬駅。昭和46年、営団地下鉄千代田線と国鉄常磐線の相互乗り入れ開始に伴い、営団側に移管されて以降は旧国鉄、JRとの共同使用駅となっている。 その綾瀬駅はJR貨物の車扱貨物の臨時取り扱い駅という別の一面もある。取り扱い内容は東京メトロ綾瀬検車区へ車両を搬入する甲種輸送列車で、JR貨物から東京メトロへの引き渡しが「JR貨物 綾瀬駅」で行われる。その作業がなされるのは列車運行終了後の深夜。「JR貨物 綾瀬駅」共々、まず目にすることのない業務だ。
JR東日本が間借りしている「旅客」綾瀬駅
         

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2019年6月6日木曜日

変えるべきはどこか。

一般的なヘボン式ローマ字ではb、m、pの前にある撥音をmと記すこととなっている。ところが、JR東日本 新松戸駅のローマ字標記は「SHIM-MATSUDO」。ローマ字としては冒頭のつづり方に則しているが「新」と「松戸」の間にハイフンを入れて「新-松戸」としている。ならば「SHIN-MATSUDO」が正しい標記ということになるが、変更しない理由はどこにあるのだろうか。そこには「新松戸」の発展が関係しているようなのだ。
 駅計画時の仮称は北馬橋。それが陳情により新横浜、新大阪の例に倣い「新松戸」と命名されたのは有名な話で、まさに「SHIN-MATSUDO」だった。その後の松戸都市計画事業によってこのエリアに「新松戸」「新松戸東」「新松戸南」「新松戸北」が誕生するに至って「新松戸」は町名として定着し「SHIMMATSUDO」になった。それに伴って玄関口となる駅のローマ字標記を町名「新松戸」に合わせたと考えると筋は通る。だが何かしっくり来ないのも事実。まずはハイフンを削ることですっきりさせたいもの。さてどうなるだろうか。
松戸市幸谷にあるJR新松戸駅。
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2019年6月5日水曜日

EF65一般形の晴れ姿

 本ブログで幾度か取り上げているEF65は、特急色を纏う500番台(P、F形)、1000番台(PF形)が中心で一般形(0番台)をフューチャーするのは今回が初めてだ。一般形は全135両製造され東海道、山陽線を中心に普通貨物から最高速度95km/hの高速貨物Bまで幅広く使用されたが、内9両は500番台へ改造、編入されたので全機が揃った時期がないのもユニークだった。
 民営化時点では一般形は88両がJR各社に継承、その後国鉄清算事業団からJR貨物に16両が復帰するなどドラマチックな生涯をおくった機関車だった。現在、EF65一般形は現存する1号機が京都鉄道博物館に保存されており、往時を偲ばせてくれている。
国鉄時代、高速貨Bを牽引するEF65一般形。

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2019年6月4日火曜日

勾配区間のスペシャリスト

 EF64形電気機関車は20~33‰程度の勾配区間を要する路線向けとして開発された機関車。基本番台(0~)と1000番台に大別され、現時点では基本番台は37号がJR東日本に残るのみで、EF64としてはJR貨物と東日本に在籍している1000番台が中心となっている。
その1000番台、元々豪雪路線でかつ連続勾配区間が続く上越線向けに製造されたこともあって上越国境を越える運用は本領発揮できる舞台。その中を東日本所属車は新津の車両工場からの新製車回送に活路を見出している。東日本ではイベント用を除き機関車牽引列車を淘汰する方針といわれているが、上越線では今しばらくその活躍をみることはできそうだ。
1053号機はEF64のラストナンバー。現在も健在。
         

「カシオペア・クルーズ」では水上~石打越えのため前補機として活躍。


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2019年6月3日月曜日

響くブロアー音

 鉄道趣味の中で「音」にこだわる人は少なくない。古くはSLブームの際、SLのレコードに影響を受けてかカセットデッキ持参で録音するファンは多かった。家庭用のビデオカメラが普及してからはスチールカメラと「共通運用」するファンが増え「動画と音」が身近になったことを実感したものだ。その中で「音にこだわる」ファンが注目したのが’80年代後半登場したDAT(デジタルオーディオテープ)機材。ビデオとは異なる高品質の「生録」が浸透していった当時は「音で魅せる」被写体が散見していた。現役時代のEF63もそのひとつで出力電圧が増圧された電動送風機からの独特の甲高いブロアー音は言葉では表現しづらいものだった。人が創り出した音も作品なのだ。 
山間にこだましたブロアー音。
        

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2019年6月2日日曜日

ニセコ駅の転車台

 JR北海道ニセコ駅構内にある転車台と給水タンクは1990年の「C62ニセコ」号ニセコ延伸に際して整備されたもの。特に転車台は新得駅構内から移設するという大掛かりなものだったが、実働は1995年までで「C62ニセコ」号運行終了とともに役目を終えることになったのは誤算だった。今回の作品はニセコ駅構内でのスナップ。ファンにとって折り返しとなる13:56までの憩いの時間が、いつまでも続くと思っていた頃の作品。
佇む。
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2019年6月1日土曜日

削がれた駿足

 JR東日本のC61 20号機が動態復元したのは2011年。本格的に運行開始したのは東日本大震災後で、高崎区での僚機のD51と共に現在まで東日本エリアの蒸機列車に活躍している。
 昭和22~24年にかけて急行旅客列車用として33両製造されたC61形はD51のボイラーを流用したことで知られているが、「ハドソン」と称される2C2型の車軸配置と自動給炭装置(メカニカルストーカー。以下ストーカーと称す)を日本で初めて採用した機関車でもあった。現役時代はストーカーのアドバンテージを活かし、東北・北海道連絡急行列車を中心に運用され最高運転速度100km/hも可能な性能を発揮したが、動態復元あたってはストーカーは整備されず機関車のブレーキ力確保による軽量化によって撤去、さらに最高運転速度も省令変更によって75km/hに制限されたこともあって、些かもの足りなさが残る仕様となっている。とはいえC623号機なき後、国内唯一の本線走行可能な「ハドソン」機であるC61 20号機。線形の良い路線でその性能を発揮させたいと願うのは私だけだろうか。
スマートさと力強さが魅力のC61。

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