2018年7月31日火曜日

夕涼み

 今年の7月を振り返ってみると「暑かった」印象しかない。気がつくとフィールドでほとんど撮影していないことにも気がついた。夏となれば「涼しいうちに・・・」という言葉に急かされ午前か夕方に用事を済ませたものだが、朝から真夏日となる今年の関東エリアではこの言葉は影が薄くなっている。
 今回の作品はJR小海線。気だるい日中の暑さから高原の爽やかな空気に入れ替わる頃に撮っている。八ヶ岳からの心地よい風が取り込めた高原列車も懐かしい旅の思い出。さて、この作品からそのイメージは伝わるだろうか。
「八ヶ岳高原線」を行くキハ58。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
          

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2018年7月30日月曜日

青い海に映える色。

 振り返ってみると廃止される鉄道を追いかけたことは数例しかない。ここ島原鉄道南目線も九州在住の知人のご好意で数回訪れているが、惜別の思いよりも初めて訪れた路線へのワクワク感の方が勝っていた。有明海、雲仙普賢岳など魅力あるロケーションの中、列車をどう表現するかに熱中していたように思う。
 今回の作品では有明海に映える列車の色がポイントだった。一際映えていたのは主力の黄色い気動車キハ2500形。この雄大な光景を行く黄色い気動車の足跡、2008年以降は途絶えたままだ。
「幸せの黄色い気動車」単行でも存在感抜群。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
          
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2018年7月29日日曜日

憧れの「アップダウン区間」。

  今も昔も北海道は内地の人間からは憧れの存在。雄大な北の台地を行く列車は絵になる中で、特に気になった風景は「アップダウン区間」。アップダウン区間で有名だった国鉄標津線 光進~泉川 間の写真を初めて見た時の驚きは今でも覚えている。廃止前に標津線を訪れることができなかったことは痛恨の極みだったが、後にJR富良野線を訪れたときに美馬牛~美瑛 間にもアップダウン区間があることがわかったときは大いにときめいたものだ。
  今回の作品は2008年に訪れたときのもの。この時は美瑛駅からの移動にマウンテンバイクを利用した。美瑛の丘の爽やかな風を受けながらのバイク移動はクルマでは得られない楽しさがあったことは今も記憶に残っている。夏の思い出は時間が経過しても鮮明だ。             
手前で撮るか、奥で撮るか。それぞれ印象は異なる。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)
レンタルしたレンズとマウンテンバイク
                     

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2018年7月28日土曜日

ムーミンで熱かった夏

 昭和61年7月の上越線はEF55で熱かった。理由は長らく高崎第二機関区に留置されていた教習用EF551号機が動態復元、車籍復活ののち最初のイベント運転がなされたことによるもので、同時期に整備された旧型客車と共に高崎~水上間を快走する姿に多くのファンが魅了された。
 高崎第二機関区は国鉄末期「電気機関車館」の候補地だったこともあり、各地から多くの電気機関車が集められていた中での目玉だったのが動態になったEF55。残念ながら電気機関車館は頓挫したが、これ以後JR各社で「公園」蒸気機関車の復元が活発化する切っ掛けになった大きな出来事だった。民営化後、EF55はJR東日本を経て鉄道博物館に保存されたが、客車は蒸機列車レトロ客車として今も上越路に足跡を残している。
奇跡の復活
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)


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2018年7月27日金曜日

1999年8月 東上したスワローエンゼル。

 蒸機ファンにとって「C622」という機関車は特別な存在。デフレクターのツバメマークは特急「つばめ」牽引機の証し。そして晩年の急行「ニセコ」の重連運用では多くのファンを魅了した「SLブーム」最大のスターだった。昭和47年以降は、鉄道100周年を記念して開設された梅小路蒸気機関車館で動態保存されたが、JR後、過去2度東上したことがある。一度目は1994年大宮工場の公開イベント「新旧つばめの出会うとき」、そして二度目は1999年「ドリームトレイン1999」として品川駅に8月1日から9月12日まで無火状態で展示された。今回の作品は品川でのC622。友人から「品川にC62がいる」という情報で訪れたが、意外な程ギャラリーがいなかったことが印象に残っている。この時の回送途中に軸焼けを起こしたことから、これ以降C622の長距離移動はなされていない。
「999」のヘッドマークも似合う「スワローエンゼル」
(カメラ CANON EOS RT、フィルム フジクローム RDPⅢ)
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2018年7月26日木曜日

絵本で見た光景

 昔見た幼児向けの絵本でインパクトが強かった絵がOsaka Metro御堂筋線 梅田~心斎橋 間のドーム状の天井と独特なシャンデリア風の蛍光灯照明。関東の地下鉄では見る事ができない「これぞ地下鉄」と云うべき仕様は、昭和8年の開業時の施工だいう。この光景に似合うのはオールドタイプの10系。メカはVVVF方式に更新されているが外観は昭和51年当時の姿を留めている。古くとも先進的な新しさがある御堂筋線、後世に残しておきたい鉄道風景だ。
「昭和メトロ」
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
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2018年7月25日水曜日

粋な誘い

 ’90年代初頭、新得から富良野へ列車旅をした。今回の作品はその途中駅でのスナップ。暫し停車することに付け加えて「駅のラベンダーが見頃を迎えている」という粋な車内放送に誘われてホームの花壇から狙ったものだ。乗務員の機転を利かせた心使いで、億劫な待ち時間がアトラクションになる。ラベンダー摘み体験は他の「旅のおみやげ」より記憶に残るだろう。
フローラルな香りに魅かれる。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)



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2018年7月24日火曜日

架橋記念碑

 JR中央東線の撮影地として知られている鳥沢~猿橋間の新桂川橋梁は、「よん・さん・とう」として鉄道史に残る昭和43年10月ダイヤ改正での使用開始をめざして建設されている。その橋梁の東京方橋詰には「新桂川橋梁 架橋記念碑」が建っていることは意外な発見だった。このような記念碑、隋道(トンネル)では見られることもあるが橋では珍しい。ロケハンでは小さな変化にも目を向けておきたい。後に調査するきっかけになるからだ。ちなみに「新桂川橋梁 架橋記念碑」は橋建設での殉職者に対する慰霊碑をも兼ねていることがわかった。この発見は何かの役にたちそうだ。
記念碑が特急「あずさ」を見守る。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)

鳥沢~猿橋は鉄橋とトンネルによる新線によって短絡された。

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2018年7月23日月曜日

一人だけの餞別

 鉄道は自然の一部、そして決まった時間に電車が往来する光景は生活の一部と言っても過言ではないだろう。その光景から馴染みとなっていた「色彩」が消える。その最期の姿を自分なりにどう表現してみようか思案してみる。このときの答えは「いつもの見慣れた光景から見送る」だった。
 今回の作品は北総線が新京成との相互直通運転を廃止した1992年7月の記録。これ以降この並木から青い∑電車を見ることはなくなった。
スローシャッターで動感を表す。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
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2018年7月22日日曜日

海水浴急行「あじがうら」

 国鉄時代、海水浴シーズンの7月下旬から8月上旬かけて運転された臨時急行「あじがうら」。上野発、茨城交通(現 ひたちなか海浜鉄道)阿字ヶ浦駅行の海水浴列車として常磐線内は急行、茨城交通は普通列車として運行されていた。阿字ヶ浦駅のホームが長いのは「あじがうら」乗り入れの名残で、海水浴臨としての上野発「あじがうら」の運行が昭和60年を最後に中断されて以降はそのスペースを持て余している。
 久しく途切れている上野からひたちなか海浜鉄道への直通列車、今後計画されている同線の「国営ひたち海浜公園」延伸の際には復活を願いたいもの。その頃には開発が進んだ新しい蓄電池電車が活躍しそうだ。
ヘッドマークも凛々しいキハ28形による「あじがうら」
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクロ-ムRDP)
           
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2018年7月21日土曜日

清涼

「清涼」には「せいりょう」と「しょうりょう」の二つの読み方がある。前者が「さわやかで涼しい」「清々しい」といった意味合いに対して、後者では浄土や悟りなど「絶対の境地」を形容するようだ。今回の作品では暑中での「せいりょう」感を意図してみたが、さて「命に関わる猛暑」が続く今年、「清涼」が指し示すところはどちらの方だろう。
 とりあえず不要不急の外出は避けるという程度の「悟り」は啓けたが、そろそろ夕涼みも楽しみたくなってきた。夕立が待ち遠しい。
夏空の下で
(カメラ CANON EOS5D MarkⅣ) 
 
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2018年7月20日金曜日

いにしえのいろ

 今回の作品は、2001年に登場時の塗装に戻された「椚山のタヌキ」こと新京成8000形の第一編成。同系で唯一「古の色」のツートンカラーを施されたことのある編成という事もあり、側面に自社のキャラクターが貼られた以外は1978年当時の姿で運用されていた。予定ではツートンカラーでの運用は4年間だったが、結果的に廃車になる2012年まで「古の色」を堅持したことは、単に懐かしさだけではなかったようだ。
 その背景には「古の色」に照らし合わせて「自分の町」の公共交通を再認識するという意識があったのではないかということ。残すべきものは「形」を問わず維持することも必要だ。例えばソロバン勘定抜きで「オールドタイマーズ・カラー」トレインが一編成づつあったらどうだろう。沿線住民にとって世代を越えての「色の伝承」がなされる。そのことに意義はあると思うのは私だけだろうか。
古くも新鮮な「いにしえのいろ」
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)
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2018年7月19日木曜日

記憶に残るプロセス

 1997年秋田新幹線開業記念イベントの最後を飾ったのが7月19~21日、秋田~横手間に運行された「SLあきた号」。このときの旅で今も印象深いのは、内地では初めて飛行機&レンタカーを利用したこと。朝に羽田空港に居たのが数時間後には奥羽本線沿線でカメラを構えていたことに感激したものだ。その反面、土地感や距離感を把握するには苦労した覚えがある。
 今回の作品では、秋田~横手間は田園風景というイメージが強かったので少し目先を変えてロケハンしている。ところがここは何処だったのか?カーナビ頼みの行き当たりバッタリのポイントだったこともあって記憶が定かではない。やはり記憶に残るのは「歩く」というプロセスが大切なのだろう。そういう意味ではこのときの旅は、後に笑い話になるような珍エピソードは多かったが「あっさりとした」旅だったようだ。
横手川から眺める
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
             

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2018年7月18日水曜日

ごさんねんのえき。

 平安時代の歴史を紐解く中で欠かす事のできない「前九年の役」と「後三年の役」。その「後三年」に因んだ「駅」がJR奥羽本線の「後三年駅」。駅名の由来は、この一帯が後三年の役での古戦場だったことによるそうだが、大正10年開業の駅名に平安時代の「合戦」が命名されたのは興味深い。1997年7月その名に惹かれてロケハンで立ち寄った際に、今も記憶に残っていることは「とにかく暑かった」こと。同時にこの駅一帯に撮影のポイントが「なかった」という失望感もあり、この駅の印象は気だるい夏の疲労感そのものだった。その後三年駅、駅舎が2012年12月に秋田デスティネーションキャンペーンに合わせて建てかえられたという。それによって駅周辺はどのように変わったのだろうか。機会があれば久々に立ち寄ってみたいものだ。
歴史好きには気になる「後三年」。3つの番線がある。(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)

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2018年7月17日火曜日

もうすぐ行くよ。

 目の前の光景を題材にストーリーを想像してみる。「これから列車に乗り込む親子が向かう駅では祖父母が待っている。久しぶりの帰省にお母さんの足取りも心なしか軽そうだ。」といったシナリオに合わせたキャプションをつければ、この作品もそういうイメージに見えてくる。いわば言葉のマジックなのだが、本当の理由は当事者にしかわからない。創作者は自分が感じたことをどうイメージ化するかで良い。余計な詮索は時には野暮になる。 
南阿蘇鉄道で帰省、作品のイメージを膨らませる。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2018年7月16日月曜日

「酷暑」の中、お見舞い申し上げます。

 暑中お見舞いの時期は諸説ある中、一番広範囲なものとして「小暑~立秋の前日」が一般的。ところが関東甲信越地方では、例年七月中旬頃の梅雨明けが今年は六月末に明けてしまったことから、理屈ではこのエリアの七月は「暑中見舞い」になってしまった。その中で今日16日は海の日。それに因んで「酷暑中お見舞い」を兼ねて海絡みの作品をアップしてみた。「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う」という条文に願いを込めて。
旧七尾線、西岸付近を行くキハ28。
この区間は1991年に「のと鉄道」に転換されている。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP) 


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2018年7月15日日曜日

夏のデコレーション

 連日の猛暑で早や夏バテモードになりそうな中で思い出したのが今回の一枚。東武動物公園駅に飾られた夏らしいグッズは涼感を誘うもので微笑ましかった。その中で気になったのが「浮き輪」。はて、ここらに水絡みの施設ってあったかな?と暫し考えてみると「動物公園」にプールがあることを思い出した。なるほど、それゆえの夏のデコレーションかとスナップしてみる。ひとり悦に入りながら。
猛暑の中で反応したのは浮き輪より「氷」。思わず駅ナカを探してしまった。
(カメラ CANON EOS7D)
         


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2018年7月14日土曜日

国電205系がいた風景

 平成時代に1000両超製造され絶頂期を迎えた後、急速に淘汰が進んだ車両にJR205系電車がある。栄枯盛衰ともいえるその生涯は多くがグループに車両メーカーを持つJR東日本での運用だった事もあり、新車による世代交代がスムーズに進む環境だったことによるものだ。10両編成で都市部を往来した姿は既に過去帳入りしており、現存する車両も淘汰方針の直流直巻モーター装備車が主であることから今後も予断を許さない。元を辿れば近郊形211系共々205系も「国電」。最後の国電には記録の価値があると考えるのは私だけだろうか。
鉄道博物館からの眺め。埼京~川越線の205系も既に鬼籍入りしている。
(カメラ CANON EOS7D)
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2018年7月13日金曜日

初代広島急行色

 先週来の西日本豪雨の惨状をみると、水による自然災害は怖い事をあらためて思い知らされた感がある。一日も早い終息と「復興」を願うのみだ。
 今回の作品は、JR山口線を行く初代「広島急行色」を纏ったキハ58形。国鉄色を脱して民営化のイメージ戦略としての地域色、いわば「ご当地カラー」だ。その色彩は目新しさもあって注目されたが、数年後に「広島急行色」二代目、三代目が登場したこともあって成功作とはいい難いカラーリングだったようだ。これら「ご当地カラー」の対極として生まれたカテゴリーが「国鉄メイク」。国鉄標準色へのリスペクト。記憶に残された色彩は今も色褪せない。
厚化粧
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)

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2018年7月12日木曜日

何かに似ている

「東京さくらトラム」の最大勢力の都電8800形。新たに「Tokyo Sakura Tram」のロゴが入った前面をよく見てみると、その面構えが何か深海魚か爬虫類に居そうな事に気がついた。いずれにしても近年各地に導入されている超低床電車(LRV)の前衛的なデザインに比べては可愛いもの。さて、何に似ているのだろうか。
桜色の電車は存在しない「さくらトラム」
(カメラ RICOH  GRデジタルⅡ)

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2018年7月11日水曜日

板谷峠専用機EF71

 山形新幹線「つばさ」が往来する奥羽本線 福島~新庄間は在来線軌道を標準軌へ改軌した区間。途中33‰の連続勾配区間でもある板谷峠は、西の瀬野~八本松、東の碓氷峠と並び専用の補助機関車を必要とした難所として知られている。その板谷峠用の補助機関車がEF71形で国鉄時代の交流機では最大値の定格出力2700kwを誇った。だが、運用に際しては空転に悩まされ、粘着力向上対策として戦中のEF13形以来と思われる「デッドウエイト(死重)」を搭載するなど手を加えられたが抜本的な解決には至らなかった。その中で白眉だった運用は僚機ED78形と共に牽引した寝台特急「あけぼの」で、ヘッドマークが装着された昭和60年以降、板谷峠で夏場は撮影可能となる「あけぼの6号」は人気列車となったことも懐かしいエピソードだ。専用機ゆえ改軌後は他線区へ転用されることもなくひっそり引退したEF71。その一号機は新幹線総合車両センターにて静態保存されている。
全長18.5mの車体は貫禄があったEF71
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2018年7月10日火曜日

早朝のスナップ

 JR沼津駅に隣接した「キラメッセぬまづ」等が建てられているエリアは元国鉄沼津機関区。東海道線で運用される蒸気機関車、電気機関車が配置されていた沿線有数の名門基地だった。機関区は昭和61年に廃止になったが、沼津の黄金期の偲ばせる設備が民営化後も残されていた。それがプラットホーム上の洗面設備。かつて夜行列車停車駅には設けられていた設備だが列車廃止と共にその役割も終えた駅も多い。ここ沼津もその中のひとつだ。
到着待ち
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)

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2018年7月9日月曜日

一発必中。

 動きモノを撮る時に驚くことのひとつに見かけの速度がある。簡単に言えば「遠く」のものは「見かけ上」遅く見え、逆に「近く」は速く感じるということ。時速300キロの新幹線も遠方で見ると「ゆっくり」走っているようにみえるのはこのためだ。その速さの最大値を体感できるのは被写体に真横から接近するアングルで、放物線で例えると遠方では緩やかに上昇する速度のカーブが被写体に接近する従って急上昇し、その頂点を過ぎると一挙に落ちるのだ。
 今回の作品は見かけの速度の最も高い真横から広角ズームレンズでステンレス車体へ反射する光を狙ったもの。ポイントとしては出入扉の位置でバランスよく収まるように留意している。このようなテーマが明確になっている場合では、連続撮影より「一枚切り」の方が良い結果になる。さて撮り手の意図、この作品から伝わるだろうか。
夏色、藍色
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅢ)

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2018年7月8日日曜日

駅の図書館

 東京メトロ千代田線の根津駅にある「根津メトロ文庫」は、営団時代から続く「駅ナカ図書館」。6000系電車風の文庫には「東京メトロ」マークのみならず屋根にはパンタグラフも乗っていることもあってコアなファンがいる事で知られている。この駅ナカ文庫は「東京メトロ」の施設ではないが運営は駅ごとになされており、根津駅以外でも南北線、有楽町線、丸の内線、東西線にも設置されている駅はあるそうだ。規模の大小はあるが都市部の「駅ナカ文庫」をぶらりと探してみるのも面白いかもしれない。これからの季節、駅ナカは涼しいので。
根津駅 不忍池方面改札内にある「根津メトロ文庫」。1989年の設置だとか。
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2018年7月7日土曜日

ポラリス。

 札幌市電初の超低床電車(LRV)として「ポラリス」の愛称で親しまれているA1200形は、市電ループ化に先駆けて2013年から導入、その斬新なスタイル、コンセプトから同年のグッドデザイン賞を授賞している。さらに隠れたアピールポイントとしては、札幌市電初のクーラーが装備されている事で、大きな窓から差し込む日差し対策とも合わせて夏場の利用客には歓迎されるだろう。
 今回の作品は2013年の「ポラリス」。沿線から見ると西欧にいるような錯覚をしたものだ。この電車には未来を拓く可能性があると感じるのは私だけだろうか。
「これぞ、トラム」

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2018年7月6日金曜日

三ノ輪橋&早稲田

気がつけば東京さくらトラムに乗車するのは今年初。以前は早稲田の掛かり付け医へ伺った際には積極的に利用していたが、今年から通院先が一軒増えたため移動ルートが変わったこともあってやや疎遠になっていた。久方振りの都電、よく見ると「東京さくらトラム」化が進んだことに気がついた。車体のロゴ、駅ナンバー等はもちろんだが地下鉄の駅案内も「東京さくらトラム」に変わった。その一方で三ノ輪橋の光景は変わっていないことは嬉しかった。それでいい。「帰ってくる場所」では「変わらないこと」が癒しになる。
三ノ輪橋

取って貼り付けた早稲田

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2018年7月5日木曜日

高速列車が似合ったED75 1000番台。

 「302両分の5」、これが現在のED75形の実態。JR東日本の残る5両も既に定期運用はなく、時折工事列車等を牽引している姿からは往年の華やかさは感じられない。
 ED75形は形態によって4種類に分類されるが、中でも華があったのは高速貨物、寝台特急を牽引したP形の1000番台。Pは「Passenger」の頭文字で10000系貨車、20系客車はP形限定で運用が組まれていた。特に勾配区間が多数存在する東北本線では高速貨物は重連で運用されていたこともあって「機関車ファン」からは憧れの機関車だった。
 全39両製造されたP形だがラストナンバー1039号機は東日本大震災で津波の直撃を受けている。牽引していたコンテナ車は脱線したが、機関車は奇跡的に線路上に踏みとどまったことは震災の記憶とともにED75を語る上で欠かす事のできないエピソードだ。
今回は華やかだったP形の記録として東北本線を行く連絡船経由北海道行き高速貨Bをアップしてみた。
P形に分類される電気機関車はEF65、EF58、ED75のみ。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RHP)



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2018年7月4日水曜日

荷物郵便合造車クモユニ74。

 昨日のクモヤ90に引き続いて73系電車を種車とした車両には、荷物車、荷物郵便合造車がある。今回のクモユニ74形は、東海道線が80系から新性能車111系に置き換わった際、従来より行なわれていた荷物郵便輸送用として誕生している。改造に際しては台枠、走行機器は種車から流用しているが、車体は新造されており見た目では73系電車のイメージは留めていない。今回の作品のクモユニ74は前照灯が大きいタイプの0番台車で111、113系に連結され東海道線の長距離普通列車に活躍した頃のもの。昭和61年に国鉄の荷物郵便輸送が廃止されるまでは73系改造の荷物車、荷物郵便合造車が連結された普通電車は日常の光景だった。
今は無き東京駅11番線に停車中のクモユニ74。(ネガカラー)
         

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2018年7月3日火曜日

事業用車に残った三段窓。

20m、4扉車の旧型国電を代表するのが73系電車グループ。戦時、戦後に製造された63系、72系を含め、このグループで特徴的だったのが三段窓。63系では資材不足の苦肉の策として固定された中段に揃うように上段は下降、下段は上昇するよう設計されたが、戦後大惨事となった桜木町事故ではその中段窓が仇となりという多数の死傷者を出すこととなった「有難くない」過去がある。後に体質改善改造によって中段も上昇可能になったが、三段窓故に隙間風に悩まされたうえ、車内も薄暗いという曰く付きの車両だった。
 現存する三段窓を備えた車両はリニア・鉄道館に展示中のモハ63形のみ。事業用車クモヤ90形からの復元だが、こういう戦時戦後の身近な「下駄電」の保存には価値があると思うのは私だけだろうか。
クモハ90形全景(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
         

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2018年7月2日月曜日

ふたつの「特急鳥海」

 「富士」、「なは」、「鳥海」、これらの列車愛称に共通する事は昼行から夜行寝台へ転じた特急ということ。その中でユニークなのは「鳥海」で、昼行時代は「いなほ」、夜行時代は「あけぼの」からの愛称変更によって誕生している。前者は東北上越新幹線大宮開業時、「いなほ」が羽越線接続特急となったことから上野~青森間に一往復残された「いなほ」を「鳥海」と改称、定期列車として上野開業時まで活躍した。後者は山形新幹線工事の関係で奥羽本線経由の青森行「あけぼの」を羽越線経由に経路変更した列車に命名され、こちらは後に「あけぼの」に改称されている。
 鳥海山が由来となっている「鳥海」の愛称、JR線からは消えたがJRバス「ドリーム鳥海」として健在なのは嬉しいこと。今回はそのような曰く付きの「特急鳥海」をアップしてみた。
ブルトレ時代の「鳥海」。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
新幹線上野開業後、上野~秋田間の臨時列車として運行された「鳥海」

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2018年7月1日日曜日

心のデフレ

 まもなく夏季の「青春18きっぷ」の時期がやって来る。JR線内の普通、快速列車乗降り自由という国鉄時代から続く破格の「トクトクきっぷ」だ。その「青春18きっぷ」ユーザーは「青春」世代に限らず多くの年代に利用されており、利用可能期間では「列車旅」を楽しむ年配層をみかけることは珍しいことではなくなった。
 近年の鉄道旅はトクトクきっぷ頼み。バブル崩壊後に増加した「18きっぷ」ユーザーは「安価なきっぷ」での鉄道旅が「基準」になってしまった。それによって正規料金との二極化になり、結果としてその価値を下げている。デフレ脱却は経済だけでない、心のデフレもある。トクトクきっぷに頼らない鉄道旅の動機付けのひとつが、各地で広まっている「お茶屋方式」のグルメ系列車。魅力ある商品には財布の紐は緩むものだ。

「18きっぷ」ユーザーに人気の滝川から釧路までの日本一の長距離「鈍行」列車。
今は2016年の水害で不通になった東鹿越~新得間がバス代行になっているが乗換で釧路まで行くことができる。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ) 

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