2015年12月31日木曜日

近郊形電車になった寝台電車

 世界初の寝台電車、国鉄583系は1967年の登場以来ファンからは人気が高い電車。クリーム色と濃紺の車体カラーは新幹線接続を意識したともいわれ、昼夜走る運用を運命付けられた鉄道車両はこの系列が最初で最後のまさに高度経済成長下ならではの車両だった。だが、経済成長が鈍ったとき、この電車の役割に陰りが出たのは皮肉なことだった。
 大きな転換期は1982年、1984年のダイヤ改正で、583系使用の関西発夜行九州特急の減便と寝台列車の客車化、そして昼行運用廃止にともないこの系列に多くの余剰車が発生した。当時の国鉄は財政緊迫の中、車両の新製は抑制されていたが近郊形車両の需要は高く、余剰車両の再活用を含めた施策が講じられる。その一つが583系電車の近郊形への改造で、「交流区間を走れる」交直流電車のメリットを活かし九州、仙台地区へ「交流電車715系」として、金沢地区へは「交直流電車419系」として再利用される事になる。車体は改造コスト抑制と使用期間は今後10年程度の見込みだっため、必要最低限の改装に留められた。当時、これらの改造車は「ひょうきん電車」とも皮肉られたが客車、気動車の普通列車を電車化するメリットは大きく、これ以後の地方都市圏は「電車」へシフトする事になった。 九州、仙台地区の715系は、ほぼ想定どおり1990年代に後継車と交代したが、金沢地区の419系が定期運用を終了したのは2011年。寝台電車時代より長寿を保ったことは特筆されることでもあった。 波乱万丈の車生を辿った583系だがJR東日本に現役で残る6両の他、九州鉄道記念館に車体は715系改造後のままだが塗装、エンブレムが復元されたクハネ581形が、来年開設の京都鉄道博物館にはクハネ581形のラストナンバーが保存されることになり、後世にその姿を残す事となったことは喜ばしいことでもある。
715系の先頭車は、元特急「はつかり」に使用されたクハネ581形。変わり果てた姿での東北線里帰りとなった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

1984年当時の583系寝台特急「なは」、編成は10両に短縮、のちには客車化されることになる。
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2015年12月30日水曜日

動感を求める

 動きを表現する。 「動きモノ」から得た感動を表現したい。 そのための試行錯誤も楽しく、結果に一喜一憂する。 アプローチは、深く考え込むのでなくシンプルに。その引き出しは、過去の作品に残っていた。
動きの遅い蒸機に躍動感のベールをかけてみる。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)
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2015年12月29日火曜日

驚きのISO16000。

この写真のデータはシャッタースピード 200分の1秒、絞りはF4.5。ISO16000とは、こういう世界なのだろう。(カメラ CANON  EOS7D MarkⅡ) 

 最新のデジタルカメラが描き出す「高感度ISO16000の光景」はどのようなものだろうか。このテーマに対して、まずはトンネル内を行く丸の内線を撮ってみることにした。 光源は僅かな蛍光灯の光と電車のヘッドライト。暗闇が明るくなる瞬間を捉えてみる。 今まで表現が難しかったことが可能となる技術の進歩への驚きと同時に「使いこなせなけばマズイ」という緊張感を持たせてくれた。 今回の結果は次のステップに活かせそうだ。

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2015年12月28日月曜日

蒸気機関車と日章旗

 もういくつ寝ると・・・今週末はもう新年。蒸機列車が走る鉄道会社では、「初運転」に日章旗を掲げて運転されることが多い。「ヘッドマークはどうも・・・」という人達も、この時ばかりは日章旗に惹かれて足を向けたくなる切っ掛けになるようだ。
 蒸機列車「初運転」は成人の日前の週末が主流で、正月三が日に運転する路線は大井川鉄道の独占状態。日章旗としめ縄飾りの「生きた」蒸気機関車を目の前にすると、神々しく身が引き締まる思いがしたものだ。 その大井川鉄道では1月1、2日に日章旗とヘッドマーク付で運行される。加えて期間限定のデフレクター(除煙板)に交換した機関車も登場する。久々に賑わいそうな大井川鉄道沿線だ。 

元旦からSLが運転されるのは大井川鉄道のみ。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)
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2015年12月27日日曜日

形式消滅した183系電車

 今年度を振り返るにはまだ早い感もあるが、上半期では183系特急電車が形式消滅している。不思議と話題にのぼらなかったのは、183系の信越線向け189系がJR東日本で波動輸送用に健在な事も大きいが、「こだま」形181系の後継車として国鉄特急全盛期の一翼を担った車両が一つ消えたことは、いよいよ「国鉄特急電車」消滅のカウントダウンが始まった。 とはいえ今回廃車となった車両は1978年製造。今年まで走れていたことが奇跡なのかもしれない。 今回は在りし日の同系の活躍をまとめてみた。 
貴賓車牽引の栄誉を担った田町区183系1000番台。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム RDP)

上越特急「とき」に登場した1000番台は、耐寒耐雪装備の決定版となった。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)
房総特急に活躍したATC装備の基本番台。1973年ブルーリボン賞受賞車両でもある。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)




































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2015年12月26日土曜日

ISO6400の世界

 デジタルカメラの進化は「処理エンジン」で実感できる。 今使用しているCANON EOS7D MarkⅡのISO感度を6400にセットし、ほとんど光源が無い悪条件の中、東京駅に進入する新幹線をテスト撮影してみると結果は多少ノイズが目立ったが「肉眼」に近いように撮ることが出来た。 最新の処理エンジンによるカメラの進歩を実感するには十分だった。ちなみにこのカメラのISO感度は16000までも設定されている。どのような状況で使えるか楽しみになってきた。     
検測を終えたドクターイエロー、定刻に東京駅到着。
EOS7DMarkⅡ



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2015年12月25日金曜日

黄色いサンタクロース

 「ドクターイエロー」の愛称で知られる923形新幹線電気軌道総合試験車は、ほぼ10日に一度のローテーションで東海道山陽新幹線を往復する。 そのローテーションがクリスマスに掛かったのが今年で、イブが東京→博多、クリスマスが博多→東京の行程だった。 インターネットからの速報によると、JR西日本エリア(新大阪~博多)では職員の手による山陽新幹線40th&クリスマス向けメッセージが窓に掲示されたとのことで、多くのファンの注目を浴びていたそうだ。「幸せを呼ぶ黄色い新幹線」とも言われているドクターイエロー。この二日間で沿線に幸せのプレゼントを届けられたことだろう。
検測を終えて大井基地へ帰る「黄色い新幹線」。
(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)


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2015年12月24日木曜日

囲炉裏がもてなす湯野上温泉駅

 萱葺き屋根の駅として知られている会津鉄道 湯野上温泉駅。 萱葺き屋根は、観光地 大内宿に因んで第三セクター転換後の1987年新駅舎完成時に葺かれたもの。 簡易委託駅であるが、有人時間帯には待合スペースの囲炉裏に火が入れられ燻された煙が独特な空間を作り出している。 隣駅「塔のへつり」駅との間には宿泊施設も多く、温泉郷の玄関口にもなっている湯野上温泉駅。 立ち寄りの際は、囲炉裏端でゆったりとした「もてなしの時間」を過ごされてはいかがだろうか。 

囲炉裏のある待合スペース


光と格子が交わる時

萱葺き屋根は雪化粧が良く似合う。


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2015年12月23日水曜日

12月23日への想い

 父の命日は天皇誕生日12月23日。 旗日となっていることもあり、決して忘れる事はできない日だ。 私は天皇陛下に直接お目にかかったことはないが、沿線では一度だけカメラ越しに拝謁したことがある。 
 1997年山田、釜石線お召し列車運転の際、新花巻付近での撮影ではタイミング良く天皇陛下が手を振って下さるシーンに遭遇した。 この場所でいたのは私一人。 「自分に手を振ってくれたんだ!」と勝手に思い込んでしまうには十分な結果だった。

一人で待っていたとき警護の警官から「試しにシャッターを切ってください」と職質を受けた
お召し撮影での単独行にはリスクがある。(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)

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2015年12月22日火曜日

イベント華やかなりし頃

 近年、クリスマスの時期は「クリスマス」「サンタクロース」に因んだ列車を鉄道各社が運行するようになったが、1990年代は鉄道趣味団体主催のイベント列車運行が流行った時代だった。 2月15日の本ブログでもふれているが、現在ではこの手のスペシャルな列車の運行は難しくなっている。 今回の一枚は、ファンとJR支社による夢のような「団体列車」が運行できた華やかなりし頃のスナップ。JR東日本が誇った欧風車両(2編成)に乗車し、牽引してきた機関車を並べての記念撮影会という企画だった。機関区での撮影会には「ファンの夢」を実現した「クリスマスプレゼント」が待っていた。
ロイヤルエンジンとレインボー専用機が並ぶ。 
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2015年12月21日月曜日

憧れの。

女の子が将来、就きたい憧れの職業に「電車の運転手」は入るだろうか。
凛とした姿は美しい。(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)
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2015年12月20日日曜日

なぜ撮っておかないのでしょう。

 なぜ撮っておかないのでしょう・・・この受けは「撮ればいいじゃないですか。」となる。 趣味の世界ではよくあることだが、自分が対象としないモノについては無関心になる。鉄道では「イロモノ」的な車両やカラーリングには否定的な人が多い。今回のカラフルな車両は、「草津」「谷川」号等に使用されていた185系特急電車をスキー列車「シュプール」号用に「コスプレ」したもので、一般客には好評だったが保守的な撮り鉄さん達はシャッターを切らないことも珍しくはなかった。
期間限定カラーは、その時期が過ぎてしまえば消えていく。 消えてから後悔しないようにするためには、常に撮っておくという意識が大事になる。
 毎年、悪慣習になりつつある「ダイヤ改正廃止列車 サヨナラフィーバー」も然りで、廃止が決まって慌しく記録するより「平時」の姿を記録するほうが、どれだけ「ゆとり」があるか。 記録ならお早めに。 切羽詰ってアタフタするのは「小学生の夏休みの宿題」だけで十分なので。

「フルフル」と命名された特別カラーのシュプール号。1994~95のシーズンに運用された。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)
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2015年12月19日土曜日

帰ってきた多重露光

 多重露光機能がデジタルカメラに帰ってきた。フィルムカメラ時代の表現方法が再び使えるのは大きな進歩。 だが、久しぶりの多重露光撮影では一喜一憂。 結果がすぐわかるデジタルの恩恵にあやかりながら作品創りを楽しんでみた。 この「SHOW  TIME」、しばらく続きそうだ。
三回の露光で停まっている車両に動きを与えてみた
(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)
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2015年12月18日金曜日

冬のスペシャリスト

 鉄道を雪から守る強い戦力が除雪車両達。夏場は暇を持て余しているが本領発揮の冬場には存在感が増してくる機関車達だ。 昔から豪雪地区を管轄する機関区には除雪用ラッセル車、ロータリー車が配置され出番を待っていたものだが、今これらの除雪車両は「線路を走る保線用機械」扱いの「排雪型モーターカー」に置き換えられている。運行に際してはダイヤグラムが必要な「鉄道車両」と異なり、制約はあるが小回りが利く「機械」は使い勝手が良いようだ。 冬の鉄路の定時運行は、これら「特殊なマシン」冬のスペシャリストによって維持されている。  
今は見られない除雪車両DE15、DD14の並び。
(カメラ CANON  T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)
国鉄時代のモーターカー。 黄色が特徴だった。



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2015年12月17日木曜日

ひかりが走る

 往年の0系新幹線は全電動車方式、2両でユニットを組んでいるため16両編成では8台のパンタグラフがついていた。 騒音の要因の一つにこのパンタグラフから発生する走行音があったが、国鉄時代に採用されていたBTき電方式のブースターセクションを通過する際、スパークしながら走行する姿は「見世物」としては面白く、特に暗闇の中の光跡は圧巻でもあった。今は多種多彩な新幹線だが、当時は0系のみ。趣味的には面白さに欠ける中、新幹線写真にこの「光跡」を活かした作品が散見されたのも素直に「きれい・・・」があったようだ。 ちなみに現在の新幹線では、き電方式の変更によりパンタグラフは2台にまで減っている。
二つの光跡。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)



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2015年12月16日水曜日

雪晴れの朝

 雪は冬景色の代表格。降雪後の翌朝、雪が太陽で溶けるまでの数時間は水墨画の世界になる。 地元では珍しくない光景、でもとても羨ましい光景。
除雪前の道には危険が隠れている。 安全第一で行動したい。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

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2015年12月15日火曜日

郷愁を誘うサボ

 「サボ」とはサイドボードの略で、鉄道車両の側面に装着されている行き先や種別、号車番号を示す「板」のこと。 国鉄時代は、折り返し列車の「整備」の一環でこのサボの交換がなされていた。ただの板と侮るなかれ、材質はホーロー製や鉄、プラスチックなど様々だが数がまとまると重さも相当なものとなる。 合理化の視点からは「廃止対象」に挙がるのは自然の流れだが、サボ廃止の反対意見の中で「あの列車は何処から来たのだろうという郷愁を感じさせる効果もある・・・」という投書もあったとかで、時代に合わせて「形」は変われども継続されている。 現在はLED表示が主流となり、行き先だけでなく多様な情報が表示されるようになった。その反面、「郷愁を感じる効果」からは程遠くなっているのは一抹の寂しさを感じる。

差込式のサボ、3つの情報が記されている。
(カメラ CANON NewF-1,フィルム エクタクローム EN)

20系寝台車の表示。
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2015年12月14日月曜日

黄昏の上越線

 上越線は信越本線に代わって日本海側と関東を結ぶ幹線として建設され、かつては特急、急行が往来する重要幹線だった。 現在、上越国境を越える列車は、貨物列車と水上折り返しの普通電車だけとなっているのは時代の流れとはいえ寂しい限り。国鉄時代「冬の上越」といえば「スキー列車」が越後中里、石打を目指したものが、JRになってからは「ガーラ湯沢」開設の他には大きなテコ入れがされていないことにも驚かされる。「トンネルを抜けると雪国だった」を実感できる上越線、このまま「ローカル線」になってしまうのには惜しい「幹線」だ。

名所 諏訪峡を行く特急が消えて久しい
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)
冬の越後中里は雪国。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム コダクローム KR)
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2015年12月13日日曜日

手を抜くと・・・。

 磐越西線「クリスマストレイン」を初めて撮影したのは1999年のこと。「青春18きっぷ」利用で軽い気持ちで出かけた。そのため、耐寒装備はしっかり整えたがカメラ機材は当時サブ扱いだったEOSと数本のレンズを持参しただけの軽装備だった。理由は三脚以外の持ち物はーショルダータイプのカメラバック一つにまとめたかっただけのことと、「まあ、18きっぷだから・・・」ということで手を抜いたことは否めない。 結果、選んだポジションでは機材不足で焦点距離が足りないことで悩む事になり、何とか構図はつくったが「おとなしい」写真になってしまった。メインのカメラセットを持参していれば・・・と悔やんでも後の祭り。 加えてこの日の雪の状態は理想的なものだったこと。 以後の「クリスマストレイン」運転時の雪は、皆無、パラパラあるいは列車が運休する「ドカ雪」と「雪景色」には程遠かったので尚更のこと。 一期一会のチャンスを逃さないためにも「手抜きはしない」ことを痛感させられた一日だった。 
結果オーライかもしれないが、雪を掻き分けて迫る列車を強調したかったのが本音。
(カメラ CANON EOS RT、フィルム フジクローム RDPⅡ)
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2015年12月12日土曜日

AIZUマウントエクスプレス

 会津鉄道を代表する列車が「会津マウントエクスプレス」。現在の車両は二代目で会津地方と日光を結ぶ快速を主に運行されている。 座席はJRのグリーン車並み、アテンダントによる車内販売サービスもある「快速」は、とても乗り得な車両だが認知度が低いのは残念。 東京から会津方面への旅は、浅草~鬼怒川温泉から「会津マウントエクスプレス」のご利用をお勧めしたい。


赤い車体は雪中でもよく目立つ。(カメラ CANON  EOS7D)

車内販売がある「快速」。

快適な車内、これでも「快速」。
初代は名鉄からの譲渡車両。こちらも豪華だった。

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2015年12月11日金曜日

困ったときは第一鉄橋

 大井川鉄道ツウの方曰く、「撮影場所に困った時は、第一鉄橋へ行って見て下さい。きっと新しい発見があるでしょう。」とのこと。大井川鉄道ではクリスマス、年末年始もSL「川根路号」は運行されている。 これからの季節、近隣の「川根温泉」共々「暖かな」川根の冬を楽しまれては如何だろうか。
第一鉄橋は最寄り駅「川根温泉笹間渡」から徒歩10分程。
(カメラ CANON T90、フィルム エクタクローム EPP)
 
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2015年12月10日木曜日

会津盆地を行くD51。

 会津若松市、喜多方市を含む会津盆地は、会津地方の北東寄りにある。かつて冬季イベントとして磐越西線 郡山~会津若松間にD51型牽引の列車が運行されていた頃、雪化粧した盆地の中を行く蒸機列車は魅力的だった。 今の観光イベント列車のトレンドは「SL」よりも「食」に変わってきている。 この路線では、走るカフェ「フルーティア」が目玉だ。
「熱い」蒸気機関車には冬が似合う。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
今年からの一押しは「フルーティアふくしま」




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2015年12月9日水曜日

夜汽車のイメージ

 夜汽車という言葉は、音楽の歌詞や撮影作品のテーマに取り上げられることが多い。 その言葉から受けるイメージはどのようなものだろうか。 蒸機列車の発車もそのひとつ。水銀灯のグリーン被りは、デーライトフィルムが表現する世界。記録のみに残るシーンだ。
暗闇の光を捕えてみる。構図は大胆に。
( カメラ CANON  EOS-1N RS、フィルム フジクローム RMS)


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2015年12月8日火曜日

雨に濡れても

 「Raindrops Keep Falling On My Head」・・・往年の名曲が頭に浮かぶ。 作品創りのヒントは今の状況を楽しむこと。 この日の雨は、集落を活かすためには都合の良い演出だった。
撮影時に傘は使わない。雨風に対峙することで緊張感が生まれる。
(カメラ CANON  EOS7D)
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2015年12月7日月曜日

閉ざされた撮影ポイント

 磐越西線、荻野駅近くの利田(かがた)踏切は、「徒歩で行ける、安全な」好撮影ポイントとして知られている。 だが、今回クリスマストレイン撮影のためにロケハンしていると、この踏切近く一帯にパイロンとテープが貼られていることに気がついた。 その時は気にはしなかったが、聞くところによると、これらは「撮りテツ」対策で仕切られた中へは立入禁止エリアということだそう。 こういう事態に至った背景にはこの踏切付近を救急車両が通る際、撮りテツの「路上駐車」車両が通行の妨げになったということがあるようだ。 ここまで来るとマナー云々の範疇ではなく、撮りテツは「社会生活に馴染めない」人種と認知されかねない。他の撮影場所でも「私有地立入禁止」の警告板を散見するようになったことは寂しい限り。 自分達で自らの首を絞めるような行動は慎むことと合わせ、行き過ぎた行為には互いに注意することが必要だろう。
利田踏切からの名シーンは、暫く封印されてしまった。
(カメラ CANON  NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
 
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2015年12月6日日曜日

交換待ち


ローカル線での列車交換。数分の停車時間で何ができるか考えてみる。 窓が開くディーゼルカーから対向列車をみてみると、雨に映るヘッドライトが印象的だった。
光の位置を計算しての一枚切り。安全第一。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
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2015年12月5日土曜日

二年ぶりのクリスマストレイン。



クリスマスにしては早すぎ・・・と野暮な事は言わない。冬の蒸機は良いものだ。
(カメラ CANON  EOS7D)
 磐越西線は、一昨年のクリスマストレイン以来の訪問となる。前回は、大雪で全線運休となり写真を撮るどころではなかったことは今でも語り草になっている。今回は4日に南会津地方での雪の洗礼を受け今年も雪を覚悟したが、5日の予報は雨。雪にはならなかったが今度は風雨の洗礼が待っていた。ずぶ濡れのカメラマンを横目に、C57は軽快に通過していった。

2015年12月4日金曜日

雪の洗礼

 4日から6日まで会津若松経由で二年ぶりの磐越「クリスマストレイン」撮影へ参戦。 単独行の場合は東武~野岩~会津鉄道ルートで行く事が増えている。ネックは、土日運転のクリスマストレインを待ち構えるためには現地には前日に行かなければならないことだが、鬼怒川温泉までの特急往復を入れても一万円でお釣りがくるコストパフォーマンスに加えて、車窓はJRルートより遥かに良いのでお勧めだ。 
 今回の旅では野岩鉄道区間から車窓は雪景色。雪となれば途中下車、霙の中、会津鉄道のフラッグシップトレイン「AIZU マウントエクスプレス」を待ち続けた。  

いきなりの吹雪。(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)

風光明媚なポイントでは減速して景色を楽しんでもらうサービスが行われる。
(カメラ CANON  EOS7D)

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2015年12月3日木曜日

三分の一のスペース 

 「急行」が優等列車の中心だった国鉄時代に製造された珍車の一つに売店車がある。1966年、中央東線の急行「アルプス」増発に際し、ビュッフェ車による供食サービスの有り方の見直しと、輸送力確保の試作的な意味も含め2両製造された。 ビュッフェ車と売店車のレイアウトの特徴はメインの設備で車体の2/3を構成していること。前者ではビュッフェ、後者では座席になり、残る1/3のスペースにビュッフェ車は座席、売店車は売店が設置されている。 
 この正反対のレイアウトの車両は、中央東線急行へ共通に運用されたがサービス面で少なからず問題が生じた事は否めず、後に売店車は上越線へ転出する結果となった。この時期、売店車は0系新幹線にも導入されたが定着には至らなかった。今は車内売店どころか車内販売も消えていく時代となり、飲食物持参が日常になっている旅の変化には驚くばかりだ。
売店車サハ164形。中央線から上越、東海道線に転じ、晩年は中央線に戻ってきた。

特徴ある売店部。右側の扉は業務用

ビュッフェ車サハシ165型。1963年製造で電子レンジを標準装備した。
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2015年12月2日水曜日

鉄道ファン的な写真

撮り手の意識によって作風は変わる。それを気づかせるアドバイスはありがたいこと。
(カメラ CANON NewF-1,フィルム フジクローム RHP) 
学生時代、この写真を見ての第一声で「鉄道ファン的な写真」と評されたことがあった。 「鉄道ファン」とは交友社から発刊されている月刊「鉄道ファン」誌のこと。言わんとするところは「『鉄道ファン』誌でよく見るアングル」ということだ。 この時、気づかされたのは愛読誌の影響は大きいということで、知らず知らすのうちに愛読誌に掲載されている写真が「自分の基準」になってしまっていることだった。そこには「〇〇的な写真」は撮れるが、個性的な視点は見えなくなっているとも。  
成長の過程では参考にすべき「お手本」や「真似」は大事、だがある時期をすぎると趣味といえども「面白く」なくなるもの。これ以後は、上手下手関係なく「オリジナル」を問うようになり今日に至っている。

2015年12月1日火曜日

ありのまま

 今日から師走、12月。 毎年の事だが、この一ヶ月はあっという間に過ぎていくのだろう。何度も年を忘れ、クリスマスに浮かれて、すぐ正月・・・この変わり身の早さはマジックのようだ。 そういう時期でも「SHINKANSEN」は時間通りに通過していく。 街がオメカシしていても、普段着のままで。

視線をイルミネーションへ持っていくには列車を「通さない」こと
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
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