2018年11月23日金曜日

「いなほ」から始まった「ひたち」。

常磐線特急「ひたち」の誕生は昭和44年10月、羽越線特急「いなほ」の間合い運用の季節列車としてスタートした。 当時、羽越線は非電化だったことから「いなほ」はキハ80系が担当。そのため「ひたち」は全線電化区間をいくディーゼル特急という異例な列車となった。ユニークなのは運転時刻で下りは上野18:10発、平(現いわき)21:12着、上りは平6:45発、上野9:45着だったこと。今でいう朝夕のライナーのような時間帯は短距離利用客を考慮し、上野口特急では初の自由席を設定している。「いなほ」とのペアは翌45年の定期化、羽越線電化によって485系に置換えられる47年まで継続した。その後「いなほ」との関係は2013年(平成25年)に入り「フレッシュひたち」用E653系によって在来車を置き換えたことで再び縁が繫がっている。今回は民営化後の485系による両列車の在りし日の姿をアップしてみた。
運行開始当初は「冠」企業ご用達列車と揶揄された「ひたち」
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
「ひたち」と「いなほ」は交直区間を跨ぐことから縁が繫がっている。

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