2015年1月31日土曜日

300ミリ望遠レンズ




300ミリの作品、「名残り雪」。(1984年 鉄道ファン/CANON 鉄道写真コンクール準佳作)
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
 初めて購入した望遠レンズはNewFD300ミリF4。200ミリがポピュラーだった1980年代に300ミリは誰もが使うレンズではなかった記憶がある。 だが自分の距離感覚には合っていたので、後継のLレンズ共々、ここぞと言う時には多用したものだ。 デジタルに移行したとき、主力の70~200ミリズームレンズはAPS-Cのカメラでは112~320ミリとなる。やはり300ミリの画角とのお付き合いは続くようだ。

FDレンズ時代の300ミリ、F2.8とF4を使い分けていた。


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2015年1月30日金曜日

常に撮っておく姿勢。



積雪下での定時運行には、地道な作業が欠かせない。
(カメラ CANON NewF-1、レンズ NewFD500ミリ4.5L、フィルム フジクローム RVP)
 今朝の関東地方は、雪景色の朝だった。豪雪地区の人には怒られるが、すべてを白で覆い隠す雪は不思議な魅力がある。 その不思議な魅力を表現する手段の一つがスチールやビデオによる撮影。 大事なのは「その瞬間、どうしたか」ということ。
 近年、良く聞くフレーズで「デジタルカメラを持って、昔に戻れれば・・・」という「たら、れば」がある。 意図としては、「過去には記録したい被写体が多く、デジタルなら制限なく撮影できる」からというもの。では、今は?常に撮る姿勢はできているだろうか。今を撮れなければ、過去でも撮ることはできない。記録は将来に向けて残すものであるからだ。 
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2015年1月29日木曜日

春色を楽しむ




色のバランスは興味深い。構図はイメージから決めることにしている。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)  
 この年の高尾梅林は3月初旬が見頃だった。イメージは赤白の梅をどう絡められるか。走る列車を撮影するには不向きな所にその場所はあった。ちょうどカラフルな電気機関車が来たので「はい!パシャパシャ!!」。 春爛漫を感じられるだろうか。

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2015年1月28日水曜日

デジタルカメラの威力


トンネルを走る地下鉄をイメージしてみた。
(カメラ CANON EOS7D)


 デジタルカメラの威力は悪条件下で実感できる。特にISO感度を変えられるメリットは大きく「常用できる」感度は新製品毎に進歩しているといっても過言ではない。これによって撮影できる範囲はフィルムの頃と比較できない程、大幅に拡大されている。
 今回、30年ぶりに国会議事堂前駅で丸ノ内線を撮影してみた。光源はトンネル内の蛍光灯。ISO感度を6400にセットするとシャッター速度は200分の1秒まで上げることができたのはデジタルカメラの恩恵そのもの。カメラのポテンシャルを活かすことが、使い手の腕の見せ所ということになるのだろう。
フィルムでの作品、ISO1600のRSPを60分の1、絞り1.4で撮っている。
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2015年1月27日火曜日

梅と桜のコラボレーション



秩父の桜の見頃は、東京都下の満開から1週間程遅い。
(カメラ CANON NewF-1、レンズ NewFD300ミリ4L、フィルム フジクローム RVP)
 今回の写真は、秩父鉄道を行くパレオエクスプレス。「さくら」のマークが付いていることから撮影は4月なのだが、「見頃」を迎えている梅が彩りを添えている。 この年は寒い冬で梅の開花が遅れていたことに加えて、桜が開花する時期に気温が「平年並み」に戻ったことからこのような珍事になったもの。 東京では梅が開花したというが、さて今年の春は「平年並み」なのだろうか。これも楽しみのひとつでもある。
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2015年1月26日月曜日

東北の機関車、新潟の機関車


C61とC57の重連運転が可能なのはJR東日本のみ。
(カメラ CANON EOS7D)


 JR東日本にはC57,C58,C61,D51の蒸気機関車が現存している。その中、磐越西線「ばんえつ物語」を牽引するC57180に代わり、5月の運転にはC6120が登場することになった。 D51のボイラーにC57の走行部をベースに組み合わせたと言われているC61、その20号機は主に東北地区での活躍する期間が長かった東北の機関車。 一方C57180は、新製時から新潟地区に配属、活躍した新潟の機関車。だが近年車両トラブルが増加、今回の長期運用離脱になっている。そのピンチヒッターに東北の機関車C61、また福島キャンペーンの一環で郡山~会津若松にD51が運転されることも決まっている。1両単位の蒸気機関車の維持は並大抵ではないことと合わせ、代替の機関車を有するJR東日本ならではの対応ともいえる。良い時代になったものだ。

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2015年1月25日日曜日

リゾートやまどり


春満開の偕楽園を行く「リゾートやまどり」。


 「リゾートやまどり」は行楽時期に吾妻線を中心に運行され、一般客の利用が可能なジョイフルトレイン。 交直両用車485系の改造だが、車体はすべて新造されておりグレードの高い「普通車」が注目されている。 繁忙期には新幹線のエリアから外れている羽越線方面にも遠征して欲しい車両でもある。

3列のリクライニングシートはグリーン車以上。これが普通車。

キッズルーム。子供の気分転換には最適。

畳敷きの休憩室。
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2015年1月24日土曜日

過酷な環境




蒸気機関車の乗務員にとって、トンネルは危険と隣り合わせの存在だった。
(カメラ CANON NewF-1、レンズ NewFD500ミリF4.5L、フィルム フジクローム RVP)
 蒸気機関車がトンネルを抜けると、トンネル内に残った煙が逆流し開放状態の運転室に襲い掛かる。 国鉄時代、蒸気機関車の廃止は「無煙化」と言われ、乗務員を過酷な運転環境下から解放させる意義は大きかった。 
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2015年1月23日金曜日

ありがとうございました。


駅弁を通じてのコミニュケーション。これも鉄道風景。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム ネオパン400)
 「峠の釜飯」で有名な荻野屋は、JR横川駅前に本店がある明治18年創業の弁当屋さんで碓氷峠を越える信越線と共に歩んできた。先代の会長は自らホームに立ち、「何か要望はありませんか」と旅行者ひとりひとりに声掛けをしたという。北陸新幹線の長野開業で横川~軽井沢間が廃止されるまで、横川駅では荻野屋の売り子さんが走りゆく列車にお辞儀をするのは日常の光景だった。

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2015年1月22日木曜日

パウダースノー


前方確認は旋回窓が力強い味方となる。元々は日本海軍で考案されたとか。
(カメラ CANON EOS7D)

 北海道の雪質はでんぷんより細かく、呼吸している空気と同じと言われている。釧網本線を行く二台のC11が巻き上げる雪煙は、まさにパウダーだった。 
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2015年1月21日水曜日

お見送り


北陸新幹線では東京~金沢まで最速2時間30分。 「近い約束」になりそうだ。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
 ♪ さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束♪ 「セーラー服と機関銃」のフレーズがファインダーの先に見えた。 特急白山、金沢行き6時間30分の旅。

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2015年1月20日火曜日

ラッピングされた山手線



東京駅100周年電車、山手線で運行中。
レンガ色を「中央線?」と勘違いする人もいるとか。
 現在、山手線では東京駅100周年を記念した「レンガ色」電車が運行中。 過去には「みどりの山手線」や明治製菓とのコラボした「チョコレート色」電車も走っていた。いずれもステンレスの車体にラッピングされたもの。いわば「編成広告」なのだが、乗車時間が短い山手線でも「奇抜な色彩」は乗客にも印象に残るようだ。 鉄道各線にはラインカラーがあるが、近年は銀色の車体にテープが貼られる電車が増え、判別し難くなっていることを、これら編成広告電車は気づかせてくれるようだ。

2013年1月から12月まで運行された「みどりの山手線」。
2009年、明治製菓とコラボした「山手線命名100周年」ラッピング。
阪急電車のような艶のある茶色だった。
これが正調「みどりの山手線」。ラインカラーのはしりでもある。



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2015年1月19日月曜日

蒸気暖房のぬくもり。



ED76電気機関車がJR北海道に継承された理由は、蒸気暖房が必要な赤い客車の存在があった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDP)
 列車の暖房には、電気暖房と蒸気暖房がある。 蒸気暖房は蒸気機関車では標準だったが、電気機関車やディーゼル機関車になってからは機関車に蒸気発生装置を搭載し暖房用の蒸気を作って供給していた。 
 分割民営化後は、蒸気暖房を必要とする客車を牽引する各地のディーゼル機関車や北海道内の電気機関車で蒸気暖房の煙を見ることはできたが、そのすべてが電車やディーゼルカーに置き換えられた現在、蒸気暖房を使用しているのは蒸気機関車がイベント用の旧型客車を牽引しているJR東日本、JR北海道、大井川鉄道と真岡鉄道に限られてしまった。今でも客車から蒸気がこぼれるのを見ると往年の旅が蘇ってくる。寒いホームから車内に入ったときの暖かさが記憶に残っているからなのだろう。

昭和59年まで東海道山陽本線の荷物列車も蒸気暖房だった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
関東圏で蒸気暖房を体験できる真岡鉄道。蒸気はSLから供給される。
(カメラ CANON EOS7D)
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2015年1月18日日曜日

8本の線路が行き交う街。



まるで模型のレイアウトのような代々木駅。あと1本が欲しかった。
(カメラはCANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP) 
 予備校の街?だった代々木界隈は、山手貨物線を行く埼京線+湘南新宿ラインの充実により最大8本の電車が走ることも可能になっている。 かつて某ビルの協力を得て、最大何本の電車を絡められるかチャレンジしてみた。 管理人さんの話だと6本を見たことはあるということなので、6本はクリアできそうだ。問題はそれ以上、運転間隔が空く山手貨物線がカギなのはわかったが、さて結果は・・・山手線2本、中央快速線2本、中央緩行線と湘南新宿ラインが1本づつの6本に留まった。 デジタル写真ではPCで合成すると言う裏技もあるが、フィルムでは一発撮りというところが快感だった。 特認なので再度のチャレンジは不可能だが、与えられたチャンスは活かすことの大切さを実感したものだ。 



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2015年1月17日土曜日

トワイライトエクスプレス



サントリー山崎醸造所で有名な山崎を行くツアー時代の「トワイライトエクスプレス」。
(カメラ CANON NewF-1 フィルム フジクローム RVP)
 大阪~札幌を結ぶ「トワイライトエクスプレス」、「ブルートレイン」ではない寝台列車。1989年の誕生当時は、ツアー客用だったこともありサロンカー、スイートA寝台を各二両づつ連結した特別編成だった。その後、「臨時列車」になって一般客の利用も可能になったが、毎日運転される頻度が高いにもかかわらず「臨時列車」のまま終焉を迎えることになり、やはり「異色な」列車だったのかもしれない。 
札幌行、圧巻の景色は陽が沈む日本海、大阪行は北海道内の広大な景色が車窓を楽しませてくれる。
(カメラはCANON EOS7D)
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2015年1月16日金曜日

正面から撮る

 「正面から迫ってくる列車を撮りたい」は、往年から「撮り鉄さん」の願望でもある。 今回の「冬の北陸 ときめき号」の写真のテーマは「正面から迫る」だった。 この時は500ミリの超望遠レンズで撮影したが、撮影ポジションは弧を描く線路の途中から真正面に見えるポイントを探し構図を作っている。これで迫る列車と対峙することができる。
 フィルム時代では、安全面を考慮して「超望遠レンズ」が必要だった。 デジタル時代になってからはある程度の焦点距離は「高倍率ズーム」でカバーすることができ、動態予測オートフォーカスが正面から来る列車に対して「確実に」ピントを合わせてくれる。 これだけだと撮影のハードルは下がったかに思うかもしれない。だが「良い時代になった」ことを実感できるのは、比較できる過去を知っている人だからわかる事。 基本は安全を前提にした撮影スタンスの創意工夫に他ならない。 


望遠レンズの世界は「安全に」迫り来る列車と対峙することができる。
(カメラはCANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)

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2015年1月15日木曜日

魅惑のスポーク動輪。


雪の反射光が通り抜ける。スポーク動輪ならではの光景。
(カメラはCANON T90、フィルムはフジクローム RVP100)
 蒸気機関車の動輪には2種類ある。一つはボックス動輪、現存する動態の機関車C57、C58、C61、D51の動輪はこのタイプ。もう一つは同じく動態のC10、C11、C12、C56、8620等に使用されているスポーク動輪。日本の蒸気機関車は、特殊な例を除けば黒一色だが、欧米は多彩でドイツの01型蒸気機関車ではスポーク動輪が赤く塗られていたのは有名な話、直径2000ミリの大きさと合わせ走行するスポーク動輪を通して見る景色は、ほんのり赤く見えたとかの逸話もある程。日本では強度の問題もあってスポーク動輪からボックス動輪に切り替わっていったとも言われているが、その真偽は今ではわからない。 現在、梅小路蒸気機関車館には1750ミリのスポーク動輪を持つ機関車が保存されている。 願わくば動態復元がなされ、美しい動輪が奏でる世界を見てみたいものだ。

1750ミリのスポーク動輪を持つ梅小路蒸気機関車館のC551。
(カメラはCANON NewF-1、フィルムはフジクローム RDP)
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2015年1月14日水曜日

踏切の向こう側


夕陽に照らされて。(カメラはCANON EOS7D)
地平を走る鉄道と道路が交差する踏切。 人やクルマの単調な往来でも冬の陽射しが加わると、小さなドラマも生まれそうだ。   


「2015年謹賀新年」、新京成電車の新塗装も見慣れてきた。

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2015年1月13日火曜日

ジョイフルトレイン「パノラマエクスプレス アルプス」

2014年の引退を前に「パノラマアルプス」カラーへ復元されたフジサン特急。
富士急行線では乗車券+特急券(300円)で乗車できる。
(カメラはCANON EOS7D)
 国鉄末期に誕生した「パノラマエクスプレス アルプス」。2001年富士急行「フジサン特急」に転じて13年、後継車も決まり、残り1編成も終焉を迎えることになった。
 国鉄~JR時代は、主な用途が団体用のため、一般客は臨時列車として運用される時を除いて乗車するチャンスは限られていた。そういう意味では身近な電車ではなかったが、改造車ながら展望席、ラウンジ、個室が導入され、シートピッチは1350ミリと当時としては規格外なコンセプトだった。
 当時各地で誕生したジョイフルトレインと称される欧風、お座敷の団体専用車両は、ただ移動するだけではなく乗車後も飽きない「おもてなし」がなされていた。このジョイフルトレインの「おもてなし」のコンセプトは、供食サービスというソフト面を充実させながら、今、各地で花開こうとしている。旅で必要なのは「非日常」であり「驚き」。 座るだけ、寝るだけのの移動は飽きられることをジョイフルトレインは示唆していたのかもしれない。

ラウンジ&展望席、大きい窓は眺望に優れている。「富士山に一番近い鉄道」には最適な設備。
向かい合わせでも足が干渉しない広いシートピッチ

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2015年1月12日月曜日

「奥行き」と「広がり」


冬空の下、町を抜ける真岡鉄道。スイカカラーの列車では「SUICA」は使えないのが残念。

 蒸気機関車の運転が始まって昨年20周年を迎えた真岡鉄道。人間で言えば成人だがこちらは「成熟」?「熟年」??いずれも「熟」が入りそうだ。
 先日ロケハンした場所は、栃木県のツインリンクで知られている茂木町を見下ろす高台。初めて訪れたポイントだ。まずカメラを横位置で構えてみると町並みの広がり感は表現できるが、それだけで完結してしまい真岡鉄道は埋もれてしまいそうだった。 次に縦位置で冬の青空を入れてみると、奥行きが町並みの圧迫感を抑え、線路に存在感が出てきた。「スイカ(西瓜)」の愛称で親しまれているディーゼルカーをこの構図で撮影。手前側に車両を配置したので、1両だが存在感は出せたよう。 次は本命のSLもおか号。この列車、茂木駅を発車してから隣の天矢場駅まで上り勾配が続くので煙は期待できることから、町を切り取ってSLと町並みを調和させてみることにした。 同じ縦位置だがテーマの違いで結果に差が出るのは勉強になる。 撮影は試行錯誤の繰り返しなのだろう。  
「街中にSLが通る」光景が20年続いていることは賞賛に値する。


真岡鉄道は元国鉄真岡線、国鉄時代の駅名案内がひっそりと健在。
 天矢場は真岡鉄道になって新設された駅。国鉄時代の隣駅は「市塙」だった。
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2015年1月11日日曜日

太平洋を望む「丸の内線」



「地球の丸く見える丘展望館」からみる「丸の内線」。
(カメラはEOS7D)
 「ぬれ煎餅」で有名な銚子電鉄、全線6.4キロを20分かけて走るローカル私鉄だが経営状態は決して芳しくない。その小さな鉄道から1月10日赤い車両が運用を終えた。この車両、元々は「地下鉄銀座線」に使用されていた経歴を持ち、色は「地下鉄丸の内線」の再現したもの。新造するより中古車両を活用するという創意工夫は地方鉄道では珍しくない。漁業の街でも東京都心部をテリトリーにしていた電車は輝いていた。

  
1980年頃の銚子電鉄、銚子の街も元気だった。(カメラ CANON AE-1P、フィルム コダクロームKR)


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2015年1月10日土曜日

SHINKANSENの車窓から。



Mt.FUJI & SHINKANSEN
4月でも雪化粧の姿を見ることができる。
 ユネスコの世界文化遺産に登録された富士山は、冠雪状態も美しい。その富士山を堪能する座席は下り新幹線では右窓側、上りでは左窓側がベストなのだが、今の新幹線のネックは窓が小さいこと。 大きな窓が健在だったのは二階建て新幹線と称された100系が最後。せっかくの世界遺産を大きな窓から見たいという乗客の願望が叶えられる日は再び来るだろうか。
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2015年1月9日金曜日

平成と共存するデゴイチ


大雪の翌日は沿線の景観が一変する。
(使用カメラはCANON NewF-1、フィルムはフジクローム RVP) 
 D51型蒸気機関車、愛称デゴイチ。1115両製造され日本の蒸気機関車の代名詞となった機関車である。JR東日本の蒸気機関車復活選定に際し、交通博物館保存の旅客用C57135ではなくD51498号機が選ばれた理由もそこにあった。1988年の復活後イベント用として東日本内各路線を運行されたが、圧巻は冬の磐越西線での雪中走行だった。そんなデゴイチだが、梅小路蒸気機関車館保存のD51200号機も本線運行に向けて整備されることになった。第二次大戦前から戦中に製造された機関車が、平成と歩んでいることに価値がある。 


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2015年1月8日木曜日

乗るのはどっち!?




左が、安いが時間はかかる京成本線の「特急」、右は早いが料金が高いスカイアクセス線の「アクセス特急」。
共に特急料金はかからないが、「さて、どうするか」と立ち止まってしまう。

~ 昨年5月のスナップなので、今では改善されているかもしれないことを断っておきます。 ~
 京成高砂駅は、京成本線と北総・スカイアクセス線との分岐駅。その分岐駅では時折、成田空港を目指す列車が、同じ時刻に発車するという珍事が発生する。 
 英語表記になると、京成本線は「Ltd.Exp」、スカイアクセス線は「Access Exp」となり、その列車種別の違いをすぐに理解できない。どちらに乗車しても成田空港へは到着する。だが時間と料金に差があり、紛らわしさに輪をかけている。「早さを選ぶか、安さを選ぶか」、ここが運命の「分かれ駅」。 昨今、グローバル化が叫ばれているが、外国人のみならず日本人にも「わかる」表示を考えて欲しいもの。

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2015年1月7日水曜日

街をかけるドクターイエロー



有楽町を春色が通り抜ける。(カメラはCANON EOS7D)
 「ドクターイエロー」の愛称で呼ばれる「新幹線電気軌道総合試験車」、絵本の世界でも常連で子供達の認知度も高いが、近年ではこの車両を見かけると良い事がある「幸せの黄色い新幹線」とも言われ、大人も巻き込んだちょっとしたブームとなっている。東海道山陽新幹線では、開業当初から電気軌道試験車両は黄色地に青いラインが入っているが、現在のドクターイエローになってから黄色が鮮やかになり「レモン色」に近くなった。 現在は10日に一度のペースで東京~博多間を検測しているドクターイエローだが、後継には営業車両に検測機器を搭載する「九州新幹線方式」が導入されるという話も囁かれており、気になる「お医者さん」でもある。 


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2015年1月6日火曜日

ステンレスのディーゼルカー


釧網本線を行くステンレス車キハ54。 一両でも存在感抜群。
(使用カメラはCANON NewF-1、酷寒地では頼りになるカメラでもある。フィルムはフジクローム RVP) 

 「電車」という言葉は、線路の上を走る「人が乗車」できる車両を総称する時代になっているようだ。テレビでも地方ローカル線ロケで「電車」と表現することは珍しくなくなってきた。「ディーゼルカーを電車と称するのはケシカラン!」というのは「マニアの戯言」かもしれないが、考えてみると「汚い、臭い」イメージがあったディーゼル車が「電車並み」に快適になったのだという「褒め言葉」と見るならこれも悪くない。
 特に国鉄民営化直前に登場した軽量ステンレス製の車両は、「都会の象徴」を地方にも印象つけた感がある。ところがこのステンレスカー、被写体としては曲者で色はグレー系、「銀箱」と悪口を叩かれる位の地味さなのだが、反射光を浴びると一転主役を張るくらいの存在感を増してくる。歌舞伎ではないが「ギラリ」と睨みをきかせてくる。 これが魅力で追いかける人も少なくない粋な車両なのだ。 

国鉄初の「オールステンレス ディーゼルカー」キハ35 900番台。
昭和38年に試作されたが国鉄はステンレス車導入には慎重で、本格的に採用されたのは昭和59年の205系電車開発まで待たねばならなかった。 









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2015年1月5日月曜日

バーチカルカーブ(vertical curve)




バーチカルカーブを行く先代のスカイライナーAE100形電車。 
現在は土・休日の「シティライナー」1往復のみに使用されている。
(使用カメラはCANON EOS-1N RS、レンズ EF600ミリF4L、フィルムはフジクローム RDPⅡ)

 バーチカルカーブとは縦断曲線。勾配が変化する地点で縦方向へ曲線を入れて徐々に勾配を変化させる目的がある。 首都圏で有名なポイントとしては、京成本線 京成高砂~青砥間。高砂駅から青砥側を見ると、縦に曲がって走ってくる電車がわかる。 ここでは600ミリの超望遠レンズを使用したが、ズーム倍率の高いデジタルカメラでも撮影は可能。ただし、撮影地点は狭いので安全第一で。   


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2015年1月4日日曜日

アマチュアだからできること


バルブ撮影でのリバーサルフィルムの世界は意外性があふれていた。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

 ここ数年「鉄道趣味ブーム」が続く中で、さまざまなジャンルが枝葉の如く登場している。「乗り鉄」「撮り鉄」はわかるが「葬式鉄」に至ると「?」だが、個人の趣味は多様化したなぁと思うばかり。 その中の「鉄道写真を撮る鉄」さんの写真をネット、ブログ、また写真展と称する展覧会で公開されているのを拝見すると、「上手い、きれいだ・・・でも驚きはない」感が強い。 どこかで見たような、似たような作品の枠に留まっている作品が多いのだ。 素直に足を止めて見入ってしまう作品には意外性がある。顧客からの制約もなく自由な環境であるはずのアマチュアは、そのメリットを活かすことで多様なアプローチができるはずだが、どうも没個性、あるいは「茹で蛙」的な心地よさに酔っているのではないだろうか。 今年は変化のある年、自分に刺激を与えてみる良い機会かもしれない。 もちろん自戒を込めてでもある。      
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2015年1月3日土曜日

デビット・ハミルトン調




正月に日章旗を掲げて走るのは大井川鉄道が元祖。
(カメラはCANON T90、フィルムはエクタクローム EPP)
 レンズに息をかけてソフトフォーカスを創るデビット・ハミルトンの世界は、無骨な鉄で出来たマシンでも魅力的な光を作り出す。他流試合ではないが、時には別の世界を覗くのも作品創りのヒントになる。 風景やポートレート、スナップなどの分野は、とても参考になっている。  


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2015年1月2日金曜日

余韻を楽しむ




煙の表情は一期一会。その瞬間を映しこむ。(カメラはCANON EOS7D)

「何鉄か教えてください。」、昨年末の由利鉄応援団忘年会で由利高原鉄道 春田社長から自己紹介でリクエストのあったお題だった。 酔いが回りつつあった頭では「由利鉄です!」というオチには至らず「煙鉄でしょうか・・・」と答えたが、蒸気列車復活以降、撮影だけに留まらず、「煙」や「蒸気」にも惹かれている。 
 ここ数年、撮影した蒸気列車が残していく煙の表情、これを何とか作品に出来ないかを秘かなテーマにしているが、これが中々まとめきれない。とはいえ撮影のメインテーマとは別の「余韻」を楽しむだけなので、これで一喜一憂しないのが救いなのだが。 今回の写真は、そんな「余韻」の一枚。 単機運転の蒸気機関車の通過後なので、煙が崩れていくイメージが残っていた。
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