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2023年4月8日土曜日

四国から消えたDL。

3月末でJR四国からDE10形ディーゼル機関車が引退した。民営化時に37両継承された同機の最後の一両で近年はレール輸送等の事業用として使われていた。有り写真を探してみるとワム80000を牽引するDE10形を発見、一瞬「みかん臨」かと思ったが撮影は土讃線だったので一般の貨物だったようだ。気がつけばJR四国からも機関車は消え、電車・気動車のみとなっている。
土讃線では平成4年まで大阪セメント高知工場への石灰石運搬がなされていた。
        
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鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。

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2022年11月29日火曜日

記憶は褪せる、記録は褪せない

今回の作品は吉野川を渡る急行「土佐」。このポイントは長らく阿波池田と思い込んでいたがグーグルマップでみると隣駅の佃からが近いことがわかった。ところが「どこで見つけたのか」の記憶がない。フィルムに残された画像は鮮明だが人の記憶とは儚いもの。高知から急行列車で移動してきた事は間違いないのだが。頭のノートには、猛暑の中で川に入って撮影した感触と駅前の食堂で食べたカツ丼が美味かったことが刻まれているのみだ。
キハ65を2両組み込んだ四国急行編成はパワフル。 
       


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鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。

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2022年7月14日木曜日

茹だる夏の日

トップライト下の茹だるような陽射しを感じさせる今回の作品は、キハ20(一般形)+キハ28(急行形)+キハ30(通勤形)の三種混成の普通列車。エンジンを始めとした標準化された国鉄形気動車の汎用さが活かされた例だが、全国規模の「玉突き転属」が珍しくなかった国鉄時代のローカル線ではこのような「寄せ集め」編成はよく見られた光景だった。因みに2020/8/16の本ブログ(https://gazosousakunin.blogspot.com/2020/08/80.html)はこのキハ20での車内スナップ。茹だる夏の日には満員の冷房車より、空いている非冷房車を選択する・・・この頃はそう考えていたものだ。
窓が閉まっているキハ28だけが冷房車。

鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。

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2022年4月8日金曜日

引いて望遠。

 今回の作品は青信号で動き出す路面電車、人の往来を300ミリレンズで狙ったもの。イメージとおりの構図を得るために横断歩道から離れているのは、被写体を大きく見せるためには近寄るより、引いて望遠で「切り取る」方が効果があるため。付け加えると向きは前後だけではなく横もあるということ。時にはセオリーを外してみると気づきがあるものだ。
こういうケースでは一枚切りの方が良い結果が出る。

鉄道撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係で成り立つもの。
ファン同士よき人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。







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2022年2月28日月曜日

海辺の路 

海岸線に沿って敷設された路線は魅力的な車窓を提供してくれる。今回の作品は瀬戸内海を背景にした予讃本線 詫間付近。早春の瀬戸内の海は穏やかだった。
キロ格下げのキハ28が行く




鉄道撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係で成り立つもの。
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2021年3月21日日曜日

颯爽たる異端車

 国鉄には鉄道管理局を地方単位で総括した本社直轄の機関として総局が設けられていた。その中の四国総局は昭和55年 自動車との競争力格差が拡大する一方の都市間輸送の中心である急行列車へのテコ入れとして、キロ28形グリーン車を普通車指定席に格下げする施策をとった。写真の車両がその元グリーン車のキハ28 5000番台。車内はグリーン車時代そのままだったので「お得感」あるサービスだったが、その認知はファンを除くと四国内に留まっていた。瀬戸大橋線開業を前に情勢は「特急格上げ」に大きく舵をきっており、急行運用から外れては転用されることなく平成2年までに廃車となっている。
グリーン車のあり方を問題提起したキハ285000番台

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2021年1月14日木曜日

もうひとつの「181系」

今回の作品はキハ181形の2号車、分類としては量産先行車に該当し昭和43年中央西線特急「しなの」としてデビュー、同50年に四国へ転属し民営化時点でJR四国に継承されている。平坦線ではターボチャージャー付DML30HSC形エンジン(500PS)による最高速度120km/h運転を実施、電車特急にもひけをとらなかったが山岳線ではオーバーヒートに悩まされた。JR四国のキハ181系は平成5年に振子式の気動車に置換えられ引退したが、1号車はJR東海に引き取られ現在「リニア・鉄道館」に保存されている。
          
キハ181形の量産先行車は1~4号。
        





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2021年1月7日木曜日

パワーアシスト、キハ65。

国鉄キハ65は、急行形キハ58系のウイークポイントを解消することを目的として昭和44年に誕生した。その特徴は機関系ディーゼルエンジンの定格出力を従来の180馬力から500馬力へ増大、更に自車を含む3両へ冷房電源供給可能な発電機を備えていたこと。これによって山岳路線の急行列車に連結していた冷房電源付1エンジン車キハ28を置き換えることで速度、冷房化向上に大きく貢献している。車体構造は同時期に設計製造された12系客車のコンセプトが盛り込まれ編成の中でも一際目立つ存在でもあった。急行運用から離れた国鉄末期から民営化後にかけては大規模改造をうけジョイフルトレインに活路を見出したグループもあり、現在もJR九州「ゆふいんの森」キハ71形先頭車の台車にその痕跡をみることができる。
トイレ、洗面所無し、折戸、ユニット窓が特徴のキハ65


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2020年8月27日木曜日

50系でも・・・

若いファンの方々と話をしていると「昔の列車トイレって垂れ流しだったって本当ですか?」と「客車は手動扉・・・」と聞かれることがある。どちらも本当ですよと答えると驚かれる中、更に一言「(鉄道趣味ブームでの)老若男女の撮り鉄さん、今みたいに線路に近づくと国鉄の頃だったら「黄害」の洗礼を受けます。」と付け加えたもの。昭和53年より新製された国鉄50系客車でも乗降扉は自動化されたがトイレは従来通りだった。民営化、第三セクター後は「黄害対策」が進み、今では冒頭のような「昔話」も生まれるようになったのは隠れたストロングポイントと言えるかもしれない。
現存する真岡鉄道の50系客車でも入線に際し汚物処理装置を設置している。
        

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2020年8月19日水曜日

とさでん交通「維新」号。

昭和59(1984)年、土佐電鉄開業80周年記念事業として製作された7形のレプリカ「維新号」。平成26(2014)年に経営統合で誕生した新会社とさでん交通へ継承されているが、非冷房、ワンマン運転&ICカード未対応ということで定期運行は休止中。現在、他の外国からの車両共々、イベントや貸切での運行に留まっているのは惜しまれる。
土佐の高知のはりまや橋にて


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2020年8月16日日曜日

’80年代のローカル列車

国鉄時代の四国は、気動車による無煙化が進められた一方で冷房は急行以上の優等列車に限られた。ローカル列車が閑散としているのは、お盆休みのオフピークというだけではなかった。そこには自動車に対して大量輸送しか優位性が保てなくなった「汽車」の姿があった。
   民営化後導入されたローカル用車両では冷房は標準装備になった。
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2020年6月5日金曜日

瓦屋根

 列車交換の待ち時間には外の空気を吸いたくなるもの。特に初めての路線では「観察」する楽しみがそれに加わる。この駅では手入れの整った瓦屋根が目に付いた。それを構内踏切からスナップ。こういう空白の時間を楽しむのも良いものだ。
中田(ちゅうでん)は今は無き小松島線と牟岐線の分岐駅。現在は無人駅になっている。


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2020年5月8日金曜日

ヒット作「キハ58顔」

5月8日に因んで振り返ってみると、国鉄時代「58」が付番された形式はヒット作が多い。蒸気機関車C58形は431両、電気機関車EF58形は172両、そしてディーゼルカーキハ58系列は1823両にも及び一時期は国鉄気動車の30%を占めていた。基本的な前面のデザインはその後のキハ40系列へも継承されたこともあって国鉄ディーゼルカーといえば「キハ58顔」といっても過言でないくらい広く浸透した。その本家「キハ58顔」1823両の最後の1両がいすみ鉄道に残るキハ28。その存在意義は大きいことを実感させられる。
最盛期の土讃線急行「あしずり」、山岳線仕様キハ58+65のペアが活躍した。
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2020年4月24日金曜日

やぽんすき

 路面電車の魅力の一つが広告電車。地方の特色が表されている広告はそれだけでも土産話になる。1984年に訪れた高知「とでん」では「やぽんすき」がユーモラスだった。店は今も健在で「850ステーキ」は現在も一番人気とか。記憶を頼りに再訪してみるのも面白そうだ。
更新前の都電7000形をモデルにした「600形」。現在も「とさでん交通」の主力車両だ。
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2020年3月8日日曜日

海の見える駅 安和。

 今春の「青春18きっぷ」のポスターになっているのはJR四国 土讃線 安和駅。「海の見える駅」として知られているこの駅へ立ち寄ったのは昭和59年(1984年)のこと。須崎から乗車してきた小学生の遠足先が安和の海岸だった。安和駅で下車する子供達を見送った後、車窓から見る海岸の美しさに隣駅から戻って散策をしたことが思い出される。ここも再訪したい駅のひとつだ。
特急「南風」が行く。海岸には子供達の姿が。
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2019年11月8日金曜日

ランドマーク

JR予讃線の海岸寺~詫間 間は瀬戸内海を背景にした列車の撮影ポイント。その海岸寺のシンボルが経納山 二重の棟。 お遍路さんへの目印にもなっているという。これを背景に構図をつくってみると目印として抜群の存在感がある。そして踏切に列車を通せば、ヒロイモノ的な作品の出来上がり。
サボが完備されたキハ65は急行運用の証し。
再掲だが、ここが海の見える有名な撮影ポイント。


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2019年8月29日木曜日

共存する。

路面電車が走る町には独特の世界観がある。住民と電車とクルマが共存する光景はかつては各地で見ることができたもの。東京、京都、横浜・・・消えていった路面電車の記憶が蘇ってくる。作品のテーマはすぐに決まった「共存共栄」。ここ高知では路面電車は生活の一部だ。
「共存共栄」1985年鉄道ファン/CANON 鉄道写真コンクール 佳作。
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2019年7月24日水曜日

タイミングを捕える

 デジタル時代になって「撮り方が汚くなった」という話を聞くようになった。具体的に言うと「押しっぱなし」でコマ数を稼ぐ撮り方をする人が増えたこと。それは体験形講座で数ある中から良いコマを残す「取捨選択」方式を指導していることによるものらしいとも。その「取捨選択」もある程度の品質の担保がなされていないと「捨てる」ものを量産するだけになりかねない。そこには基本となるピント、構図、露出が前提で更には「次の展開を予測しつつ、その機会を待つ」感覚も加わってくる。タイミングはカメラ任せでは得られない。その感覚を自ら研ぎ澄ますには「押し方」を変えてみる事だ。
一枚切りで乗客の目線の先を意識させる。
           

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2019年7月8日月曜日

郵便気動車キユ25。 

 キユ25形は郵政省所有の私有郵便車で国鉄形気動車唯一の全室郵便車。全4両が高松鉄道郵便局をベースに四国島内の鉄道郵便輸送に充当された。車体はキハ58系列(キハ、キロ共に28、58形)に準じており1、2号車が昭和39年、3、4号車は昭和46年に新製されている。大きな特徴は窓が開けられない車内での郵便仕分けの作業環境を考慮し、当時国鉄では急行グリーン車以上に限定されていた冷房を設置したこと。郵政省私有車だから可能にした装備だった。今回の作品はラストナンバー4号車を鉄道郵便末期の昭和59年撮影したもの。同年から父親が高知に赴任したことで撮る事ができた作品だ。
4号車はキハ58系列のラストナンバーでもある。
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2019年5月22日水曜日

駅ではない駅

 昭和60年3月14日に廃止された国鉄小松島線の小松島港駅は、四国総局が独自に設定した駅。正式には国鉄本社設定の駅ではなく「仮乗降場」で小松島駅構内の一部だった。立地は駅名のとおり小松島港に隣接しており大阪・和歌山との南海フェリー、関西汽船との連絡がなされ、高徳線からの急行列車が乗り入れる発着駅としての役割もあった。今回の作品は廃止を前にした小松島港駅のスナップ。マスコミのインタビューを除けば、喧騒とは縁遠い日常の光景だった。
踏切の先はフェリー乗り場。
切符を拝見
小松島名物の「竹ちくわ」
小松島とは300mの距離


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