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2024年2月27日火曜日

63

今日は63回目の誕生日。品物は勿論のことお祝いメールだけでも嬉しいもの。「63」が付番された車両として思い浮かんだのは国鉄EF63形電気機関車。碓氷峠越えの補助機関車として製造され、北陸新幹線長野開業と同時に碓氷線と共に役目を終えたその生涯は「シェルパ」に相応しいものだった。昨年逝去した母親の実家のある長野に行く際も横川~軽井沢間では釜飯とこのシェルパのお世話になったのも懐かしい思い出だ。第一線を離れた今想う事「必死すなわち生くるなり」、「まだだ!まだ終らんよ!!!」
かつてのネグラ「碓氷鉄道文化村」で余生を過ごす
」
仲間と協調できて、列車を助けることのできる優しさ。
              
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鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。




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2020年11月13日金曜日

鉄博の66.7‰。

アプト式電気機関車 ED40
         
鉄道博物館のED40形の脇にひっそりと残る66.7‰の勾配票。碓氷峠の急勾配を象徴するモニュメントとして残されているのは感慨深い。これを見ると現役時代のワンシーンが思い起こされる、今日は13日の金曜日。   
66.7‰を下るEF63
             


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2020年10月1日木曜日

力を合わせて      

碓氷峠をEF63にサポートされた列車が往来したのは平成9年9月30日まで。今も牽引、推進そして協調運転という形で峠越えしていた姿に魅かれるのは「力を合わせて」が大きかったように思う。客車、貨車、旧形国電、気動車から新性能電車までをブロアー音響かせてサポートする姿は忘れ難い。横川ー軽井沢、魅力溢れる一駅間だった。
              
489系と協調運転中の「ロクサン」
         


                                          
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2020年6月3日水曜日

側窓が開けられた「あさま」

「国鉄特急は固定窓」が既成事実だった中、一部の側窓が開閉可能だったのが信越線「あさま」の189系。冷房故障時の換気対策として新製車では各車端部から2番目の窓が上昇式になっていた。今回の作品でも2番目の窓の形状が異なっているのがおわかりだと思う。後に他系列(183、485系)から189系に編入された車両では未改造のままで運用されたことからも「開く窓」は特急車には定着しなかった。これも前年度で形式消滅した189系のエピソードだ。
EF63とペアを組んだ189系

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2020年5月29日金曜日

それぞれの路

 何気無く記録された車止め。この先は1997年10月前まで「本線」と呼ばれた横川~軽井沢間の碓氷線、この真新しい車止めと3本の電柱は横川駅の1~3番線を閉ざす設備だった。ところが用途廃止となった旧4、5番線は観光施設「碓氷鉄道文化むら」へと繫がっており、動態保存のEF63形がJR線に入線する際は普段はクローズされている線路も表に出るという。となれば、「とうげのゆ駅」行きトロッコ列車「シェルパ君」が発着することも可能かも・・・と。夢には続きがあるものだ。
碓氷峠越えは連絡バス。未だに慣れない。
現役時代の跨線橋からの眺め。歩行路付近に車止めが設けられた。(再掲)

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2019年11月30日土曜日

冬のイメージを求めて。

今回は1月2日の本ブログ「四十にして迷った」頃。(https://gazosousakunin.blogspot.com/2019/01/blog-post_2.html)の作品。晩年の碓氷峠撮影で有名になった通称「懺悔岩」からのショット。冬のイメージを模索していた頃の作品でこの時は2種類のフィルムを試している。左がフジクロームプロビア(RDPⅡ)、右がコダクローム64プロ(PKR)。現像後、両者を比べてみるとコダクロームの方がこの時のイメージに近かったが、「自分好み」に仕上げることができるデジタルではアプローチは異なる。PCでの後処理が増えた分、被写体に対してより深い観察力と感性が求められるようだ。
RDP Ⅱの作品(下り特急白山)
PKRの作品(上り特急あさま)(再掲)
  
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2019年8月16日金曜日

コスモス、見つけた。

 アプト時代の碓氷線を偲ばせる遺構のひとつに旧丸山変電所がある。現在は碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財の指定を受けて改修されているが、アプト式が廃止されてからも長らく放置されていたのは解体するメリットがなかったことから。
 その変電所前にコスモス畑が出現したのは廃線が現実味を帯びて来た頃。当時碓氷線をテーマに作品を撮られていたファンの手によるものだ。今回の作品は廃線後のコスモス畑だが、いまだに手入れがなされていたことに感銘を受けたことが思い出される。何に響いたのか。それが大事なこと。
「アプトの道」が整備された現在もハイカーの目を楽しませてくれるコスモス。
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2019年6月3日月曜日

響くブロアー音

 鉄道趣味の中で「音」にこだわる人は少なくない。古くはSLブームの際、SLのレコードに影響を受けてかカセットデッキ持参で録音するファンは多かった。家庭用のビデオカメラが普及してからはスチールカメラと「共通運用」するファンが増え「動画と音」が身近になったことを実感したものだ。その中で「音にこだわる」ファンが注目したのが’80年代後半登場したDAT(デジタルオーディオテープ)機材。ビデオとは異なる高品質の「生録」が浸透していった当時は「音で魅せる」被写体が散見していた。現役時代のEF63もそのひとつで出力電圧が増圧された電動送風機からの独特の甲高いブロアー音は言葉では表現しづらいものだった。人が創り出した音も作品なのだ。 
山間にこだましたブロアー音。
        

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2019年5月17日金曜日

魅惑の三重連

「機関車牽引旅客列車」が人気だ。それは蒸機に留まらずディーゼル、電気機関車にも及んでいるという。「客車」自体がレアになっている時代では客車を牽引する「機関車」は問わないということだろうか。「DL〇〇号」「EL〇〇号」という臨時列車も珍しくなくなってきた。その中で「重連運転」は人気のある「イベント」だが、三重連以上となるとレアとなる。それで思い出されるのは廃線となった「碓氷線」での三重連。貨物が廃止となった民営化後の上り客車列車でのみ見られた光景。イベントではない平時の姿に魅かれるのは今も変わらない。「残しておきたい『令和』の鉄道風景」に機関車が力を合わせて運転する光景は残るだろうか。
団体列車、華やかな頃。
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2019年5月7日火曜日

EF6310との再会

 この連休中、スライドファイルの整理をしていたら碓氷峠鉄道文化村に保存されているEF6310号機の現役時代の姿が出てきた。季節を問わず幾度か訪れた碓氷線は廃線となったが、文化村に保存されている7機の「ロクサン」は華やかな往時を偲ばせてくれる。今回の10号機も動態ではないが屋内保存のため状態は良好だ。今回は現役時代と現在の姿をアップしてみた。
現在の10号機、通電はレア。

48‰区間を下る現役時代の10号機。

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2019年3月12日火曜日

Saravah !、(彼らに幸あれ)

 3月16日のダイヤ改正でJR東日本長野支社の189系電車が定期運用から外れるという。長年信越線特急「あさま」系統で活躍、北陸新幹線長野開業後も22年に渡って運用され、最後まで残った1編成は懐かしの「あさま色」でフィナーレを迎える。「あさま色」は90年代初頭に特急「あさま」グレードアップ編成に施され後に全編成に普及した「長野オリジナル」色。シンボルマークを外した前面には違和感があったが、落ち着いた配色は好感が持てたものだ。189系の廃止によって「国鉄電車特急」は381系、185系の二系列になる。残る彼らに幸あれだ。 
11両のグレードアップ「あさま」が峠に挑む
(カメラ CANON T90、フィルム エクタクローム EPP)
         
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2018年2月13日火曜日

パンクで走った「あさま」

 北陸新幹線開業前まで信越線特急「あさま」に使用されていた189系電車、現在はJR東日本の波動用車両として八王子支社と長野支社に残っているが、前者分は本年度末までという噂が囁かれている。振り返ってみるとEF63形電気機関車の助けを借りて難所 碓氷峠に挑む「あさま」号は魅力的な被写体だったが、同時に乗客側にとっては乗り心地の悪い列車でもあった。理由は急勾配区間通過に際して横川、軽井沢両駅停車中に台車をパンクさせていたことによるもので、急制動によって連結器に掛かる力(自連力)による列車の座屈現象への重要な対策だった。
 更に見モノだったのは、補助機関車を切り離す駅でパンクしている台車へ空気を供給するため「あさま」のコンプレッサーが一斉に唸りをあげたこと。列車の旅にはエピソードがあったほうが記憶に残るようだ。
只今、空気バネに充填中。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

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2017年10月10日火曜日

奇抜だった白山色。

 民営化後の1988年、リニューアルでイメージアップが図られた特急「白山」用489系電車に施された専用カラーは、夕陽の照り返しを受けた霊峰「白山」と北陸の雪をイメージしたもの。ファンからは「白山色」と称され、好き嫌いは別にしてもその色合いはリニューアルされグレードアップされた車内設備(ラウンジ&コンビニエンスカー、グリーン車、普通車のアコモ改造)のアピールには十分だった。白山色は地域色として定着するには奇抜すぎるというのが当時の感想だったが、特急「白山」廃止後も2002年まで維持され以後は国鉄特急色に戻されている。
碓氷峠を行く「白山」。定員の関係で白山編成にはボンネット車が充当された。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

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2017年10月1日日曜日

協調運転

 今回の作品は忘れていた一枚。これから碓氷峠を下ろうとする上野行「あさま」を軽井沢で撮影したものだ。碓氷峠を行く169系、189系、489系という末尾に「9」が付番された電車は、峠の登降坂に際してEF63形電気機関車からの指令で動力制御される協調運転ができた車輌。この作品ではその「運転状態」を表現するため、運転台上部ヘッドライトが点灯する489系との連結部を狙っている。どのように表現するか、事前に絵コンテがまとまっていても最後は現場調整がキモになる。残念ながらこのポジションでは架線の処理が難しかった。もし靄がかかる時間帯だったらどうだったろうと思ったのも懐かしい思い出だ。
「あさま」色の489系は波動用、臨時特急が狙い目だった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)

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2017年9月30日土曜日

レンガアーチから。 

「めがね橋」として知られている碓氷第三橋梁、現在は遊歩道として活用されているこの橋がアプト式路線廃止以後も残っていたのは撤去するメリットがなかったことから。北陸新幹線開業で「碓氷新線」が廃線になった後も「残っている」のも同様の理由だ。今回の作品では現役と引退した新旧の橋を対比しているが、当時はめがね橋が「再利用」されるとは思わなかった。碓氷峠からEF63のブロアー音が消えて今日で20年。フィルムに残された記憶は実に鮮やかだ。
長野行「あさま」通過。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
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2017年9月22日金曜日

軽井沢と横川

 私の記憶に残る軽井沢駅と横川駅の光景。信越本線を行く「全ての列車」が停車した両駅だが、駅としては軽井沢が避暑、別荘地の玄関としての佇まいなのに対し、横川は「機関区の町」らしく、こじんまりとした印象だった。
 北陸新幹線開業によって新幹線停車駅として大きく変貌した軽井沢駅だが、横川には「時代に取り残された」かの如く「峠のシェルパ」EF63機関車の基地として賑わった頃の時間が残っているようだ。新幹線開業からまもなく20年、この両駅は別々の路を歩んでいる。
この旧軽井沢駅舎、某有名デザイナーの手によって復元されるとか。
横川は機関区の町、ラックレールも側溝蓋に健在

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2017年8月22日火曜日

あれから間もなく20年。

 1997年9月30日は信越本線にとって大きな節目の日。翌日に開業する北陸新幹線によって在来線が分断されるという現実を前にした「本線」最後の日であるからだ。
 新幹線と並行在来線はまさにパラレルで考えなければいけない課題。信越本線の場合ネックであった特殊区間の横川~軽井沢間を解消するための施策だったこともあり、この区間の廃止は理解できるものだ。だが、この路線は並行在来線の第三セクター鉄道化した第一例であることも忘れてはいけない。以後これが前例となり東北、九州、北陸新幹線延伸に際し並行在来線は「本線」関係なく「地域密着」の第三セクター鉄道に転進していく流れになってしまった。
 今、鉄道旅がブームだという。だが失われた車窓風景は戻ってはこない。その中の一つが軽井沢に登って行く碓氷峠の車窓。今ならクルーズトレインの周遊コースになっていたかもしれないと思うと残念だ。 
「補助機関車連結のため5分停車します。」
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

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2016年10月25日火曜日

自然に同化する色

 このブロクでも何度か紹介しているオレンジと緑の「湘南色」、四季折々の中で一際映える季節は紅葉の時期だろう。今回の一枚は民営化後の秋に碓氷峠を行く普通列車を撮影したものだが、伝統の湘南色は自然に優しかったことが印象に残っている。
 振り返ると信越本線にとって湘南色は碓氷線が粘着運転に切り替えられて以降、80系、165系、169系に施された伝統色だったが、169系の計画時では「スカ色」を長野鉄道管理局は希望したという。仮に実現していれば「白砂青松を表現した」電車が軽井沢への足になっていたのかもしれない。そう想像してみるのも面白そうだ。
車窓から紅葉を堪能できたのは、アプト式の旧線を転用した下り線だった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

  

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2016年10月24日月曜日

知るは楽しみなり

 無知から何も生まれない、ということはよく言われることだが、何故だろうという好奇心からおこされる行動は未来を拓く大事なステップに繋がる。私が小学生時代、鉄道で驚いた事の一つに帰省途中の信越本線碓氷峠で急行電車と電気機関車が連結している姿があった。「電車は密着連結器、機関車は自動連結器」という拙い知識では、異なる連結器の車両同士がなぜ連結できるのかが全く理解できなかったのだ。
 鉄道の情報ツールが乏しかった当時、最も頼りになったのは交通博物館の資料室で閲覧できる鉄道趣味誌のバックナンバーを調べて「双頭連結器」の存在を知りこの疑問は解決したが、知るは楽しみなりを実感した瞬間でもあり、合わせて資料室訪問への助言をくれた方には感謝したものだ。 
 何気ないビギナーの疑問にどう向き合っていくか、答えを相手に合わせて希釈して伝えることが先人の役目。自分達が先人から受けた恩は、いずれ返すべき時がくる。報恩とはよく言ったものだ。       
「どうして電車と機関車が連結できるの?」さて、どうするか。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム ネオパン400)

自動連結器、密着連結器、いずれにも連結できる双頭連結器を備えたEF63 
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2016年6月3日金曜日

碓氷線の光と影

 6月3日はロクサン、となれば碓氷峠越えに活躍したEF63を思い出す。 昭和38年、新線開通による粘着運転開始以降、所要時間、輸送量ともアプト式時代に比べ大幅な改善がなされた碓氷線。その立役者がEF63で、補助機関車を必要とした横川~軽井沢間の旅の記憶は、今は良き思い出になっている。だが難所として知られているこの区間は、技術面に止まらず採算的でも「難所」でもあった。その大きな理由は、峠を越えるため機関区をはじめとする急勾配路線維持に必要な経費の存在で、「昭和40年代初頭」にはこの区間での赤字が40億円超に及ぶことが重大な問題だった。このような大赤字「区間」が存続できたのは、路線が首都圏と日本海側を結ぶ「国鉄」信越本線であったからこそで「民間会社」では維持不可能に近い「交通インフラ」だった。
 もちろん採算改善策が講じられたのは言うまでもなく、協調運転方式による輸送力向上、制約が多かった貨物列車を迂回路線の上越線への移行もその一環だった。そして決定的な対策としては、補助機関車を必要としない路線付替え。これは北陸新幹線長野開業によって実現することになる。 これによって幹線としての碓氷線の役目は終わり、宿命的な赤字と共に消えていった。 
 時は流れ、新幹線開業後開設された碓氷鉄道文化むらから温泉施設「とうげの湯」まで廃線を利用したトロッコ列車が運行されるようになった中、今後「熊ノ平」、更には「軽井沢」まで延伸されるプランが持ち上がっている。観光鉄道としてではあるが、再び碓氷峠に光があたりそうだ。   
「機関区の町」横川。
(カメラ CANON  NewF-1、フィルム コダクローム PKR)


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