2015年7月31日金曜日

北斗星の記録(2)~標準色から専用色へ


「北斗星」運転開始当時の牽引機関車には「国鉄標準色」が適用され、本州内EF81には「ローズピンク色(赤13号)」、青函用ED79は「赤色(赤2号)」、北海道内DD51は「朱色(朱色4号)」が施され、外観上は「国鉄寝台特急」そのものだった。
 その後、変化の口火を切ったのはJR北海道のDD51。標準色から「北斗星色」というオリジナル塗装に衣替えしたことで以降、「北斗星」用機関車は標準色から専用色へと変化していくことになった。
標準色ローズピンクのEF81が東北本線の特急に使用されたのは「北斗星」が初。

地平時代の札幌駅に入線する標準色時代の「北斗星2号」。
ヘッドマークはホーム据付後の装着だった。

北斗星色化されたJR北海道のDD51、「専用色」の傑作でもあった。
JR東日本EF81の北斗星専用色は赤ベースに流れ星が入れられた。
北斗星の最後を飾る新製機EF510も青い専用色を纏った。

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2015年7月30日木曜日

北斗星の記録(1)


 いよいよブルートレインの歴史が閉じようとしている。最後のブルトレとなる「北斗星」の記録を数回に分けてアップしてみたい。  
 上野~札幌 寝台特急「北斗星」の運行が開始された1988年3月13日、その栄えある「北斗星1号」を牽引したのは、欧風客車「スーパーエクスプレスレインボー」専用機のEF81 95号機。EF81形電気機関車は2010年にEF510形へ置き換えられるまで上野~青森間をロングラン、本州内専用機として活躍した。 今も健在な同機に2015年8月22日札幌発上野行、最終「北斗星」の牽引に登場して欲しいの願うのは私だけではない。
95号機は元「レインボー」専用機、独特の色彩はブルトレにも似合った。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)


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2015年7月29日水曜日

街と共存する路面電車

 併用軌道を行く路面電車が走る街をよく観察してみると、都市部とは異なる街の特性が見えてくる。作品創りでは、その街の特性と生活の薫りを記録したいが、両者のバランスをとるには工夫がいる。「ぶらり」ロケハンすることがコツのようだ。       
撮影は安全第一、歩道でも往来の激しい場所は避けること。(カメラ CANON EOS7D)
青春 オン ザ ロード

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2015年7月28日火曜日

寝台列車が走る光景

 4月から運行されていた臨時「北斗星」が、8月22日札幌発をもって運行終了となる。今後去就が注目されるのは最後の寝台列車となる「カシオペア」。  
仮に廃止となれば、「日常的に」寝台列車が行き来する沿線の光景も失われることになる。沿線を行く「カシオペア」の記録は、切羽詰った時期ではなく平穏な時期から行っておくことが良さそうだ。  

所属基地の尾久付近を行く「カシオペア」。(カメラ EOS7D)

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2015年7月27日月曜日

房総VIEW。

 鋸山ロープウェーの鋸山山頂駅は、房総の海、山、空を一望することができるビューポイント。房総には夏の藍色がよく似合う。 
浜金谷を行く「VIEW さざなみ」。遠景からもよく目立った。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)

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2015年7月26日日曜日

フジクローム フォルティア&フォルティアSP。


 2004年に発売されたフジクローム フォルティアと後継のフォルティアSPは「個性的な」リバーサルフィルムだった。 特徴として、パッケージには赤、緑、青の3原色を「特に」強調した鮮烈でドラマティックな色調を再現、硬調でシャープネスが高くメリハリのある描写と書かれていたが「記憶色を表現する」という例えが適切で、印象としては「じゃじゃ馬」だった。反面、その個性的な特徴を活かすと魅力的であったのも事実で「じゃじゃ馬慣らし」が出来てくると苦手ではなくなったものだ。 とはいえ常用のフジクローム ベルビア(RVP)とは発色が違いすぎ、併用は困難だったことも苦い思い出でもある。今のデジタル処理でフォルティアのような表現は可能だ。しかし、「化学反応」が発色する驚きとは別物。 今は「凄い」と思うモノは多いが、「驚き」のあるモノは減っているようだ。       

「記憶色」での北斗星。色として原色より、しっくりくる印象。
(カメラ CANON EOS-1VHS  フィルム フジクローム フォルティア)     

緑の中を行く、赤い「お座敷気動車」。コントラストの強さがこのフィルムの特徴だった。
(カメラ CANON EOS RT、フィルム フジクローム フォルティアSP)

   
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2015年7月25日土曜日

生涯現役のC571.


JR西日本 山口線で運行されている「SLやまぐち号」の牽引機 C571号機は製造以来、一度も車籍を失ったことがない「現役機関車」として知られている。だがこの機関車には、度重なる事故から蘇ってきた歴史があることを避けるわけにはいかない。 
 一番大きな事故は1961年の羽越本線での脱線転覆大破で、既に交換されていたボイラーを含め、多くの部品が取り替えられている。 近年では阪神淡路大震災の際、検査中の工場で被災、ジャッキから転落し、再起不能に近い大きなダメージを負っている。 
 事故、自然災害以外の「痛手」としては、山口線運行に際して取り付けられた集煙装置によって、煙突が10センチ切断されたことだろう。 どうにも格好悪いスタイルには閉口しつつも、C57が走るためには仕方ない・・・と自分を納得させたものだ。 
 そのC571の新たなパートナーとして梅小路蒸気機関車館で展示運転用だったD51 200号機が整備を受けている。また新しく「旧型」客車も製造されるという。まだまだC571は引退できそうもない。ある意味、幸せな機関車なのだろう。    


近年は外されることが多い集煙装置だが、運行開始時では「標準仕様」だった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
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2015年7月24日金曜日

ラベンダー畑から

主役は「ノロッコ」号、見頃を過ぎたラベンダーは脇役に。
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP)
 北海道 富良野といえばTV「北の国から」、そして「ラベンダー」と連想されるほど、ラベンダー畑は観光の目玉となっている。 その中でも多くの観光客が訪れるファーム富田近くの富良野線には観光シーズンに運行される「富良野・美瑛ノロッコ」号が停車する「ラベンダー畑」臨時駅がオープンする。さて、撮影に当たっては、のんびり走る「ノロッコ」号をどれくらい入れれば良いだろうか・・・列車を強調する場合は「左右に通す」のが良いが、景色とのバランスをとる場合は「置き位置」によって印象が変わる。人真似でなく自分なりにどう纏めるか考えてみる・・・それが個性ある作品となる。
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2015年7月23日木曜日

元祖「ムーンライト」、ムーンライトえちご。

「ムーンライト」号が登場したのは、1986年国鉄末期のことで、東京~新潟の高速バス対策として当初は団体専用快速列車として14系客車3両で運行され、乗車率が良好だったことから、翌87年からは専用車両により週末長期休暇期間中心に運行、更に88年、定期列車に格上げされた。運転区間は新宿~新潟~村上となり新潟近郊の通勤輸送にも一役買うことになった。
 専用車両は余剰の急行電車165系を改造、ボックス席をグリーン車シートに取り替えた室内は、後の「ムーンライトながら」となる「大垣夜行」のグリーン車とほぼ同じサービスが普通車でなされたこともあって人気が高まった。「ムーンライト えちご」となったのは、先の大垣夜行が「ムーンライトながら」に改称された時からで最盛期は9両での運転もなされ順調だったのも束の間、ライバルは高速バスのみならず格安ツァーバス台頭により利用客に陰りがみられるようになり、車両を特急車に更新したが座席は旧来の特急車と変らずサービス低下となったことは皮肉で、後に臨時列車に格下げとなり、2014年以降運転はなされていない。
元房総急行用車両も改造された「ムーンライト」編成は国鉄時代に誕生。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)


特急車に変った「ムーンライト えちご」だが、民営化後、環境変化に対応できなくなったのは皮肉。
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2015年7月22日水曜日

破格の夜行だった快速「ミッドナイト」。

 青函トンネル開業の1988年、日本が鉄道で「一本列島」になった中、JR北海道で誕生した函館~札幌間を結ぶ快速「ミッドナイト」。「北斗星」ブームの中、誕生時はあまり話題にのぼらなかった列車だが、その実態がわかるにつれ隠れた人気列車になっていった。 
 車両は道内急行で活躍した古豪キハ27形の改造だが冷房化のうえ、車内はリクライニング角度を深くした特急グリーン車シートを装備した「ドリームカー」、青函連絡船の「マス席」をイメージさせるカーペット敷き「カーペットカー」に改装、結果「特急」を上回るアコモデーションとなり、座席指定の普通車として運用された。 
 そして「青春18きっぷ族」が注目したのは、その運転時刻。函館の「次の停車駅」が札幌ということで「当日扱い」で函館~札幌を移動できたことだった。 繁忙期には自由席の連結と共に途中停車駅が増えたこともあり「2日分」必要になったが、安価で函館~札幌を移動できることから高速バスに対抗する移動手段となっていった。
 車両増結など順調に伸びていたように見えたが、夜行高速バスの台頭などにより「18きっぷ利用者」以外の利用状況が低迷、車両を「特急車両」に更新したがサービス面では低下となり、臨時列車に格下げの後、廃止になっている。
増結の自由席は一般車。指定席との格差は大きかった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)
「ミッドナイト」の所定編成。間合いで観光列車に使われたこともある。

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2015年7月21日火曜日

夜行快速 ムーンライト九州。


 旅の思い出は良い悪いを問わず、時が経てば笑い話になる。 今回は1991年の夏休みの話。主役は夜行快速列車「ムーンライト九州」。運転区間は京都~熊本間で、夜行バス対策での設定された臨時列車だった。特に列車種別が「快速」なので乗車には「青春18きっぷ」が使用できること、プラス座席指定券だけ関西から九州へ行くことが可能なことが伝わってくると、多くの「18きっぷ族」から注目を浴びることになった。
 私が会社の仲間とこの列車を利用したのは2回。ゴールは豊肥本線「SLあそボーイ」の撮影だが、一度目は大井川鉄道に立ち寄って、そして二度目は大井川鉄道、JR山口線を撮影しての九州入りだった。 往復「ムーンライト九州」利用で乗車券は五枚の「青春18きっぷ」。一見、滅茶苦茶な行程だが、蒸機撮影以外にも今でも酒の肴になる珍エピソードが多く残ったのは良い経験だった。 そんな旅をサポートしてくれた夜行快速「ムーンライト号」だが、現在は元大垣夜行「ムーンライトながら」、中央東線の「ムーンライト信州」が残るのみとなっている。
  
使用車両は「シュプール号」用客車。 展望室を含め居住性は良かった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
東京6:00出発で大井川のSLを撮影。この後、京都へ移動。
翌日、立野のスイッチバックで「SLあそボーイ」を撮る。
駅前の店で食べた「冷麦」の美味さは、良き思い出。

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2015年7月20日月曜日

オープンデッキの展望車。


 大井川鉄道の展望車スイテ82は、1982年に西武電車を改造して誕生した車両。お座敷車両共々イベントや貸切時に使用されるそうで、最後部のオープンデッキに立てば川根路の景色を独占できる。 今、オープンデッキからの眺望を楽しめるのは、JR西日本の「ホンモノ」展望車マイテ49とこの大井川鉄道の展望車のみ。ガラス越しに最後部の景色を見れる列車も良いが、心地よい風を直接を受けながらの旅も悪くなさそうだ。 
往年の特急「つばめ」「はと」では展望車のデッキに立つ乗客は稀だったそうだが、イベント列車ではそれぞれの楽しみ方がある。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2015年7月19日日曜日

川遊びは夏の思い出

 ライン下りで有名な長瀞を流れる荒川での川遊び。 カヌー、釣り、バーベキュー・・・そしてSL撮影。人によって楽しみ方はいろいろ。 心の絵日記に書かれる思い出は残せるだろうか。 


長瀞の景色に、西武鉄道からの乗り入れ電車が彩りを添える。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2015年7月18日土曜日

桃太郎、金太郎・・・。

 JR貨物の機関車の愛称はユニーク。 直流機EF65の後継、EF210形電気機関車は、初めての配置が岡山機関区だったことから「桃太郎」。交流機ED75,79置換え用のEH500形電気機関車は小さくて力持ちの「金太郎」と命名されている。 誘導モーター、VVVFインバータ制御などが採用された新世代の機関車の愛称が、馴染みのある物語の主人公というミスマッチさも好評でファンからは親しみをもって受け入れられている。 新型機関車への愛称付けは、電気機関車EH200形には「ブルーサンダー」、EF510形は「レッドサンダー」、北海道向け電気式ディーゼル機関車DF200形には「レッドベア」と続き、こちらでは一転して独創的な愛称が付けられている。
 一方、新型機関車のうち、北海道新幹線対応の青函向け複電圧機関車EH800とハイブリッド式機関車HD300には今のところ愛称は付けられていない。どういう愛称になるのだろうか。想像するのも楽しみである。 

200両の「桃太郎」は、直流電化区間で活躍中。


「金太郎」は81両で交直流区間を担当。主にED75、79重連を置き換えている。

「北斗星」用のEF510 500番台は「レッドサンダー」がベースのOEM。
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2015年7月17日金曜日

2001年7月15日。

 2001年7月15日は、大井川鉄道で二度目の三重連運転が実施された日。C10+C11+C12という編成を組めるのが大井川鉄道だけということもあって人出は多かったが、前回1989年の殺気立った雰囲気とは異なり大井川沿線らしい長閑さを感じたもの。JR後、各地に蒸機復活がなされて10年が経過、もはや「蒸機運転は特別なイベントではなくなった」を実感させられた日でもあった。
 
旧型客車を三台の機関車が牽引する・・・21世紀の光景。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)
 
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2015年7月16日木曜日

朝飯前!?



レールバスを浜名湖と絡めてみる。現在、車両は更新され軽快気動車が走っている。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム コニカクローム200)
 元 国鉄二俣線の天竜浜名湖鉄道は、鉄道遺産が多く残っていることで注目されている。過去に訪問したのは一度。それも社員旅行で宿泊したホテル近くに天竜浜名湖鉄道があったということで、早起きして友人と朝食時間まで数ショット撮影してみたもの。爽やかな朝日がレールバスを照らすのが印象的だった。 じっくりロケハンして撮りたくなる路線の一つでもある。 

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2015年7月15日水曜日

清流 しまんと号

四万十川沿いを走ることで有名な予土線の名物列車が「清流 しまんと号」。国鉄末期の1984年に誕生したトロッコ車両で、無蓋貨車に屋根とテーブルとイスを設けただけだが、四万十川沿いの区間ではスピードを落とし、川風を受けながら風光明媚な景色を楽しめる開放感から人気となっている。 この貨車改造のトロッコは、2013年にリニューアルされ「しまんトロッコ」の愛称で健在なのは嬉しい。
四万十川からの川風を体感できるのが魅力
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
「清流 しまんと号」

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2015年7月14日火曜日

夏が来れば思い出す・・・。

 遥かな尾瀬・・・と受けるのではなく、今回は思い出したくもないハプニングの話。 現在は第三セクター「肥薩おれんじ鉄道」となった元 鹿児島本線で特急「つばめ」をみかん山の小道から撮影した時のこと。傾斜のある道脇に置いていたカメラバックが、何かのはずみで山から転がり落ちてしまうトラブルが発生した。この時、カメラバックに乗せていたキヤノンNewF-1+300ミリ望遠レンズはレンズマウント部が大破することとなり、重修理決定・・・。清々しい海とは裏腹に気分はドン曇になり、東京へすぐ帰りたくなった・・・という「遥かな肥後・・・」からの嘆きでありましたとさ。 

風光明媚な沿線を行く「つばめ」。ハプニングは数分後に起こった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2015年7月13日月曜日

田井ノ浜


 田井ノ浜海水浴場は室戸阿南海岸国定公園にある西日本でも屈指の水質を誇る海水浴場。海水浴シーズンには牟岐線に臨時駅が開設する。駅を下りると、すぐ海岸というロケーション。まもなく海開き、賑やかな夏が帰ってくる。(今年は7月18日から8月9日まで開設)

海から駅を見る。(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム RFP)
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2015年7月12日日曜日

過去帳入りの「お立ち台」。

JR只見線 只見川第三橋梁は、並行道路から撮影できることから人気がある。しかし、車移動では駐車場所の確保がネックで、路上やスノーシェッド入口等に駐車する輩もいるなどマナー的には褒められたものではない沿線でもある。
 その中、その道路からは離れて滝原トンネルのある山中から見下ろすポイントが発表された。高圧鉄塔管理用の小道沿いでもあったこともあり車の進入が容易に出来たことから人気の撮影お立ち台となったのだが、今は立ち入りができなくなっている。真相は不明だが、土地所有者が立ち入り禁止にしたという話を現地で聞いたことがある。 今、振り返ってみると狭いスペースの中、高い脚立を用意して撮影していた人もいた程、エスカレートしていたことが思い出される。今回の写真は、ディーゼルカーには関心を示さないSL狙いの方の場所取り三脚から撮らせてもらったもの。 今では立ち入り不可となったポイント故、貴重な七月の記録となった。 
 

爽やかさと気だるさが感じられた七月の朝
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP)
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2015年7月11日土曜日

LED表示を止める

 走行する電車を撮るためには、速いシャッタースピードが必要になる。その難易度は標準~広角レンズ側になるほど高まり、角度にもよるが50ミリでは1000分の1秒以上が必要なことが多い。
 望遠レンズでは見かけの速度が遅く見える角度でシャッタースピードを遅くできるが、今度はブレのリスクが高まってくる。 行先表示やヘッドマークが「幕」だった頃は、この二つのバランスを意識すればよかったが、近年のLEDによる表示では、シャッタースピードを列車を止める速度へ上げるとLED表示は崩れてしまう。キレイに表示を残すためにどこまでシャッタースピードを落とせるかがポイントになってきている。しかも車両によって表示条件が異なるのでクセモノでもある。ちなみにJR東日本の電車側面の行き先表示は時速60kmを越えると表示が消えるといわれている。 走る電車を止めるのには、ちょっと知恵と工夫が必要になるようだ。 
京浜東北線E233系を500分の1秒で撮る。かろうじて行き先表示は崩れていない。(カメラ CANON EOS7D)

止められないLED表示の例。キレイに表示するためには250分の1秒以下が必要になるが、被写体ブレのリスクが高まる。
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2015年7月10日金曜日

サロンエクスプレス東京

 7月7日、かねてより保留車となっていた元「サロンエクスプレス東京」のパノラマ車が廃車回送されたというニュースが飛び込んできた。
 1980年代、関西の「サロンカーなにわ」共々元祖「欧風客車」として誕生したこれらの車両のターゲットは小グループ旅行の「お座敷にはまだ早い」ミドル層だった。
 新しい旅のあり方として「サロンエクスプレス東京」は全て6人用個室で構成され、内1両はビュッフェカウンター付「ラウンジカー」として定員外のスペースを提供した。このラウンジカーの発想は後にブルートレイン「ロビーカー」や他のジョイフルトレインにも活かされている。 団体のみならず臨時列車として一般客も利用できた「欧風客車」だったが、晩年は全個室から「お座敷」客車に改造、名前も「ゆとり」と改められた。しかし、外装は「サロンエクスプレス東京」時代を堅持し、最後を迎えられたことは元祖「欧風客車」として幸せだったのかもしれない。
 
1980年代に復活した展望車。(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)

6人用個室車内。改造タネ車14系客車のイメージは窓位置に残るのみ。

「走る」ラウンジは、憩いのスペース。団体客には好評だった。
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2015年7月9日木曜日

最後の国鉄電機 ED79。

ED79は、津軽海峡線用として国鉄末期の昭和61年からED75700番台からの改造により誕生した最後の国鉄電機。 世界最長の海底トンネル内で使用するための改造は手堅い仕様となり、本務機となる0番台では制御方式をサイリスタ化、サイリスタインバータ式回生ブレーキ、ATC-Lの設置と大掛かりな改造となったが、補機となる100番台では基本的に改造タネ車のED75のメカのまま、本務機とペアで運転するため必要最低限の追加改造を実施したにとどまった。改造後のED79はJR北海道所属となり青函トンネルを行く客車貨物列車に充当された。その後、JR貨物が基本番台をベースとした50番台を新製増備、一部は東北線からの貨物運用にも供されている。 
 現在、稼動しているED79は0番台がJR北海道に残り、寝台特急、「カシオペア」「北斗星」、急行「はまなす」など機関車牽引を必要とする旅客列車に使用されているが、JR貨物所属の50番台は後継の複電圧対応のEH800形電気機関車に置き換えられ、既に運用がなくなっている。 
 今後は北海道新幹線開通後、津軽海峡線は新幹線の電圧に切り替わるためED79を使用することができなくなることから、今年度限りで見納めになる可能性が高い。
本州~北海道間の寝台特急、高速貨物がED79の見せ場。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)

JR貨物の50番台は東北本線へ運用拡大した。

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2015年7月8日水曜日

板谷峠とED78。

現在「山形新幹線」の走る福島~米沢間の板谷峠は平均約33パーミルの勾配が続く難所。そのため早期に直流電化されたが、奥羽本線山形(交流)電化の際に交流へに転換することとなり、新たに開発された試作機関車ED94の量産機に対してED78と命名された。 
 仕様は、ED77の試作機ED93で導入されたサイリスタ位相制御方式に加え、制御回路はサイリスタブリッジ方式、中間台車による軸重軽減機構等が採用されたが、一番の特徴は板谷峠を降りるための抑速回生ブレーキを導入したこと。豪雪地域でもある板谷峠を僚機EF71とペアで活躍する傍ら、ED78は軸重軽減機構により仙山線への入線も果たしていた。大きな転換期は山形新幹線工事による標準軌への変更で、在来線機関車は不要となりEF71は廃車。仙山線用で残っていたED78も同線の貨物運用廃止によって役目を終えている。
ED78は大型車体が特徴。電気暖房は50系客車でも使用された。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
最大38パーミルの坂を下る団体列車。ED78+EF71のペアは寝台特急「あけぼの」も牽引した。
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2015年7月7日火曜日

サイリスタ位相制御の先駆車ED77。


 昭和40年代になると電力用サイリスタの発達により主回路電圧制御機構の無接点化が可能となってきていた。一方交流電化は幹線のみならず支線にも導入されるに至って、標準機ED75の入線が困難な低規格路線用の機関車が必要とされ、開発された機関車がサイリスタ位相制御試作機ED93。その量産機がED77となった。 軸重軽減機能としては、空気バネを利用した中間台車を装備し4段階の軸重調整によりで低規格路線への入線を可能とした。
 製造後は全車、磐越西線郡山~喜多方間で客車、貨物牽引に使用され、民営化後はJR東日本へ継承されたが、同区間の路盤強化によってED75が入線可能となったことで役目を終えている。
 会津若松をベースにしたED77が注目を浴びたのは昭和59年の福島お召し列車で郡山~会津若松を12号機が担当したこと。「あかべこ」の磨き上げられた晴れ姿は記録と記憶に残っている。
D51が運行された土曜日には、ED77牽引貨物列車も走っていた。撮影していた人はまばらだったが。
(カメラ CANON  NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
会津若松機関区での10号機。この機関車は後年お召し予備機に指定されている。



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2015年7月6日月曜日

SG(蒸気発生装置)を備えたED76。

 交流電気機関車の決定版ED75の誕生は、交流電化創生期以来、試行錯誤した交流電機の開発に一定の方向性を示すこととなり、ED75をベースに九州地区ED72,73の後継として製造された機関車がED76。本系列の最大の特徴は蒸気発生装置装備により車体が水タンク、オイルタンクの設置でED75に比べて長くなったこと、そして空気バネを用いた中間台車によって軸重を変化させることで低規格線区への入線を可能にしていること。 
 九州での運用は東北のED75同様、ブルートレインから貨物列車まで充当され、特にSGが必要とされた客車、荷物車牽引には優先的に使用されている。
 その後、北海道向けに開発された500番台ではサイリスタ位相制御が導入されるなど従来機と大幅に異なった仕様で誕生したが「SG&軸配置が同じ」という理由で「ED76」の枠組みに含まれたという国鉄らしいエピソードもあった。
 民営化後はJR北海道、JR九州、JR貨物に継承。現在はJR貨物所属車が九州エリアで最後の活躍中である。
九州っ子のED76だが、客車列車の電車化で民営化前に余剰廃車になった車両も多かった。
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP) 
北のED76は「SG付」ということでJR北海道に継承された。

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2015年7月5日日曜日

交流電機の雄 ED75.



C62に合わすべくデザインされた「ゆうづる」のヘッドマークも良く似合った。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RHP)
EF65PF型とほぼ同じ装備を持つP型1000番台。

ED75は、交流区間用電気機関車の標準となった形式で、総製作数302両にまで達した大系列。テリトリーは50ヘルツ地区の北海道、東北全域で、一部60ヘルツ向け300番台は熊本まで運用された。用途は交流区間における特急旅客列車から普通貨物列車に至り、汎用性重視の特徴が活かされていた。中でも白眉は、高速型1000番台による重連運用の高速貨物列車とブルートレインの牽引で、颯爽と高規格路線を走り抜ける姿には魅了されたものだ。
 民営化後はJR貨物とJR東日本に配置が分かれたが、現在、JR貨物では後継の交直両用EH500に置換えが進み、JR東日本では定期運用が既に無くなっている。 
 衰退期に入っているED75だが、775号機が大宮の鉄道博物館に交流電化を語るうえで大きな役割を果たした機関車として保存されており、かつての栄華を偲ばせてくれている。  

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2015年7月4日土曜日

蒸機には悪天候が似合う。

 蒸気機関車の魅力のひとつは、童謡「汽車ポッポ」の歌詞「なんださか、こんなさか」を行く姿にある。特に悪条件下での雨、雪、風は抵抗として機関車に襲いかかるなか、必死に力行する姿に魅了された人は少なくない。人間が造り出した人に最も近い機械と称する人もいる位、魅力的なマシンをどう表現するかが、蒸気機関車撮影の醍醐味でもある。 雨中での待ち時間は厳しいが、なぜかワクワクする気持ちになったのは予測できないシーンが展開されるから。手ごたえのあった日のビールは美味かった。
リバーサルフィルムはシビアな露出が求められる。絞り開放で、ギリギリのシャッターを切る。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
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2015年7月3日金曜日

米どころを行くD51

 D51が遠征したJR東日本環内の沿線には米処が多かった。過去の7月のイベント運転は磐越西線、北上線、釜石線等で行われたが、この時期の沿線には青々と生育している稲が印象的だった。 季節感ということでは梅雨空は絵になりにくいが、この稲は絵になる。 広角レンズで奥行きとのバランスをとりながらD51を待ってみると、加速するD51の煙は存在感を示してくれた。 だが、作品の出来に関係なく、ここ米処の一番のご馳走は新米。宿での夕食が楽しみになって久しい。

横位置では面白みに欠けたポイントでも工夫次第でイメージ通りに仕上げてみる。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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