2015年6月30日火曜日

二つの後悔

 後悔には、「やらなかったこと」の後悔と「やってから」の後悔がある。 作品創りにとどまらず、物事に取り組む姿勢として、「やらなかったこと」か「やったこと」かによってその意味は変わってくる。「次に活かす」ことが出来るのは、結果如何に問わず「やってから」得た経験。 次に繋がる貴重な糧となる。逆に「やらなかったこと」から得られるものは限りなくゼロに近い。
 過去に戻ることはできないが振り返ることはできる。そして、現在~将来は拓くことができる。そしてタイミング。今のチャンスを見逃さない感度を高めておくこと。あとはどう動くかだけ、後悔は「やってから」するべきものだ。
最後のブルートレイン「北斗星」、8月で本当の「さよなら」を迎える(カメラ EOS7D)
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2015年6月29日月曜日

はぁもにぃ。



「いすみ鉄道」は元国鉄 木原線。路線が残っていれば、その先の展望も拓ける。
(カメラ CANON EOS7D)
 第三セクター鉄道の車両は、その路線独特の塗装が施されていることから慣れると有難い。国鉄末期、首都圏色と称された朱色一色に塗られたディーゼルカーが、全国に蔓延したときは「どこのローカル線へ行っても同じ色」の列車が走ることとなり閉口したものだが、そういう路線が第三セクター鉄道に切り替わってから「都会の電車のような」快適なディーゼルカーで色彩も一変して「地元に根付く」鉄道を模索しているのは喜ばしいこと。
 鉄道経営を取り巻く環境は厳しい。第三セクター鉄道だけでなく鉄路存続の道筋は地域との調和。利用者目線でのサービスが提供出来るか否かが、これからは求められてくるのだろう。
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2015年6月28日日曜日

願い事



かささぎのわたせる橋・・・上野は「天の川」が往来した駅。(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
 東北南部は例年より14日遅れで入梅したという。今年は長梅雨の予感もするが、東北の8月は夏祭りの時期、短くも熱い日はまもなくやってくる。
 上野駅に飾られた仙台七夕の吹流しに込めた願いは叶ったのだろうか。こういう光景は微笑ましいものだ。  
国鉄時代はシンプルだった上野駅コンコース。

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2015年6月27日土曜日

望遠の目

 6月最後の土曜は、久しぶりに都電沿線へ出かけてみた。今回は望遠レンズだけ持参したので「望遠の目」での撮影。400ミリ以上の超望遠レンズでは構図作りはファインダーの中で行うことがキモ。これが「望遠の目」。
 今回の目玉はFD-EFコンバータ+FD300ミリF4Lの組み合わせで、APS-Cのカメラに装着すると600ミリF5に早変りする。久しぶりにマニュアルフォーカスでピントを追いかけてみると、フィルム時代の緊張感が蘇ってきた。足の遅い都電は、超望遠マニュアルフォーカスのリハビリには都合が良かったようだ。  


すれ違いはタイミングがポイント。手持ちで臨機応変に。
(カメラ CANON EOS7D)
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2015年6月26日金曜日

お座敷電車「なのはな」。

国鉄末期に千葉地区に登場した「なのはな」号は、日本初のお座敷「電車」。 東北上越新幹線開業後、波動輸送用になっていた165系急行形電車を改造したもので、初めて「クモロ」という表記が使用された第一号。 客車中心だった「お座敷車両」の中で、お座敷電車を登場させた背景は房総地区には客車の配置がなかったこと、牽引機関車を必要としない、直流電化区間であればどこでも入線可能といった電車ならではの機動性、柔軟性のある運用ができることが大きかった。 「なのはな」の成功により、JR後、「お座敷客車」の後継は交直両用「お座敷電車」で置き換えられていったことによって、運用範囲の拡大にも繋がった。ちなみに現存するお座敷電車は485系特急形電車の改造車。「最後の485系列」となる可能性はかなり高い。
お座敷電車「なのはな」、使い勝手の良い3両、6両で営業可能だった。


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2015年6月25日木曜日

ブランケット

 新幹線のグリーン車にはブランケットの貸出しサービスがあることは意外と知られていない。全員分は用意されていないため早いもの勝ちとなるのだが、旅慣れている「常連さん」は乗車時にすぐブランケットをピックアップして席に着く。
 二階建て新幹線で有名だった100系が現役だった頃、備えられていたブランケットには先代の0系のプリントがなされていた。利用者目線でみると、グリーン車に乗車した土産話のネタが見つかったようで、ちょっと嬉しいもの。 国鉄時代のおもてなしは「お洒落」だった。 
 今のグリーン車はコンセントを含むモバイル対応のハード面は充実しているが、かつて導入されていたドリンク、おしぼりといったソフト面でのサービスは消え、「こだま」からは車内販売も消えた。「充電できる座席」だけでは、魅力が乏しくなっている感が否めないのは残念だ。
魅力あるグリーン車にはリピーターができるもの。今は大衆的に「なりすぎた」感がある。
(カメラ FUJI TIARA フィルム フジクローム RDPⅡ)
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2015年6月24日水曜日

フルーツライン左沢線


 左沢線は、山形からさくらんぼ産地で知られている寒河江市を通り左沢を結んでいる路線で、「左沢」は「あてらざわ」と読む難読駅名の一つ。 「フルーツライン」の愛称の由来は、山形盆地の一部でもあるこの地方の扇状地で果樹栽培が盛んなことから来ており、平時は青い専用カラーが施されたディーゼルカーが往来する長閑な路線だが、「さくらんぼ」最盛期でもある6月頃の観光シーズンには観光客向け臨時列車やSL列車の運転で賑やかになる。(2015年のSL運転はJRの観光キャンペーンの一環で9月の運転予定となっている。) 
 左沢線は、平坦路線のため情景的に撮れるポイントを探してみると青空と最上川を入れられる場所が見つかった。SLはイマイチだったが、ディーゼルカーではまずまずの出来だった。この日の成績は1勝1敗。 
梅雨の合間の空はすっきりしないが、切れ目から青空が見えてきた。
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP)


フルーツラインにSLが帰ってきた・・・が、白煙が欲しかった。

ホームが1面しかない左沢駅での入れ替え作業はマニアックもの。
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2015年6月23日火曜日

良いデザインは良い。

 国鉄形ディーゼルカーの運転で注目されている「いすみ鉄道」、数年前から開業当時のレールバスの置換え用として新車を導入してきたが、近年の車両では国鉄キハ52形と良く似た前面デザインを取り入れている。 キハ52と新車350形を比べてみると「瓜二つ」とは言い難いが、「同じ車両の色違い」と見える人もいるかもしれない。昭和のディーゼルカーが平成に再現されたという印象だ。
 そんな中、今回搬入された「300形」増備車は、キハ52顔&塗装をクリームと朱色のツートンカラーに塗り分けられていることが報道されている。形式も「キハ20 1303」という国鉄的な表記で、「303」が本来の車号なのだがクロスシート&トイレ付、1エンジン、両運転台・・・ということから「キハ20」に。平成版は1000番台としたところにも、ファンを唸らせる隠し味が利いている。
 国鉄一般色といわれるツートンカラーは自然に優しい配色。「いすみ鉄道」のキハ52は首都圏色と称された朱色一色になってしまって久しいが、今回のツートンカラーの新車は「いすみ鉄道」沿線にあらたな魅力を吹き込んでくれることを願うばかりだ。    


国鉄一般色時代のキハ52。「懐かしい旅の思い出」が蘇る。 

キハ52顔の350形気動車。二代目ムーミン列車で活躍中。
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2015年6月22日月曜日

空白区間

「ひたち」は速達、「ときわ」は沿線主要駅に停車するのが役目。
 上野東京ライン開通後の常磐線特急の案内。上野駅では高架ホームから発車する品川発と従来通り地平ホームから発車する上野発に分かれることとなった。案内の中でいわき~仙台間は停車駅の表示がなされていない。東日本大震災以後、常磐線は分断されていることに拠るものだ。ここに停車駅表示がなされたとき、復興が進んだバロメータになる。 常磐線経由仙台行特急「ひたち」号が帰ってくる日が待ち遠しい。
上野駅発着特急のヘッドマークをモチーフにしたモニュメント。現在は撤去されている。
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2015年6月21日日曜日

のぼる「下り」、くだる「上り」。

 鉄道の「上り」は東京方面に向かう列車、逆に「下り」は東京から各地へ向かう列車を示すが、急勾配線区ではトンチ問答ではないが、坂を上る(登る)下り列車、坂を下る(降りる)上り列車を見ることができる。 今回の写真は廃線となった信越本線 横川~軽井沢間の横川から霧積温泉へ向かう道路からみたものだが、現像してみて「上り、下り」に気がついた次第。
 3月に開業した上野東京ラインでも東京駅からは同様に急勾配の坂を「下ってくる上り電車」を見ることができるようになった。同じような例は探してみれば、まだありそうだ。
手前は下ってくる上り「あさま」号、奥は押し上げられていく下り普通電車。複線ならではの光景。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)

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2015年6月20日土曜日

こだま形、東海形の折衷「日光形」。

157系、通称日光形電車は、昭和33年日光向け準急「日光」用に製造された系列で、性能的には東海形153系をベースに勾配抑速発電ブレーキを備え、アコモデーションは151系「こだま形」を参考にした「折衷形」。特に前面デザインは傑作の一つで運転台の高さはEF58電気機関車とほぼ同じであることは意外と知られていない。
 「準急」使用ということで冷房設置は見送られたが、側窓は下降式が採用され、窓上部から外気を取り込めるように配慮されていた。特急並みの車内設備により準急「日光」以外にも東海道線の特急「ひびき」に使用されるに至って、全車冷房改造されて新幹線開業前までは東京~大阪を往来した。 この系列で特筆すべきは「貴賓車」クロ157の存在で、現在は185系電車と運転できるように改造されているがJR東日本に健在である。
 汎用性に富んだ系列だったが、実働は19年程で貴賓車を除き全車廃車となった。短命の原因は「下降式」窓による車体腐食。水抜き構造が未成熟だったことと、冷房による結露でアスベストが水を含み車体外板を傷めるに至り、外板更新を行った車両も多かったが腐食を抑えることはできなかった。運用離脱した頃、地方の私鉄が157系導入検討のため実車検分した際、外板状態の悪さに断念したというエピソードもあるほど最後は哀れだった。結果として「折衷」というコンセプトが短命に終わった例ともいえる。後年、似たコンセプトで誕生した185系「特急形電車」の長寿とは対照的な生涯だった。      

準急、急行、特急に使用された157系最後の運用は特急「あまぎ」。
現在の特急「踊り子」の前身でもある。(ネガカラー)
157系風に塗装された185系。




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2015年6月19日金曜日

英国タバコの包装の色

 地下鉄のラインカラーは利用する路線を判別するに重宝する。東京では銀座線はオレンジ、丸ノ内線は赤・・・と基本的にラインカラーは被らないが、丸ノ内線はなぜ「赤」なのか。答えはかつて走っていた電車の車体色が由来となっている。この赤を決めるにあたっては、当時の営団総裁の大英断があったことは有名な話で、ロンドン視察の際にタバコの包装に使われていた赤色に注目して採用されたもの。1954年に「カラー時代」を見越して取り入れた車体色は当初は「消防車」と皮肉られたが、「電車の色」が世間に与えるインパクトは大きかった。当時の国鉄中央線にはオレンジ色の101系電車は登場しておらず、以後ラインカラーは広く定着していくこととなったその先駆けが丸ノ内線だった。現在ではアルミ製の車体にテープでラインカラーが表現されているが、小さくまとまっている感がある。 ラッピング技術が進んだ今こそ「英国タバコの包装」をしてもらいたいものだ。
1954年に登場した塗装デザインだが、今でも驚きを与えてくれる。(ネガカラー)
現在の丸ノ内線02系、メカ更新車にはサインウエーブが復活している。



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2015年6月18日木曜日

迷所も名所?? 



構図にはバランスが大事。主題は紫陽花なので電車は控えめに。
(カメラ CANON EOS7D)
 流鉄流山線、小金城址駅付近の坂川では紫陽花が見頃を迎えている。この場所では花と電車を絡めるというアプローチが定番。だがこの時は「電車をなるべく入れないで『電車』と判らせる」アプローチを試してみた。 結果、黄緑の「若葉」号では良い雰囲気に仕上がったように思う。
 撮影スタンスとして、沿線を総論的に見るか各論的に見るかによってアプローチは異なる。撮影「名所」でないポイントでも各論的な構図であれば活かすこともできる。 「どちらを優先するか」が表現の質を決めることになる。   

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2015年6月17日水曜日

変貌し続ける東横線



地上最後の日、横浜を出る「桜木町」行き。
(カメラ CANON EOS RT、フィルム フジクローム RDPⅢ)
東京と横浜を結ぶ東急 東横線、渋谷と桜木町を結んでいたが、2004年みなとみらい線との相互乗り入れ開始時に東白楽~横浜付近は地上高架線から地下線に移り、横浜~桜木町は廃止となった。横浜駅に出入りする東急電車が一夜にして消えることとなった出来事だったが、2013年代官山~渋谷が地下化され副都心線と相互乗り入れするにあたって同じ出来事が渋谷駅でも繰り返されたことは記憶に新しい。 
 相互乗り入れにより東京メトロ、西武、東武の電車も往来する「東横」線だが、最近は電車だけでは「〇〇線」と判別しづらくなった。次の「変貌」で東横線はどうなるのだろうか。利用者目線に沿った運用を期待したいものだ。
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2015年6月16日火曜日

デザイン革命を起した営団6000系。

地下鉄千代田線を代表する電車が6000系。昭和43年に試作車が誕生した時、その斬新なデザインには驚かされた。特に非常扉を収納した左右非対称の前面デザインは、その後の車両デザインに大きな影響を及ぼし、6000系=「千代田線&電機子チョッパ」を連想する程、この電車の知名度は広まった。全35編成製作され、試作車が2次まで、量産車は7次に渡った。
 今回取り上げた6001-6101編成はその2次試作車。外観上は側面の裾が特徴で、現在も制御メカを更新の上営業運転に就いている。ところがこの編成はその車体構造上、小田急線へは乗り入れることができない。近い将来、小田急、JR両社の車両が相互に乗り入れできるようになると小田急線へ入れない唯一の車両になる。 今後の去就がちょっと気になる「スカート付」だ。

右から昭和44年製、平成4年製、平成22年製。新しさを感じるのはどの車両だろう。
(カメラ EOS7D)
原形に近い、更新改造前の第2次試作編成。
(カメラ CANON AE-1P、フィルム コダクローム KR)

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2015年6月15日月曜日

誰もいない「八幡坂」



凪から動へ、目覚めていく街。(カメラ CANON EOS7D)
先週のNHK「ブラタモリ」で紹介された函館の「八幡坂」は、以前「NIKKEI プラス1」で「一度は訪れてみたいあの坂」第一位に選ばれている。 「まっすぐな坂」が「100万ドルの夜景」を演出するという函館の坂の中でも観光客の往来が多い名所ゆえ、クルマも人もいない「凪ぎ」の時間は日中では稀。 特に函館市電を絡めようとする場合、電車の色もポイントとなる。その点「コカコーラ」広告電車は存在感抜群だった。


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2015年6月14日日曜日

「大塚駅前」停留場

うっとうしい梅雨も時には良し。(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
 都電と薔薇と紫陽花を絡められる都電荒川線「大塚駅前」はJR山手線 大塚駅隣接の立派な停留場。  カラフルな都電はこの雰囲気に合う。 カメラ散歩は肩の力を抜いてからが楽しい。

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2015年6月13日土曜日

目立つモノ、さてどうするか。

 花菖蒲が見頃の小岩菖蒲園で気になった一本の花。一際目立っていたので、これを活かせないか構図を探してみた。こういう撮影では三脚は不向き。イメージ通りにアングルを探すには手持ち撮影が良い。あとは狙った位置でしっかりと「マニュアルで」ピントを合わせてシャッターを切ればOK。「出る杭は打たれる」そうだが、目立つモノは「まずは」活かしてみることだろう。 
目立たないステンレスの車体は、花の引き立て役になる。(カメラ CANON EOS7D)
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2015年6月12日金曜日

カントをつけて走る振子車両。

 昨日のブログでとりあげた「振子車両」は、曲線が多い路線でのスピードアップを目的に開発され、国鉄時代の「自然振子」とJR以後の「制御付振子」に分けられる。
 「自然振子」量産型車両として唯一の存在である381系電車は、中央西線、紀勢線、伯備線に投入され、当初の目的どおり曲線の多い線区での高速化に貢献した。構造がシンプルな自然振子は、曲線に入って遠心力の作用で車体が傾くまでと曲線を出て姿勢が回復するまでのタイムラグ、そして傾く動作が早いことが欠点とされ、特にSカーブが多い山岳線では顕著で「大きく揺れる」「車酔いがする」といった評判がたったこともあった。 その後継車は路線データを元にコンピュータにより最適な傾斜角を制御する制御付振子となり、電車から気動車まで広く普及することとなった。 最近は傾斜角は浅いながら、空気バネ(エアサスペンション)を応用した車体傾斜装置を持った車両がトレンドになりつつある。その代表がN700A。東海道山陽新幹線の主力車両だ。  

車体を傾けてカーブを通過するシーンが自然振子車両の真骨頂。
(カメラ CANON NewF-1、レンズ FD300ミリF4L、フィルム フジクローム RVP)

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鉄道は大勢の人が利用する公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。撮影は鉄道会社、関係者等との信頼関係によるもの。自分だけが安全と思っていてもダメ。ファン同士は良き人間関係を。感謝の気持ちは挨拶から。

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2015年6月11日木曜日

日本初の振り子式気動車

 昭和47年に試作製造された391系気動車は、動力がガスタービン、アルミ車体、そして振り子構造の台車など当時の新技術が採用され、非電化区間列車の高速化を狙った意欲作。試験走行が伯備線、山陰線、田沢湖線等で行われ、最高速度130km/hを記録するなど期待通りの性能を発揮したが実用化には到らなかった。一説には、騒音や燃費問題がクリアできなかったともいわれているが、従来のDMH17系エンジンの「安定性」と比較すると新技術ゆえ劣ったことも否めない。廃車後は大宮工場に保管され、鉄道イベントで展示されたこともあったが、今年初頭に解体されユニークな前面部のみカットモデルとして残されている。 

まだ現存していたとは・・・が第一印象。2000年当時すでにガスタービンは撤去されていた。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2015年6月10日水曜日

ファンはサポーターであれ。

今回の2枚は、同じ機関車の1999年、2014年の姿を写したもの。 1枚は1999年屋外展示という名目で「置かれていた」機関車の前扉が盗難目的で破壊されその代替に板で覆われている写真。これを見て、いたたまれない気持ちになったのは私だけではない。
 マニアの仕業、マナーが悪いと論じるのは簡単だが、犯罪行為までエスカレートした行為はマナー云々だけでは片付けられない。どの分野でも「ファン」の立場はサポーターであって、自己満足を得るためなら手段を選ばないといった行動を行ったときから「ファン」とは言わなくなる。 壊れた信頼関係を取り戻すのは大変なこと。「とる」のは映像や音声だけにしておきたい。
破壊盗難にあったEF6311。当時は荒廃により解体されると思われていた。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)

現在のEF6311。碓氷鉄道文化村の体験運転用に動態復元された。これは奇跡に近いドラマ。
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2015年6月9日火曜日

1989年7月23日。

経営危機が囁かれていた大井川鉄道。新しいスポンサー(オーナー)も決まり、新しい門出を迎える日も近くなってきた。「SLが走る里」として地元 川根茶のパッケージにも描かれているように大井川鉄道の蒸気機関車運行の歴史は、静岡県下のローカル鉄道を広く世間に知らしめた偉大な功績。 その大井川鉄道沿線が最高に熱くなった日が1989年7月23日、蒸気機関車の三重連運転がなされたイベントだった。
 「三重連のため」に大井川鉄道沿線には全国各地から多くの「SL撮り鉄」が集まり、沿線はもとより中には無人の駅に野宿するツワモノも数多くいたほどヒートアップした1日となった。 だがその反面、我がモノ顔で茶畑に進入する、ゴミのポイ捨て、無断駐車、車での追っかけ等「撮り鉄」の行った行為が、SL撮影に好意的だった地元住民からヒンシュクを買うこととなり、SLイベントに対して距離を置かれるようになったことは大きな失点になった。そのため、「ここでしか実現できない」SL三重連イベントも以後は2001年に行われただけで中断している。新生、大井川鉄道には観光客をワクワクさせるイベントのみならず地元に信頼される足としての鉄道であってもらいたいものだ。 

C56+C12+C11による「かわね路」号。圧巻の三重連だった
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクロームRDP)
「かわね路」号の前を走ったじ臨時SL急行「南アルプス号」。合計4台の蒸機が稼動した。




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2015年6月8日月曜日

カートレイン

 国鉄末期1985年に登場したカートレイン、余剰となっていた特急寝台客車と高速貨車を組み合わせた「混合列車」で、マイカーと共に列車移動するという創意工夫のアイデアだった。 車を積み込むため発着は旅客駅ではなく、貨物ターミナルである汐留~東小倉という運転区間も異色でもあった。積載できる車の制約はあったが、運転開始後はフェリーより早く到着することから人気となり、臨時列車でありながら需要は高かった。寝台はA寝台だったが車内販売、食堂車といったサービスはなく寝台に括り付けの移動でもあった。好評のうち民営化後には東京~白石(札幌)方面、名古屋~東小倉といったルートも開拓され順調に見えたが、九州方面は早期に運行中止となったのはJR旅客会社間の料金清算問題とレンタカー市場の充実、飛行機の格安宿泊パックといった環境変化によるところが大きかった。とはいえ、カートレインは旅客貨物を全国ネットで輸送できた国鉄ならではのアイデア。誕生時期が遅かったのは残念だった。 

20系客車+10000系貨車のカートレインは、最高速度100km/hで走破した。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RFP)

専用のヘッドマークは三日月をイメージしたもの。
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2015年6月7日日曜日

60扉の通勤電車



103系15連は凄いの一言に尽きた。後継のE231系も15両運転が続けられている。
(カメラ CANON EOS-1NRS、レンズ EF600ミリF4L、フィルム フジクローム RDPⅡ)
 常磐快速線は、4扉通勤型電車で初の15両運転を行った路線として知られている。増加する通勤客を15両化で対応する施策は、3扉の近郊型電車が走っていた東海道、東北、高崎、総武快速、常磐では見られたが、4扉の通勤型電車では常磐快速線が唯一の線区。つくばエクスプレス開業で乗客の流れが変わったといえ、片側60扉の重厚な通勤電車は日々東京を目指している。
 
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2015年6月6日土曜日

潮来と「あやめ」。



「あやめ」は鹿島線特急の愛称でもあった。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)
 「あやめ」と「しょうぶ」は漢字では同じ「菖蒲」と書く。その違いはネットで紹介されているのでそちらを見ていただくとして、6月は水郷潮来で「あやめ祭り」が開催されている時期。潮来のあやめ園はJR鹿島線 潮来駅から近いことから、途中下車して散策した時のスナップ。 鹿島線を行く電車は様変わりしたが、「菖蒲」の旬は変らない。

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2015年6月5日金曜日

登り下りの蘇我駅



縮小が続く内房線特急。撮影当時はグリーン車が外され、今春からは君津止りになった。
(カメラ CANON NEWF-1、フィルム フジクローム RVP)
 蘇我駅は、京葉線、外房線、内房線が発着する分岐駅。特に京葉線が乗り入れてからは東京へのアクセスとして千葉県下でも重要な駅の一つでもある。その京葉線から蘇我駅への進入は滑り台のようなアプローチになっている。10両編成の通勤電車が往来する中、この坂を行く特急列車は良いアクセントになるが「坂」には短い編成は似合わない。その点では、古い「さざなみ」号は収まりが良かったものだ。 ホーム先端からの撮影のため、周囲への配慮は忘れずに。   

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2015年6月4日木曜日

1形式1車種だった163系。

1車種のみの163系。小学生の頃、この車両を見たときは驚き、正体を調べるため本を漁った記憶がある。
(ネガカラー)
  国鉄163系電車は全7両でしかもグリーン車のみ存在した系列。同じグリーン車のサロ165と外観上同一なのでナンバー以外に区別が付き難い車両だった。 製造の背景は急行用グリーン車の冷房化率向上のためで、非冷房だった153系急行グリーン車の置換えに充当された。ではグリーン車以外の車種はどうなったのか。結果として製造はされなかった。計画段階で想定されていた平坦線用163系、勾配、寒冷路線用165系の区分は製造段階では165系に統一されたことによるものだ。交流60Hz向け交直用473系のように2車種で各1両のみという系列もあったりと、国鉄時代の車両は趣味的には面白いものだった。 
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2015年6月3日水曜日

陽炎をまとうEF63。



碓氷峠を下る客車列車は圧巻の三重連だった。
(カメラ CANON NEWF-1、フィルム フジクローム RVP)
 電気機関車の電気ブレーキは、発電ブレーキと回生ブレーキに大別される。理論的にはフレミングの左手、右手の法則が利用されるが、間単に言えば、制動用に電動機を発電機として使用し発生した電力を抵抗器で放熱するか、架線に返すかというもの。直流区間の勾配線区では安定したブレーキ力確保のため発電ブレーキが採用され、66.7‰の碓氷峠用EF63、62では降坂時に重要な役割を果たしていた。機関車から出る陽炎は発電ブレーキの証し。逞しき「峠のシェルパ」は1997年峠を降り、一部の車両は碓氷鉄道文化むらで体験運転用として余生を過ごしている。
 
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2015年6月2日火曜日

C62 3を想う。

整備を受けるC62。スケールの大きさに圧倒される。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)

 6月2日は「ロクニ」ということで、1988年から1995年まで復活運行したC623を取り上げてみたい。C62は戦後誕生した狭軌最大の旅客用蒸気機関車で東海道・山陽等の特別甲線の特急、急行列車牽引に使用された。写真の3号機は北海道では函館本線の急行「ていね」「ニセコ」に使用され、1976年現役引退後は手宮に保存されていた。その後、国鉄最後の日の1987年3月31日に小樽築港構内を走行できるよう修理、その後正式に復元工事がなされ、1988年本線復帰した。現代の若いファンからは「C62伝説」と称されているが、振り返ると北海道「国鉄マン」の熱い想いが込められた出来事のように感じたものだ。C62の魅力は「百聞は一見にしかず」の諺の通り、実際に接しなければわからない。最高速度85km/hで走行する姿は、煙を出す「電車」という印象でもあった。1995年11月、再度火を落としてから19年が経過している。三度の復活を願うファンは多いが伝説には触れないほうが良い。最近そう思うようになってきた。 

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2015年6月1日月曜日

入梅近し



カラフルな都電は緑に映える。(カメラ CANON EOS7D)
 6月になると、都心部の新緑も濃さを増してくる。その緑を前ボケにしてファインダーを通してみると都電沿線からも、入梅近しを感じさせるムシムシした空気感が伝わってきた。 さて、今年の入梅はいつ発表されるだろうか。
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