2016年11月30日水曜日

一度きりの餘部詣で。

 山陰本線の名勝、餘部鉄橋がコンクリート橋に架け替えられて久しい。それまでの鉄骨組みの雄大な鉄橋は憧れの地であったが、訪れたのは橋の架け替えが囁かされ始めた一度のみ。 1986年の列車転落事故後に設けられた柵には目をつむり、早朝の「お立ち台」に立つと朝日に照らされた普通列車が目に飛び込んできた。 
 橋は変われどもここから見る日本海の風景は変わらない。今後登場する豪華クルージング列車は、この地ではどのように映えるだろうか。その頃に再訪してみたいものだ。  
更新改造をされたキハ47形気動車
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP100)

陽が昇った頃に通過する寝台特急「出雲」、国鉄時代は寝台券が取り難い列車だった。

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2016年11月29日火曜日

粉雪舞う季節

 先日、関東で半世紀ぶりに初雪が降ったのには驚かされたが、来月からは「本来の」初雪の季節になる。 今回は粉雪舞うJR上越線 津久田付近の風景だが、とにかく寒かったことが思い出される。 今年はどのような光景に出会えるのだろうか、天気予報で雪という報道がなされるとワクワクするのはいつの頃でも同じだ。 さて今週末の彼の地の天気はどうだろうか。   
かぼちゃ電車のいる光景。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ) 

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2016年11月28日月曜日

マルチプルタイタンパ-

 先日開催された「マリフェス2016」でコアなファンを集めていたのがマルタイ、正式名称マルチプルタイタンパーの実演で、防音カバーを外し駆動する爪の部分が見れるようになっていた。このマシンの用途は砂利が敷かれているバラスト軌道の保線用で、列車走行によって生じるレールの歪みを修正するためバラストを突き固めるもの。人力ではツルハシ等を用いた人海戦術で行っていた作業を大幅に改善しており、説明文によると一晩で1キロのメンテが可能という事だ。保線作業は終電から始発までの限られた時間内での作業となるので、まず一般の人の目に留まることはない。その実演が見られるというのは、縁の下ならぬ「線路下の力持ち」にも脚光をあてた展示として有意義な事だ。
この東鉄工業のマルタイはNゲージで製品化されている。 

カバーを外した駆動部、ミリ単位で線路を持ち上げ「爪」で突き固める。
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2016年11月27日日曜日

マリフェス2016

 昨日、幕張車両センターで開催された「マリフェス2016」、「マリ」とは幕張車両センターの略称「千マリ」から来ているもので、毎年の開催ではないこともあり子供向けのイベントではあるが来訪者は多かった。狭いイベントエリアだったが、皆さん楽しんでいたようだ。 そんな晩秋の一時をスナップしてみた。  
特製の幟がお出迎え。

お、つ、か、れ、さ、ま

安全塔

14年目の植樹

エントランス
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2016年11月26日土曜日

千登世橋

 いつもの秋を探しに千登世橋へ。朝方の凛とした空気の中を歩いていると、狙っていた銀杏は色付きが今一つ。 今日はハズレか・・・と思っている中、千登世橋陸橋から都電を眺めていると今では貴重になった老雄7000形が続けて3台も来るではないか。 これはラッキー!と気分が高揚するとそれまで気づかなかった紅葉が見えてきた。ここは何も変わっていなかった、それだけで満足だった。
この橋の傍にはメトロ雑司ヶ谷駅がある。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年11月25日金曜日

RUNNERたち

 松戸市七草マラソンは、小学生から一般大人まで参加できる市民マラソン。そんな中、松戸市制70周年を記念した2014年には初のハーフマラソンが実施された。そのコースには新京成線沿線沿いが含まれていたので、今回の一枚は電車とランナー達を絡めたシーンを狙ってみたもの。時系列でいえばピンク塗装の新京成電車での再撮をしたいところだが、この年以降ハーフマラソンは設定されていないこともあり、その機会はまだ先になりそうだ。
配慮すべきポイントは、ランナーの顔を控えめにする事。
(カメラ CANON EOS7D)

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2016年11月24日木曜日

霙の朝

 今朝は11月というのに雪が舞った。54年ぶりの雪と言われてもピンとこないが、雪化粧していく紅葉を見ていると、ここは北日本エリアではないのかと思ってしまう程だ。 
 それで思い出したのが今回の一枚、霙の中を行く「スーパーひたち」を狙ってみたもので凍えるフィールドと車内の表情との対照が面白かった。撮影時期は2月、これを平常とすれば約半世紀ぶりの11月の降雪は異常現象なのだろう、でも今年は何かおかしい。 落葉に積もる雪をみて思った。
視界の良い窓は楽しい
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDPⅢ)
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2016年11月23日水曜日

華やかなガード下

 ショッピングステーションの上野駅には、記念碑のある「あぁ、上野駅」の時代とは違う空間に溢れている。 薄暗いイメージのあった不忍口のガードも今は洒落た雰囲気に変わっているが、昔この場所に何があったのかを思い出せないのは人の記憶の儚さというものか。
 そんな中、上野東京ラインを行く「ひたち」号が刻むジョイント音からは、かつてこの路を往来した列車を偲ぶ事ができる。「はつかり」「とき」「あさま」・・・往年の特急の記憶は今も心に刻まれている。
今と昔の交錯。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)

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2016年11月22日火曜日

クリスマスヘッドマーク

 巷ではクリスマスイルミネーションに飾られる頃、磐越西線で運行されるクリスマストレインには毎年特製ヘッドマークが装着される。当初は普通のヘッドマークだったが、いつの頃からか電飾&ヒイラギで飾られるようになった。電飾は昼行の会津若松行では目立たないが、薄暮の時間帯になる新潟行では存在感を増すというカメラマンにとっては嬉しいクリスマスプレゼントだ。 今回の一枚は停車中の機関車の先頭部を狙ってみたもので、蒸気に煙るクリスマス装飾とヘッドライト の光跡が印象的だった。
煙る光。
(カメラ CANON EOS7D)

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2016年11月21日月曜日

車両転属の妙

 国鉄時代、趣味的に面白かったのは車両の転配属。鉄道趣味誌では、毎月のように全国規模で車両の移動がなされていたことが記載されており人気の記事だった。車両転属は新車投入によって玉突き転属するケースも多いことから、一朝一夕ではなく数年前から計画されるシステマティックなプロセスでもあった。広域転属の例として有名なのはキハ80系気動車のキハ82 902号車で、東北初の特急「はつかり」の1等車から先頭車&2等車格下げ改造ののち鹿児島に配属され、電化の延伸に伴って和歌山、秋田を移動し最後は札幌に落ち着いている。 
 分割民営化によって車両は自社クローズが主となり、会社間を越えての「転籍」はレアケースとなっている。そんな中、東海道山陽新幹線では車両の世代交代期にはJR東海からJR西日本へ車両譲渡がなされるケースがある。今後、次世代のN700S系が登場すると現行のN700A系も過去の例に倣って配転されるのだろうか。これも面白そうだ。
新快速へ117系投入によって捻出され大阪(宮原)から東京(田町)へ転属してきたクハ153。 
(ネガカラー)
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2016年11月20日日曜日

憧れのリゾート列車

 国鉄末期の北海道に登場した「アルファ・コンチネンタル・エクスプレス」に続いて誕生したリゾート車両が「フラノエクスプレス」。特急用80系気動車を改造した車両だが、車体は一新されハイデッカー仕様の客室は当時の特急グリーン車を凌ぐクオリティだった。更に、この車両を有名にした企画としては、ANAとタイアップした「ANAビックスニーカー」トレインとなったこと。当時、内地からの観光客が、憧れの観光地を「非日常的な、少しリッチな列車」で旅することはお金に換算することはできない「思い出」となったようだ。
 北海道観光の優位性をポーカーに例えてみると東日本エリアの「フルハウス」より北海道の「ワンペア」が勝る程、北海道には「憧れの大地」という潜在的なブランドがある。その中で観光リゾート列車に求められるのは、奇をてらったコンセプトやモデルルームのような居住設備のクルーズトレインではなく、「少しリッチな中流の旅」が落としどころになるはずなのが、実際は「日常利用しているような電車」が大手を振っている状態となっているのは、やり繰り上手な北海道にしては歯がゆい感じがある。
 厳しい経営環境下のJR北海道だが、今後は強い信念のもと新しい道筋を示し魅力的な観光地へ誘う「北海道らしい驚きのある」リゾート列車の誕生を期待したいもの。
リピーターになる切っ掛けは「思い出」に起因する。その一端が鉄道であっても一向におかしくはないのだから。
余市を行く「フラノエクスプレス」、改造車ながら新時代の車両を予感させたものだ。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)

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2016年11月19日土曜日

車両見本市の「急行東海」。

 準急、急行時代に東京と中京地区を結んでいた「東海」号、国鉄時代は大垣電車区をベースに東海形153系電車を中心に12両編成で運転されていた。中心という表現を使ったのは、この列車には様々な車両が使用されていたことによるものだ。冷房車、非冷房車が混在した153系の他、163系、165系、155系も使用され急行形電車のカタログのような編成だったこともあった。
 背景として、新幹線が頻繁に運行される中での東海道線「急行」では12両は供給過剰のきらいもあったが、大垣夜行を含む東京圏への普通列車運用があったことから長編成が必要とされたことにある。そのため、中京圏運用に使いづらい異端的な車両が集められたようだ。 今回はそんな見本市のような車両の一部を紹介してみる。
クハ164形、153系からの改造車。
一車種のみ163系(本ブログでは再掲)


急行形改造後の修学旅行用155系。

冷房準備工事車のクハ165形。 


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2016年11月18日金曜日

寝台幅106cm 。

 このブログでも何度か紹介している世界初の座席&寝台兼用電車の国鉄583系、従来の2等寝台(B寝台)の寝台幅が52cmだった中で、583系では上中段で70cm、下段に至っては106cmのスペースが確保された画期的な寝台車だった。これは寝台の設置に関して開放式A寝台同様の線路と並行に配列されたプルマンスタイルを採用したことにより、寝台幅の拡大が可能となったことが大きく、下段では四人掛けボックス座席から寝台へ転換することで誕生した結果が106cm寝台になったもの。 幅の拡大された寝台は利用者からは好評で、上中段の幅70cmは後のB寝台の標準にもなった。現在、「最後の国鉄寝台」の583系に乗車できるのは、東北地区から東京ディズニーランドへの団体列車やイベント列車が主になっており、予備車なしの1編成だけでもあることから今後の去就が注目される存在となっている。
寝台状態の下段、座席をスライドさせてマットレスを敷いてセット完了となる。
座席状態の車内、ここから座席部が下段、網棚部に上段、網棚と座席の間に中段が組み立てられる。

「はつかり」は東北初の特急、夜行の「はくつる」、「ゆうづる」と共に北海道連絡に活躍した。

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2016年11月17日木曜日

あかがね

 色温度が下がってくる時間帯の光は不思議な演出をしてくれる。黒い蒸気機関車が銅のような「あかがね」色に染まる一瞬は思わず息をのんでしまうほど魅力的だ。今回の一枚は、独特な形のデフレクターを強調するため、輝るタイミングを狙って撮ってみたもの。蒸気機関車の凄みを実感するヒトトキだ。 
独特な形状の「後藤デフ」、国鉄時代は取り付けられた例が少なiいレアな存在だった。
(カメラ CANON EOS7D)

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2016年11月16日水曜日

目覚め

 眠りから覚めたかのように、収納庫の扉が開けられるとC62のヘッドライトがゆっくり点灯し始めた。 C62ニセコ晩年の頃は、小樽築港で朝の挨拶を済ませた後、函館山線沿線に移動するといった行動パターンに変わった。その背景には生きているC62と接せられる機会の重要さを知ってから。今から振り返ってみるとこの当時はファンとJR職員との間には不文律があり、そこには行き過ぎた行動はなかったように思う。 今は「良い意味での」不文律が薄れつつあり、分別がつく世代でも「他の人がやっているから・・・」といった詭弁がまかり通るようになってしまった。 C62ニセコの頃から変わったのはJR北海道だけではない、心の豊かさも目減りしてしまったのではないかと最近危惧している。       

「スタンバイOK!」
 (カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
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2016年11月15日火曜日

繋ぎに徹した新幹線リレー号

 1982年(昭和57年)の11月15日は上越新幹線の開業日。同年6月に先行開業していた東北新幹線共々、大宮発着の暫定開業であったため大宮と上野を結ぶ「新幹線連絡専用」列車として運行されたのが新幹線リレー号。 国鉄としても当時最新鋭の185系電車を投入し、上野、大宮両駅では発着ホームを限定するなど新幹線利用客専用らしい配慮がなされていた。   
 心無いファンからは、「新幹線によって廃止された在来線特急の敵」として八つ当たりされていたリレー号だったが、1985年の上野開業までの間、東北、上越新幹線アクセスに徹した功績は大きかった。
 振り返ってみると、1982年は鉄道にとって良くも悪くも激動の年だった。新幹線リレー号は、この年を語るには欠かせない存在だと思うのは私だけではない。それ程、異色の列車だった。
リレー号用の185系電車は今も特急「踊り子」や波動輸送で見ることができる。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
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2016年11月14日月曜日

いつもの秋

稀に飲食店で見かける「春夏冬 中」の看板、「秋ない(商い)」中と解釈する粋な言葉遊びだが今年は天候も「春夏冬 中」になっているようだ。そんな中で自然界はきまぐれな天候に遅れまいと「秋」を加速させているようにも思える。 公園を散策していると良い感じに紅葉している樹があったので、今回はこれをテーマに短い秋の風景を表現してみた。 
下から仰ぎ見ると「いつもの秋」がそこにあった。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年11月13日日曜日

ヤチョウ、イチョウ&ケイヨウ貨物

 秋らしい穏やかな天気に誘われて近くの公園に出かけてみると、思いがけなく銀杏が見頃をむかえていた。そして公園の野鳥観察舎ではバードウォッチャーが朝早くから楽しんでいる。 野鳥&銀杏、ゴロとして「あと一つ」欲しいなぁと思いながら、カメラを構えていると京葉貨物がやって来た。ケイヨウ・・・これでうまく韻を踏めただろうか。鉄道写真にはこういう遊びも悪くない。   


「桃太郎」EF210形は、武蔵野線ではおなじみの機関車。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年11月12日土曜日

房総縦断列車への期待。

 小湊鉄道のディーゼルカーは、前後に運転台が付いていることから1両単位で増結可能な車両。
今回の一枚は2011年に撮ったものだが、増結されて4両編成となっている。当時は「珍しいなぁ」と思った程度だったが、今でも4両運転が可能であれば同系のエンジンを搭載するいすみ鉄道の国鉄形気動車との組み合わせも期待したくなる。五井から大原まで房総縦断列車で舌鼓をうつ・・・という旅も悪くなさそうだ。昔から話題になりながらも実現しない房総縦断列車。さて切っ掛けをつくるのはどちらの鉄道だろうか。 
小湊鉄道の紅葉は11月からが見頃。
(カメラ CANON EOS7D) 
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2016年11月11日金曜日

穴場だった冬季の「まりも」

 札幌と釧路を結んでいた特急「まりも」は、定期列車として2007年に廃止されるまで北海道内発着の唯一の夜行特急列車だった。 客車急行時代から釧路行夜行列車は寝台車主体で運行されていた経緯もあり、特急に格上げの際もディーゼル車に寝台客車を連結する北海道独特のスタイルで運行されていた。廃止前の特急「まりも」でユニークだったのは冬季期間になる11月~5月の間では寝台料金が3000円だったこと。通常時が6300円なので約半額のサービス価格だったが、道内列車ということもあったためか内地での認知度は低かったようだ。私は2006年釧網線での「冬の湿原号」撮影の帰路、「まりも」で移動すれば新千歳空港から朝一番の東京便に難なく間に合ったことから「3000円寝台」を利用してみたが、「まりも慣れ」した利用客が多かったことが印象的だった。寝台車での移動は鉄道ならではの利点だったが、いまや夜行は「安く移動できる」バスの時代になってしまった。バブル崩壊後「失われた20年」での旅の変化には驚くばかりだ。 
釧路駅で出発前の「まりも」をスナップ。 札幌へは7時間の旅だった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP100)

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2016年11月10日木曜日

街、色づく。

 季節感に乏しいといわれる都市部でも、視点を変えてみると秋らしい光景が見つかるもの。東京交通会館3Fにある屋上庭園「有楽町コリーヌ」に立ち寄ってみると色づいている植木があったので、これを主題にして背景に新幹線を絡めてみることにした。まもなく黄色い新幹線「ドクターイエロー」が通過。その一瞬だけは無機質な街が秋色に染まったように思えた。
「のぞみ検測」が有楽町を通過するのは正午頃。
(カメラ CANON EOS7D)

  
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2016年11月9日水曜日

王室のバラ

 秋の薔薇のシーズンを迎えている都電沿線の大塚~向原 間で見つけた「王室のバラ」。花の事は詳しくないが、そういわれてみると何か気品があるように思えてくる。この薔薇を引き立てるため、背景には緑をベースにした広告電車を選んでみた。こういう色の組み合わせを楽しむのことができるのも都電撮影の面白さだ。
気になる看板をスナップする。これもカメラ散歩の楽しみ方。
(カメラ CANON EOS7D)
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2016年11月8日火曜日

ぼくの好きなトウキョウ

 東京都交通局のシンボルマークに使用されている東京都のシンボルマークは、「東京都の木」イチョウの葉をイメージしたものと思っていたが、実は「トウキョウの『T』」をアレンジしたものだそうだ。なにやらどこかで聞いた話だなぁと思ったが、個人的は「東京は銀杏」のイメージが強い。
 早稲田に居る掛かりつけ医へ立ち寄った帰路は、遠回りになるが都電沿線を散策することが定番となっている。その中で秋は学習院下付近の明治通りの銀杏が白眉だ。この場所で暫しの間、色鮮やかな都電を眺めているとしっくりくる車両が見つかるもの。この日はオリジナルカラーの7000形が際立っていた。
学習院下ではは歩道橋の上から安全に撮影できる。
(カメラ CANON EOS7D)


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2016年11月7日月曜日

人間模様

 人のいるホームには表情がある。露出を控えめにホーム上の人達を表現してみると様々な人間模様が見えてくるのは面白いものだ。将来、ホームドアが普及するとこういった見通しの良い光景は見ることができなくなるだろう。 それまでの間は、ホームで人が織り成すドラマを記録しておきたいものだ。
構図はシンプルが一番、ここでは進入してくる電車で建物を隠している。
(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)

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2016年11月6日日曜日

イメージを求めて

 地方へ遠征する時期と旬の風景が合致することは、結構難儀するもの。特に週末にしか運行されない蒸機列車が走る不慣れな路線ではロケハンがとても重要になる。 機動性のあるクルマ移動では、目的地が決まっていればカーナビは有効だがロケハンでは25000分の1の地図やロードマップが役に立つ。 今回の一枚は「ばんえつ物語」運行当初の作品だが、紅葉の見頃が過ぎて山だけでは様にならない事から「森と水とロマンの鉄道」らしいイメージを表現できればと川の対岸の集落へあたりをつけて撮ったもの。クルマではざっくりとした場所まで行けるが、最後の詰めは自分の足が頼り。ロケハンの醍醐味はイメージを表現する場所を模索すること。それがオリジナルのポイントとして記憶に残っていく。        
秋景色を行く。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)
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2016年11月5日土曜日

Hey! PASS!!

 電車に広告が貼られるようになると、時には面白い瞬間に出会うこともある。千葉ジェッツ応援電車からパスを出す選手の先にはスマホに向いている女性が。 「ほら!行くぞ!!」って・・・気づきはしないか。 嗚呼、勝手なストーリー。 
面白い気づき。これが次に繋がる。
(カメラ CANON EOS7D) 
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2016年11月4日金曜日

山峡のスポットライト

 望遠レンズの目で渓谷を眺めると、山間に差し込む光が飛び込んできた。 ここに列車を入れたら面白そうだと露出を控えめにして暫し待つことに。 ディーゼルカーの屋根にスポットライトが入った瞬間を狙ってシャッターを切る。目立たないキャストが主役に躍り出たような光景だった。  
ここは元 山陰本線保津峡、今は嵯峨野観光鉄道となっている。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
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2016年11月3日木曜日

あの日

 今朝の寒い空気から、ふと思い出した11月3日の出来事。今回の一枚は、平成7年11月3日 15:53 函館本線 塩谷駅を発車する「C62ニセコ」号。撮影には厳しい状況下だったが、8年に渡るC62復活の最後の本線走行を記録しておきたく無心で撮ったものだ。 この日を最後にJR北海道のC623号機は火を落とし、保管場所の苗穂工場で再び長い眠りにつくことになる。 
この3号機は渡道したC62の第一号、JR北海道の宝に相応しい機関車。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ) 

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2016年11月2日水曜日

急行「ときわ・奥久慈」

 急行「奥久慈」は、上野から水郡線を経由し常陸大子、磐城石川を経て郡山に到達する列車と途中の上菅谷で切り離し常陸大田へ向かう列車が共存したディーゼル急行列車。上野~水戸間は8両編成の「ときわ」号と連結し最大12両で常磐線を走破する姿は圧巻だった。ユニークだったのは、お盆などの多客期には「ときわ」号のグリーン車を含む3両が「奥久慈」に併結され水郡線に乗り入れていたことで、気動車の汎用性の高さが活かされた好例だった。急行「奥久慈」号が廃止されたのは昭和60(1985)年。以後常磐線は特急中心の路線へ変貌していくことになる。
手前から4両が「奥久慈」、奥8両が「ときわ」、平坦線の常磐線では1エンジンのキハ28形が活躍した。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RD)
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2016年11月1日火曜日

「青春18」電車

 2015年2月13日の本ブログでも触れているが「京成、新京成」クローズ期間だった高校時代に利用していた京成3500系電車、今は最古参になってしまったが当時は「冷房車」として一目置かれる存在で、夏場にステンレス車体が見えた時は、ラッキー!と誰もが思ったものだ。 現在は更新改造を受けて外観の変わったグループが主になっているが、その中には当時の車両も含まれているのは感慨深い事だ。
 現在、3500系は4両編成の普通列車で主に運用されているが、今月のダイヤ改正では千葉線普通列車6両化の推進により活躍の場を狭める事になり、最後の聖域は4両編成限定の金町線になりそうだ。合わせ未更新のオリジナル編成は残すところ1編成となっている。今後の3500系の動向には注目したいところだ。
オリジナルの編成は残すところ1編成
更新工事後の姿、トップナンバーを先頭にした特急
(カメラ CANON EOS-1N RS、レンズ EF600ミリF4L、フィルム フジクローム RDPⅡ)
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