眠りから覚めたかのように、収納庫の扉が開けられるとC62のヘッドライトがゆっくり点灯し始めた。 C62ニセコ晩年の頃は、小樽築港で朝の挨拶を済ませた後、函館山線沿線に移動するといった行動パターンに変わった。その背景には生きているC62と接せられる機会の重要さを知ってから。今から振り返ってみるとこの当時はファンとJR職員との間には不文律があり、そこには行き過ぎた行動はなかったように思う。 今は「良い意味での」不文律が薄れつつあり、分別がつく世代でも「他の人がやっているから・・・」といった詭弁がまかり通るようになってしまった。 C62ニセコの頃から変わったのはJR北海道だけではない、心の豊かさも目減りしてしまったのではないかと最近危惧している。
私、尾澤尋史が撮影した「画像創作人『鉄道写真』」を徒然なるままに撮影地・撮影ポイントのエピソードや使用したカメラの情報等も織り交ぜながら、こぴっとブログにアップしています。 ↓ 閲覧件数が多いブログです。(PCで御覧下さい。)
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