2016年5月3日火曜日

麗しき半流型クモハ53。

流電亡き後、飯田線では白眉だった半流型クモハ53。
( カメラ CANON NewF-1、フィルム コダクロームKR)
 
今日は、5月3日ということで国鉄電車の「53」をとりあげてみたい。 写真のクモハ53008号は、京阪地区で「急行電車」を運転するために製造された「流電」クモハ52形の3次車にあたる車両で1937年(昭和12年)の製造。当時の車番はモハ43040で後に出力増強改造がなされクモハ53形と改称している。外観上の特徴は、車体構造は「流電」を踏襲していたが前面を流線型から同時期に誕生していたクモハ40、51の半流型とした事で、当時のファンからは「流電と一般車との折衷」という意味の「あいのこ流電」という愛称で親しまれてきた。
 後年、飯田線に集結した流電一族だったが、その最後を飾ったのもクモハ53008で1983年(昭和58年)飯田線旧型国電の「さよなら列車」の先頭に立ったことが最後の足跡となった。振り返れば1958年(昭和33年)に転入した飯田線が、終の棲家となるとは関西時代には想像できなかったこと。仮に、あと数年遅ければイベント用に旧型国電、旧型電機を復元したJR東海の「目玉商品」になったかもしれないと思うとあっけない幕切れだったことは残念でならない。
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