基本設計はC51の後継として丙線規格の路線へ入線可能としたものだが、同じコンセプトで製造されたC54形機関車の失敗を踏まえた改善が図られている。 C55形を有名にした内容の一つに1936年製の2次車で採用された「流線形」構造がある。EF55形電気機関車、流電52形電車と並び流線型ブームの中製造されたのは21両、少量生産に終わった両車種とは異なり、四国を除く各地に配属されたことは特筆されるエピソードだ。 C55の全製造両数は62両に終わったが、更に改良を加えた後継のC57共々使い勝手が良かった事から重宝され、最後に火を落としたのは1975年だった。
現在、各地で復活している蒸気機関車には、「1750ミリのスポーク動輪」を持つ機関車がいないことからも、C55の動態復元には価値があると考えるのは私だけだろうか。
スポーク動輪を透した景色は、どう見えるのだろうか。 (カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP) |
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