2016年5月25日水曜日

北の牙城の終焉

 東北新幹線開業前、上野と青森を結んだ東北特急の黄金期を支えたのは、「盛アオ」の略称で知られた盛岡鉄道管理局青森運転所。昼行の485系、夜行の24系、昼夜兼用583系など多数の特急車両を要する北の牙城だった。特に昼行485系は青森特急のみならず上野口から仙台、盛岡特急にも充当されたため出区して7日近くも所属区戻れないほど複雑な運用をこなしていた。
 新幹線開業後も新幹線連絡特急と寝台特急を担っていたが、寝台特急「あけぼの」廃止後は役目は青函連絡特急「白鳥」と「つがる」となり、北海道新幹線開業に伴なって車両配置がなくなったことで「盛アオ」は消滅した。 時代の流れとはいえ、品川、田町に続きかつての栄華を誇った車両基地がまたひとつ役目を終えたことになる。 今回は在りし日の盛アオ車の活躍をアップしてみた。 

昼行特急「はつかり」は青森行、北海道連絡と東北都市連絡の二つの役割があった。

583系寝台特急「ゆうづる」、昼行「はつかり」とペアで青森と上野を往復した。

いく通りか運転経路が変わった青森「あけぼの」、寝台車は青森区所属だった。





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