2016年1月31日日曜日

ピンチ?それともチャンス??

 沿線の足となる普通列車が減便となって久しい大井川鉄道、その不便さを実感する機会があったので振り返ってみたい。JRとの接続駅の金谷から大井川鉄道で移動しようとすると、電車は7時台以降は9:01、11:04まで間隔が空くことになり、「SLかわね路1号」を「撮影するだけ」なら11:04金谷発の電車で大丈夫だが、その11:04発の普通電車を撮ろうとすると事は簡単に行かなくなることがわかった。
 断っておくが東京7:03発の「ひかり」号に乗れば静岡乗り換えで金谷には9時前に到着する。ところが「青春18きっぷ」など「普通列車」利用となると東京5:20発でも9時には間に合わない。そこで調べてみると沿線にある「川根温泉」へは平日限定だがJR島田駅からコミュ二ティーバス+送迎バスで行けることがわかった。島田駅10:00発に乗ると10:56川根温泉に着くので、隣地にある第一鉄橋であれば楽に撮影できる。驚くべきことは料金でコミュ二ティーバスが200円、送迎バスは無料ということ。コスト面だけで言えば大井川鉄道に勝ち目はない。だが道路の状態からかバスの乗り心地は決して良くはなく「安いから仕方ない」といった印象もあった。さて大井川鉄道、次の一手はどうするのだろうか。
遠くなるのか、「川根温泉笹間渡駅」。

災い転じて福となす・・・質の高い鉄道への変革が望まれる大井川鉄道。
ポスト「SL列車」はあるのだろうか。

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2016年1月30日土曜日

千曲川と東急電車

 上田と別所温泉を結ぶ上田電鉄別所線は、1986年の架線電圧の昇圧以降、東急電鉄のオールドカーが走る路線として知られている。 名車の誉れ高い東急5000系、7200系など玄人好みの車両が余生を過ごしていたが、現在は東京メトロ日比谷線乗り入れに使用されていた1000系に統一されている。 この沿線の景観地は上田市内を流れる千曲川橋梁で、ここを走るラッピングされた二両編成の電車を「どう収める」かが腕の見せ所となる。
 NHK大河ドラマ「真田丸」で話題の上田へ訪れた際は、ぜひ「東急電車」で別所温泉まで足を伸ばされることをお勧めしたい。
別所線名物の丸窓電車風にラッピングされた元東急7200系
(カメラ CANON  EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP100)

東急5000系のトップナンバー、終の棲家は別所線だった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
役目を終えた5001号車は、東京に戻って渋谷駅前に。
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2016年1月29日金曜日

過渡期を迎えた交直流電車

 鉄道の電化方式には、大きく分けて直流電化と交流電化がある。その両電化区間をまたがる列車には、交直両用で使用できる車両が必要となるが新幹線網の拡大によってその存在意義が変わろうとしている。 簡単に言えば、国鉄時代の主役だった交直流電車は、これからは「特殊車両」に変わりつつあるという事。 
 新幹線の開業は、在来線の役割を貨物輸送を除き長距離輸送から新幹線接続を前提とした都市間輸送への転換を促す結果となり、必ずしも車両はオールマイティな交直両用である必要がなくなってきた。 その車両更新に際しては、交流区間には交流専用電車が投入されており、九州の肥薩おれんじ鉄道では第三セクター転換時に電化区間にも関わらず車両は「ディーゼルカー」を導入するなど「脱交直流電車」の動きが進んでいる。 
 では、交直流電車が必要な路線はどういうところになるだろうか。 JR常磐線取手以北、水戸線、つくばエクスプレスでは茨城県石岡にある気象庁地磁気観測所への影響もあり交流区間となっていることから、ここを走る都心にアクセスする列車は交直両用車両が必要。 他は交直区間にかかる北陸、羽越線の「特急」、下関と門司を結ぶ山陽線、JR線を継承した第三セクター鉄道と限られてくることになる。 逆に言えば交直区間にかからなければ交直両用車両は必要なく、見方を変えるとローカル輸送には高価な交直車両を増備するより、高性能のディーゼルカーに置き換えることが経済的という議論もおきてくる。 新幹線網の充実によって、鉄道の有り方は変わっていく。 今後、交直流電車の役割はどう変わるのか、注目したいところだ。
新幹線開業前の上野駅地平ホームは、絶えず交直流電車が発着していた。

「つくばエクスプレス」も交直区間を有する路線。
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2016年1月28日木曜日

埼京線を行く「209系」。

 埼玉と東京を結ぶ埼京線は、東北上越新幹線建設に際し「通勤新線」として併設されたことに端を発しており、川越線、赤羽線、山手貨物線、りんかい線と一体化した運行は、首都圏の重要路線の一つとなるまでに「出世」している。 車両面では、ATC採用路線のため開業時は山手線から転用のウグイス色の103系電車が使用されたが、5年後の1990年には新鋭205系に全車置換えが完了。2013年には最新のE233系が投入されるなど車両更新のペースが早いことも特徴。その中で、異色の存在がりんかい線所属の70-000形電車で、基本設計は京浜東北線で使用されていた209系電車に準じており、りんかい線開業時は4両編成だったが埼京線と相互乗り入れ時に10両編成に組みなおされ現在に至っている。(余談だが、組みなおしの際余剰となった車両はJR東日本へ転籍、八高線用209系として再利用されている。) その70-000形車両、E233系に比べ車体幅は狭いながらも経年が浅いこともあり早期の置換え予定はなさそうで、この「209系」暫くは大丈夫そうだ。
原宿を行く、りんかい線。ブルーのラインカラーは、この街に馴染んでいる。
(カメラ CANON EOS-1v HS、フィルム フジクローム RVP)


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2016年1月27日水曜日

SLに手を振ろう

 今週末29、30、31日に総武本線 佐原~銚子間にD51による蒸機列車が運行される。2013年にも僚機C61による運転が行われているので3年ぶりのSL登場となるが、機関車の方向転換ができないため正面を向いて走るのは銚子 行だけとなり、佐原 行はディーゼル機関車牽引でD51は最後尾にぶら下がるだけとなる。
 今回の作品は、前回2013年に成田線を走ったC61を撮影した時のスナップ。今年も沿線には多くのギャラリーが訪れるのだろう。 安全第一で見守って欲しいものだ。       

「ぶら下がり」のSLならではのスナップ。
(カメラ CANON  EOS7D)
佐原から銚子へ。この運転区間は、見所が乏しいのが残念。
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2016年1月26日火曜日

窓が青かった「国鉄特急」

 国鉄特急の窓は青かった。その理由は、窓の使用されている複層ガラスの構造に由来するもので「冷房が標準装備となった」固定窓の特急車両ならではの特徴でもあった。特急列車の車窓から見た景色の記憶は、この「青い窓」を通してみた光景ということになる。 窓の色とは目立たない特徴ではあるが、かつて鉄道模型の16番ゲージには窓セルに特急用ブルーというのがあったそうで、昭和の「憧れの特急列車」が年々その数を減らしている中、その模型に「青い窓」が残っているというのは実は「特急列車として」は欠かす事のできないアイテムだったのかもしれない。その青い窓の寝台車が3月のダイヤ改正で役目を終える。 また一つ、昭和の国鉄が思い出になっていく。   
青い窓のB寝台車の終焉も近い。
(カメラ CANON EOS-1V HS,フィルム フジクローム フォルティア)
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2016年1月25日月曜日

特急エンブレムが消えた時代

 国鉄特急の象徴として、ほぼ全ての特急の前頭部に取り付けられていた「エンブレム」。これがある時期を境にJR東日本で外された時代があった。 それは1990年代、常磐線特急「スーパーひたち」登場に際して在来車485系のイメージチェンジを図るために、某車両メーカーのデザイン部門の提案を採用してからといわれている。 外観に関する主な提案内容は、カラーリングの変更のみならず、シンボルマークであるエンブレムと愛称表示機の撤去が効果的であるということだった。 後者は旅客案内面から見送られたがエンブレムの撤去はカラーリングの変更と共に行われ、常磐線「ひたち」以後、信越線「あさま」、中央線特急「あずさ」「かいじ」、磐越西線「ビバあいづ」と拡大されていった。 一方で、新潟、秋田地区のようにカラーリングの変更はなされたが、エンブレムの撤去はなされなかった例もあり、必ずしも統一された方針ではなかったようだ。
 その後、新車投入による転属に向けて塗装が国鉄色「赤、クリーム」に戻された車両の一部にエンブレムが復活した車両が登場するに至って、改めてオリジナルデザインの有り方を世に問うことができたことは、大胆なイメージチェンジも結果としては良かったのかもしれない。  

エンブレムが外された「ひたち」向け485系
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
オリジナルデザインの183系。
貫通式の車両では、観音開きの貫通扉に合わせてエンブレムも分れる工夫がなされていた。

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2016年1月24日日曜日

485系「特急」の終焉

 北海道新幹線が開業する今年3月のダイヤ改正で、485系最後の特急運用が終了する。 その列車は青函特急の「白鳥」。「白鳥」といえば、かつて大阪~青森を「日本海縦貫線」を経由して結んだ特急として活躍。60Hz、50Hzの交流区間を走る事が可能な交直流電車485系ならではの列車でもあった。北は旭川、南は西鹿児島まで足跡を残した485系の役割は、その多くが新幹線に継承されている。最後の特急運用を継承するのも新幹線。 ある意味、新幹線開業を「誘発」する役割を担っていた系列といえるかもしれない。485系特急の終焉は、いよいよ「国鉄時代」が消えることを意味する。早かったのか遅かったのか、時代の流れとはわからないものだ


最後の485系特急「白鳥」
(カメラ CANON EOS RT、フィルム フジクローム RHPⅢ)

大阪~青森を結んだ「白鳥」は「青函連絡船」経由しての「北海道連絡」の使命も担っていた。
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2016年1月23日土曜日

雪晴れもまた良し。

 穏やかな雪晴れの日、大きく深呼吸をしてみるとツーンとする寒気と同時に独特の「雪の香り」を感じることがある。この空気感を表現するために構図は縦位置を選んでみた。ところが線路を走る車両は1両。どの位置でシャッターを切ろうか・・・と頭を捻るのも、また良し。  
光と影のコントラスト。
(カメラ CANON  EOS7D)


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2016年1月22日金曜日

天気予報は雪

 「明日は雪が降る予想です。」という天気予報がTVで流れると、不謹慎ながらワクワクしてしまう。仕事が休みであれば尚更で、雪による痛い目には何度もあっているがきれいな雪景色を探してみたくなるもの。 今週末の予報も雪。 さて、どんな景色と出会うだろうか。
タンク車に積もる新雪。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDPⅢ)
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2016年1月21日木曜日

後ろ向き牽引のD51。

 「ばんえつ物語」号の前身だった「SLえちご阿賀野号」。1996年の運行で驚かされたのが、復路にあたる津川~新津間でD51機関車が「後ろ向き」で牽引したことだった。背景には終点 津川駅にターンテーブルがなく方向転換できなかったことによるが、D51のような炭水車付蒸気機関車が後ろ向きで営業運転するとは異例。 そのため俄かSLカメラマンの人達は、後ろ向きに走るD51にはカメラを向ける事はなかったが、現役時代を知るベテラン達は「試運転」からこのレアな運転形態に注目していたことが面白かった。
 結果としてSL「後ろ向き」運転はこの年のみで、1997年は最後尾に回送用ディーゼル機関車を連結し、方向転換はターンテーブルのある新津まで戻るという手の込んだ運転に変わっていった。 現在、方向転換できない路線でのSL運行では最後尾にディーゼル機関車を連結、片道は回送扱いではなく「DL〇〇号」といった列車名で営業運転されることが一般的になっている。そういう意味でも20年前の「後ろ向き」運転は貴重な記録となった。 
視界の悪い中での運転は、困難を極めた
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDPⅡ)
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2016年1月20日水曜日

似たもの同士。

 少し前のデータを整理して、ふと思った事。日の出直後から丘に登ってカメラを構えている人と凍てつく湖上でワカサギ釣りをしている人、どちらが過酷だろうか。 「好きだねぇ」、「えぇ そうですねぇ」は共通のようだ。 
寒中の朝、頼もしきディーゼルカー(カメラ CANON EOS7D)
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2016年1月19日火曜日

昭和、平成の貨物列車

 今回の写真は1982年、2016年に撮影した貨物列車。先の時代では、貨物列車を撮影する人は「イロモノ」扱いされていた事もあったが、今では大挙して撮影される時代になった。貨物列車に対して理解が深まったのか、それとも「イロモノ」マニアが増えたのかはわからないが、とりあえず前者ということにして、今昔の写真を比べてみると二枚とも交直流機関車が牽引していることから行き先は黒磯以北であることがわかる。だが大きな違いは編成にあり、現在はコンテナ貨車による拠点間直行列車だが、先の時代では「ヤード輸送」列車のため各種貨車によって組成されていること。更にイロモノ的視点で見ると冷蔵輸送も白い冷蔵車から白いコンテナに変わっている等、今昔の違いを探るのも面白い。何気ない日常の記録も時間が経てばそれなりの価値が出てくるものだ。 
金太郎が牽引するコンテナ貨物。行き先は北海道か。
(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)
有蓋車、無蓋車、冷蔵車など多種多様な車両が連結されたヤード間輸送列車。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム エクタクローム64)

自動車も貨物列車によって運ばれた。


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2016年1月18日月曜日

思い出の根府川界隈

 1月12日のブログで取り上げた竹倉と双璧だった「ブルートレイン」撮影名所に根府川駅界隈がある。 ここでは陽の高い時期に限っては浜田発の「出雲」から、通年では博多「あさかぜ」、「富士」、「はやぶさ」、「みずほ」、「さくら」といった九州各地から東京を目指す寝台特急を撮影できたことで知られていた。 特に白眉なポイントは根府川駅の熱海方に架かっている白糸川橋梁で、この橋と隣駅の早川駅側にある米神踏切は、ブルトレ「撮り鉄」憧れの地でもあった。 現在の白糸川橋梁は、暴風柵が設けられており列車撮影には不向きとなっており、新幹線開業前からの撮影名所は見る影もなくなっているのは残念でならない。
白糸川橋梁を行く「富士」。
「富士」と「さくら」は、牽引機がEF66形に変わった際ヘッドマークを変更した。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム RDPⅡ)

米神踏切を行く「さくら」。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
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2016年1月17日日曜日

北国からの便り

JR東日本最後の青いEF510形機関車、これも貴重な記録になりそうだ。
(カメラ CANON  EOS7D MarkⅡ)

 今朝の寝台特急「カシオペア」、牽引する機関車には雪が付着していた。どこの地域の雪だろう、青森か岩手か。暖冬傾向とはいえ雪国を長躯走り抜けてきた列車としての誇りが感じられた。
いよいよ廃止までのカウントダウンが始まった「カシオペア」、最後の冬の記録でもある。  【スポンサーリンク】

2016年1月16日土曜日

帰ってきた流星号

 流鉄流山線の電車には車両ごとに愛称が付けられている。その第一号がオレンジ色の「流星」号、車両更新ごとに愛称は継承され今は三代目。 その流星号だが2014年に乗用車との衝突事故に遭遇し、しばらく動く事ができなかったが昨年12月に復帰し、現在「みんなの流星号2016」として運行されている。その流星号を歓迎するかのように、立体交差するJR武蔵野線には「桃太郎」が通過。往年の「流山電鉄」が流鉄沿線に戻ってきたことを実感するには十分だった。
JR新松戸駅に隣接する幸谷駅。
(カメラ CANON  EOS7D MarkⅡ)
 
「流山電鉄」のオレンジカラーが流星号のルーツ。

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2016年1月15日金曜日

白銀は招く

 雪原をいく列車は、被写体として魅力的。朝日が眩しい中 雪煙をあげて走り抜ける列車の美しさには息を呑んだ。 やはり雪には人を惹きつける妖しい魔力が潜んでいる。   
雪原を行く583系、「東北特急」ここにあり。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
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2016年1月14日木曜日

くぬぎ山のタヌキ

 新京成電鉄の古豪8000系電車は、同鉄道初の冷房車として登場したオリジナルの車両。特徴は前面の形状でいつの頃からか車両基地のある「くぬぎ山」にちなんで「くぬぎ山のタヌキ」と呼ばれるようになった。 2006年に京成千葉線へ乗り入れるようになってからは、京成沿線の乗客から注目を浴び「新京成の電車は(京成に比べて)カッコいい」というエピソードもあったとか。趣味的には制御メカが界磁チョッパからVVVFインバータに改造されたことが特筆されるユニークな系列でもある。昨年末段階でピンクを主体とした新塗装への変更はなされていない。「ピンク色のタヌキ」の登場はまだ先になりそうだ。
千葉乗り入れに際し特別なカラーリングが施された。
(カメラ CANON  EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP)

2015年の車両基地公開でのスナップ。 存在感がある「タヌキ」。

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2016年1月13日水曜日

見送りたい光景

 昨日のブログは、「1980年代」のブルートレインの名撮影地を回想してみたが、今回は王子駅付近を通過する「2000年代」の寝台特急「カシオペア」。 3月で廃止が決まっている列車故、例年の如く「サヨナラフィーバー」が起こる前に撮影したものだ。 消えていく光景に対しては、ただ見送るだけでいい。終わりは始まりに繋がり新しい展開が拓けていく、それも良いものだ。 

「カシオペア」後の去就が気になるE26系客車
(カメラ CANON  EOS7D)

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2016年1月12日火曜日

名撮影地だった竹倉

 東海道本線、三島~函南間は富士山を背景にした列車撮影地として有名。特に竹倉付近は、国鉄時代「超」有名撮影地として知られていた。このポイントへの定番コースは付近の竹倉温泉に前泊するか、東京発の一番電車の「こだま」で三島駅からタクシー直行だった。撮影ターゲットは早朝に上るブルートレインと高速貨物列車で、特に富士山が映える冬場は平日でも多くのファンが訪れていた。撮影地として廃れたのは電柱間の列車の位置に黒いケーブルが張られたことによるが、時代が時代なら某お立ち台のようにトレインビューポイントとして整備されていたかもしれない。それほど絵になるポイントだった。  
寝台特急と富士山、1980年代の鉄道を代表するシーン。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム RDP)
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2016年1月11日月曜日

客車時代の成田臨

 一昨年の12月26日のブログでも紹介した成田山への初詣列車、通称「成田臨」は、近年「特急用電車」や「お座敷電車」による運転になり、電気機関車に牽引される客車列車を見ることはなくなった。 その大きな理由は、客車自体の両数が減りJR東日本にはSL運転用の車両が在籍するだけとなっていることで、今はSLよりも「客車」の方が貴重な時代になっている。
 写真の青い14系客車も北海道と四国に残るだけにまで縮小したが、後者では昨年、工場に取り込まれたという情報が入ってきている。意外な形での復活もあるのか。今後のPRを待ちたいものだ。
成田線を行く青い客車と赤い機関車は、冬空に良く似合った。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
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2016年1月10日日曜日

無骨な機関車を撮る

 大井川鉄道に在籍しているC10形蒸気機関車は昭和5年(1930年)製。リベット組み立てがなされているこの機関車をどう表現してみようか?と考える中、思いついたのがこの構図。スポーク動輪と重厚な質感が、この機関車らしさを象徴しているようだ。 
「トーマス」装飾がされていないことも好感が持てるC10。
(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)
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2016年1月9日土曜日

凛とした朝

 今冬は暖冬の気配もあるが、凛とした朝の寒気はやはり冬ならでは。 早朝からフィールドに立っていると清々しい空気の中、身が引き締まる思いになる。 この作品から、その思いが伝わってくるだろうか。   
少数派になった元祖「あさま」のE2系。(カメラ CANON  EOS7D MarkⅡ)

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2016年1月8日金曜日

魅惑の角度60°

 国鉄特急の象徴ともいえる「ボンネット形」車両は、鉄道博物館、京都鉄道博物館、九州鉄道記念館で保存されている「こだま」形の流れを現代に伝える車両。 そのスタイルもさることながらデザインに「お役所」国鉄らしからぬキメの細かい配慮がなされていることはあまり知られていないので紹介してみたい。 
 良く見ていただきたいのは、窓回りから赤い4本の帯にクロスする角度、「JNR」エンブレムの角度、運転台前部の窓ピラーの角度はすべて60°に揃えられていること。更には愛称板が装着されている少し前のめりになっている前頭部の角度も60°であるといわれている。 近年の車両には、ロゴマークや愛称を派手に車体へデコレーションする傾向にあるが、役所的な制約の中でカラーリングを含めたトータルデザインが昭和30年代になされていたことには敬意を表したい。 しっかりしたコンセプトは、いつの時代にも通用するということをこの「ボンネット形」は示している。
バランスの良さがボンネット車両の魅力。
(カメラ CANON  NewF-1、フィルム フジクローム RDP)

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2016年1月7日木曜日

まもなくディナータイム

 上野発札幌行寝台特急「カシオペア」のディナータイムは三回。第一回目は17:15からで大宮駅を過ぎてからの宴となる。「ダイニングカー」での食事は、北の大地への16時間の行程には欠かせない旅のオアシス。 ディナーの準備が整った「オアシス」では、お客さんの到着を待つばかりとなっているようだ。
ダイニングスペースは二階、通路は一階・・・往年の100系新幹線と同じ構成の「カシオペア」
(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)
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2016年1月6日水曜日

つるべ落とし

 秋の日はつるべ落とし、という諺は、秋のみならず冬場の日没でも十分実感できる。今回の一枚は、冬至前、日没直前の斜光を浴びる常磐線特急「ひたち」を狙ったもので、時間は16:20頃の撮影。 この時期は16:00頃から陽が落ち始めるが、その頃は太陽の角度の関係でファインダー内にハレーションが発生してしまう。ところが日没寸前の16:15からの数分間は、角度が変わりハレーションは消え、列車を美しく染める光線のみになる。そこに上野駅の16:00発の特急が重なれば御覧のとおり。この列車の通過後、まもなく日没となるため、正に一瞬の出来事。つるべ落としならではの楽しみだ。
二重露光でドラマチックに仕上げてみる(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)

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2016年1月5日火曜日

「ひばり」「とき」の時代

 西の雷鳥、東のひばり、とき。 これらは国鉄L特急全盛期を代表する東西の列車で、走行時間が概ね「4時間前後」の都市間連絡を目的とした共通項がある。特に東北本線「ひばり」、上越線「とき」、は高度経済成長下、増発が進み新幹線博多開業前の1973年時点でそれぞれ13往復が設定されていた。この頃が東北、上越両新幹線へバトンを渡すまで、東京と地方都市間連絡を担っていた在来線の輝いていた時代であり、「ひばり」、「とき」の役目を継承した新幹線が「やまびこ」、「あさひ」になっていった。 
 2016年現在「4時間の壁」は東京~函館にまで伸び、将来の北海道新幹線札幌延伸時には「終点」まで伸びる事となる。「360km/h」の超高速新幹線の将来を夢見るにあたって、「ひばり」「とき」の時代を振り返ってみることも大事ではないか、最近そう思うようになってきた。 
「とき」は「こだま」系列181系電車、最後の使用列車だった。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム RH)

「ひばり」は「とき」共々定期運行廃止後にも「さよなら運行」されている。
(カメラ CANON  EOS-1N RS、フィルム フジクローム RDPⅡ)
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2016年1月4日月曜日

続・蒸気暖房のぬくもり

 昨年1月19日、ブログに公開した「蒸気暖房のぬくもり」の中で、身近に蒸気暖房を体験できる路線のひとつとして真岡鉄道の50系客車を紹介したが、今回は「客車を包み込む蒸気」をテーマにスナップしてみた。蒸気機関車から供給される暖房用蒸気が編成最後部まで引き通されていることが良くわかる。寒い朝の光の中できらめく蒸気は、ぬくもりを感じさせるには十分だった。 
下館に回送される直前の「SLもおか号」を真岡駅でスナップ。他には誰もいなかった。
(カメラ CANON EOS7D MarkⅡ)
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2016年1月3日日曜日

消えゆく「長野新幹線」

 長野オリンピックに合わせて長野まで開業した北陸新幹線は、昨年の金沢延伸まで「長野行新幹線」「長野新幹線」と呼ばれてきたことはご存知のとおり。その主役はE2系新幹線の「あさま」だった。 E2系は2種類あり、山形秋田新幹線と併結可能なJ編成と北陸新幹線対応のN編成に分けられるが、そのN編成が今年3月26日のダイヤ改正を持って定期運用から撤退することがPRされている。 ダイヤ改正後は臨時列車等波動用に使用されるそうだが、赤い帯が特徴の「長野新幹線」E2系N編成が見れるのも時間の問題となってきた。
 今回は、昨年末と開業前の「白い『あさま』」をまとめてみた。
第一線から退くE2系「あさま」
(カメラ CANON  EOS7D MarkⅡ)

新旧「あさま」が行き交う軽井沢。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)

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2016年1月2日土曜日

短命だった「エアポート常磐」。

 2007、2008年の年末年始、GW、夏休み期間に運転された「エアポート常磐」。上野から常磐、成田線を経由して成田空港へ行く特急車両を使った快速列車だった。所要時間は1時間30分~2時間弱。上野からの空港アクセスでは京成スカイライナーに所要時間では敵わないが、常磐線沿線からのアクセス強化を狙った設定だった。時間のバラツキは単線の成田線経由のためで、当時の利用状況は芳しくなく2008年以降は運転されていない。だが近年、成田空港早朝発のLCC需要に合わせて見直されて良い「時間がかかる」空港アクセスルートでもある。 初夢として茨城方面からの「白きタキシード」のエアポートアクセス誕生を期待したいものだ。      

復活するか?「エアポート常磐」
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP)

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2016年1月1日金曜日

ロイヤルエンジンの栄誉

 新年あけましておめでとうございます。 本ブログ、今年もよろしくお願い致します。

 新年第一弾は、日章旗に因んでJR東日本に在籍しているEF81 81号機を取り上げてみたい。この機関車は1985年 国際科学技術博覧会(つくば万博)に際し二度のお召し列車を牽引したロイヤルエンジンとして知られている。 この機関車のお召し整備には側面に銀色のラインが入れられたことが特徴で、お召し専用機EF5861号機を彷彿する装飾が施された。お召し列車牽引機選定には諸説あるが、直近に全般検査(オーバーホール)を受けた機関車、故障が少ない機関車が選ばれることが多いといわれている。真偽の程は不明だが、この時の機関車選定では「番号のゴロ」が良いという理由もあったとか。
 お召し列車運行後も、「元ロイヤルエンジン」という肩書きは盾ではなく一般運用以外に「特別なイベント」へ優先的に充当されることになった81号機。 近年、僚機が経年により廃車となっていくなかで、2014年に栄光のお召し装備が再現されてから再び注目を浴びる事になっている。 「カシオペア・クルーズ」牽引で一日でも長く活躍を願いたい機関車だ。   

一般公開日で取り付けられた日章旗
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
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