2015年4月30日木曜日

緑 萌える秩父。



西武線からの直通電車は「ライオンズカラー」。ゆったりしたボックスシートはグループ向き。
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP)
 ゴールデンウイークというと、かつては北海道へC62撮影に行っていた時期もあったが、近年は、会津、秩父、房総といった近場で「春を満喫」することが増えている。 秩父は盆地という地形から「夏暑く、冬寒い」のだが、緑が芽吹くゴールデンウイーク頃の景色は美しい。「秩父のパワー」が溢れている印象だ。池袋から私鉄だけで行ける秩父は身近な「歴史文化の街」。 蕎麦や天然氷の「カキ氷」共々楽しみたいもの。 
秩父地方は「蕎麦」の街、美味い名店を探すのもオツ。

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2015年4月29日水曜日

水鏡の風景



国鉄急行色と一般色は風景に優しい色。(カメラ CANON EOS7D)
 水が入った田圃は、早苗月ならではの光景。風が凪いだ時、田圃は鏡になる。鏡には豊かな色彩を映しこみたい。   

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2015年4月28日火曜日

天竜峡を行く「旧型国電」

新緑を行く「旧型国電」、モーター音が渓谷に響き渡った。
(カメラ CANON  NewF-1、フィルム コダクローム KR)
「国電」という言葉は、国鉄の民営化によって消えた。「国鉄電車」ではなくなったからだ。民営化後、四半世紀を経過した現在では「国鉄の電車」自体が「旧型」になっているが、国鉄時代は「吊り掛けモーター」を装備した系列を「旧型国電」と称していた。当時、豊橋と辰野を結ぶ飯田線は旧型国電、最後の牙城。本線筋の「新性能電車」に比べて、居住性には大きな格差があった。だが、木材を使用した車内は、窓を開けて新緑の空気を取り込める季節は心地よかったものだ。機能性第一では、時代の要請には応えられないこともある。ローカル線の旅にはボックスシートが似合うようだ。  
手入れの行き届いた車内は、木の艶が眩しかった。


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2015年4月27日月曜日

多彩な緑



旧線を再生した「遊歩道」、アプト式鉄道の遺構でもある。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
 新緑の季節になると、「緑」と言う一言で括るには勿体無いほど多彩であることがわかる。
この時期、フィールドに立っていると自然から「成長」のエネルギーを感じるのは気のせいだけではない。 今は遊歩道となった旧碓氷第三橋を見る森の中へは幾度と通ったが、春の「森林浴」では新緑と遺跡と化したレンガ橋が見事に調和していたのが印象に残っている。 遊歩道「アプトの道」は横川から旧 熊野平信号所まで歩けるという。春の休日、明治の遺構を体感してみるのはいかがだろうか。 
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2015年4月26日日曜日

1+2=三重連



足ヶ瀬駅に到着する「SL銀河ドリーム号」。昨今、三重連列車は珍しい。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
 岩手県 釜石線で昨年から運行が始まった「SL銀河号」。C58蒸気機関車+気動車の編成は、難所 陸中大橋~足ヶ瀬の仙人峠を自力登坂するためのもの。 ところが前身の「SL銀河ドリーム号」はD51+客車5両。仙人峠を登るためには、補助機関車2両を陸中大橋から足ヶ瀬まで連結するという「玄人好み」の運転がなされていた。
 補助機関車が必要な従来のSL運行は、通年運転に際してはネックとなったことは想像に難くない。それによって「客車」を気動車として自力登坂させるアイデアが誕生した訳だが、三重連の迫力には敵わない。「乗車を楽しむ」旅であれば、補助機関車連結の停車時間も十分なアトラクションになる。「蒸気列車」の魅力は、広い視点で引き出して欲しいものだ。     
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2015年4月25日土曜日

保存される赤玉と「9」。


 国鉄時代の車両形式は、「役所らしく」一定の規則によって付番されていたので車両を理解するには重宝したものだ。例えば「クハ489-1」では「4」は交直両用、「8」は特急用、そして末尾の「9」には赤い「丸」と共に大きな意味があった。「9」は信越本線、横川軽井沢間を補助機関車EF63と「協調運転する」車両に付与された特別な番号だった。国鉄の「新性能電車」で末尾「9」の付いた車両は6形式あったが修学旅行用の159系、ローカル用119、419系を除いた急行用169系、特急用189系、489系はいずれも「碓氷峠を協調運転するため」に開発された系列。そして碓氷峠に入線可能な車両に対しては「丸」が付けられた。特急車両には車体の赤色が使われ、通称「赤玉」ともいわれていた。
 最後の赤玉車となった「クハ489-1」は、JR西日本が2016年開館する京都鉄道博物館での保存が決まっている。 赤玉と「9」が後世に残ることは喜ばしいことだ。

JR西日本所属車両では北陸新幹線長野開業後も赤玉は維持された。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)

京都鉄道博物館保存にあたって痛みが目立っていた車体も修繕されている。
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2015年4月24日金曜日

600系新幹線。

 0、100、200、300、400、500、700、N700、800、E1、E2、E3、E4、E5(H5)、E6、E7(W7)と歴代の新幹線形式を並べると「600」が欠番となっているのがお分かりかと思う。だが仮称600系で計画された新幹線があった、それが全二階建て車両のE1形車両。JR東日本が導入した付番基準が初めて適用された系列で、EはJR東日本の頭文字、番号は新たに1から付番されることになった。E系列新幹線は1から7までに到っている。仮に従来とおりの連番だったらどうだろうか。1100、1200といった車両達の時代になっていただろう。ところが東海道、九州新幹線では既に番号が頭打ちになっている。次の新車は試作番台の900?欠番復活??あるいは「代返りか」・・・それも楽しみだ。 
初代MAXのE1形、小泉今日子のCMで人気が出た車両。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDPⅡ)

晩年は上越新幹線で活躍したE1MAX。東北上越新幹線は12両編成で開業している。
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2015年4月23日木曜日

春の「うつくしま福島」。



只見線を行くSL C11は真岡鉄道から遠征してきた。(カメラ CANON EOS7D)
 五月は田植えの月。各地の田圃にも水が入り日本らしい田園風景を見ることができる。JR只見線 会津高田付近の山道から見る景色は有名な撮影ポイント。ここからは過去に多くの名作が生まれているが、作品のカギは「人間らしさ」をどのように盛り込み表現できるかということ。 
 田圃には人が介在し、そこには生活の営みがある。人間臭さがあっても一向におかしくない。その中に共存する鉄道は、自然の一部であることが実感できる。 これらを、自分なりにどう理解しまとめるかが、この撮影ポイントでは必要になる。
 仮にこの田圃に水が入ることなく休耕田になったらどうだろうか。うまい会津米の他にも失うものがありそうだ。  
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2015年4月22日水曜日

林檎の花咲く頃



白い花を生かすには背景とのバランスが大事。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム コダクローム KR)
 五月は自然が鮮やかに芽吹く季節、新緑や花の眩しさには心安らぐもの。信州で見た林檎の花は白く可憐だった。 
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2015年4月21日火曜日

五月の飯豊山



5月は新緑の季節、残雪は姿を変え里を潤す。(カメラ CANON EOS7D)
飯豊山は飯豊山地にある名山。ばんえつ物語号が走る磐越西線沿線から見える山として馴染み深い。蕎麦で有名な山都駅から会津若松側にある一ノ戸川橋梁は煙を出す撮影ポイントとして名高いが、雪が残る時期は山をきれいに表現したいもの。その中、パワーがあるD51は稜線を隠すことなく会津若松へ向けて加速していった。
全16連からなる雄大な橋梁。
福島遺産百選、認定証。
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2015年4月20日月曜日

桜に囲まれた駅舎



傘をかぶったお婆さんが今回の主役。見えない駅舎がそこにあった。
(カメラ CANON EOS7D)
 只見線 会津西方駅には立派な桜が二本植えられている。この駅を利用している地元の方から聞いた話では、かつて樹の間には駅舎があったということだ。 今では待合室のある簡易的な駅になっているが、駅舎があった時代は多くの人や物資が往来したことだろう。 桜咲く時期はどのような光景だったのだろうか。ガランとした広場を見て過日への想いをはせた。
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2015年4月19日日曜日

屋根より高い鯉のぼり



背景の住宅を隠すために列車を通してみる。鯉のぼりは、はるかに屋根より高かった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
 5月が近づくと鯉のぼりのある風景が恋しくなる。 「大きな」鯉のぼりを都市部で見ることは稀だが、郊外に足を伸ばしてみると見事な鯉のぼりと出会えるもの。昭和になってからは、家族全員の鯉を上げる家もあるという。この日も幸せそうな家族を象徴するように、住宅街の中をおもしろそうに泳いでいた。  
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2015年4月18日土曜日

青いモケットの記憶



広角レンズのカメラを振ってみる。旅の楽しみは人それぞれ。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ)
 「汽車旅」には欠かせないアイテムのボックスシート。決して快適とは言えない座席だが、「旅への誘い」だったボックスシートには、通勤用のロングシートとは違う空気が流れていた。先を急がない旅ではボックスシートの旅も悪くない。 目を閉じると懐かしい旅の記憶が蘇ってくる。 

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2015年4月17日金曜日

鮮烈な「500系のぞみ」。



記録と記憶に残る「500系のぞみ」。
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP100)
 「500系のぞみ」と時刻表で列車名以外に「形式入り愛称」が付けられたのは、この電車が初めてではないだろうか。1996年に鮮烈なデビュー後も色褪せることないスタイルは今でも人気が高い。メカニズム的にはF1マシンで有名になった「アクティブサスペンション」の導入が目新しく、流体力学に裏付けられたパンタグラフやエアロダイナミクスなど500系を理解するには工学的な見地も必要となった。「500系のぞみ」は、山陽区間での300km/h運転により東京~博多間を4時間49分で走破、超高速鉄道時代の到来を感じさせる「未来の電車」だったが、人気と裏腹に東海道区間では継子扱いでN700系時代になって東海道から撤退、今は8両編成となり山陽新幹線「こだま」で「余生」を過ごしているのは残念だ。   

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2015年4月16日木曜日

275km/h「あさひ」。



越後湯沢を行く「あさひ」。ここは275km/h運転区間でもある。
(カメラ CANON AE-1P、フィルム コダクローム KR)
 日本で初めて営業列車で275km/h運転を行ったのは上越新幹線。1990年から「あさひ1、3号」の上毛高原~浦佐の下り線で行われた。運転に際して改造により275km/h運転対応の専用編成が4本用意され「あさひ1、3号」に充当された。「275km/h運転対応」はATC(自動列車制御装置)が275km/hまで許容しているということで、運転に際しては275km/hに達さないようにする必要があったが、1992年誕生した東海道新幹線「のぞみ」より最速の列車が存在していたことは知る人ぞ知る列車だった。この275km/h「あさひ」を越える高速列車は、JR西日本の500系登場まで待つことになる。
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2015年4月15日水曜日

緑の二階建て新幹線。

 1990年代の東北新幹線でのフラッグシップトレインは、東京~仙台ノンストップの通称「スーパーやまびこ」。その運用に充当されたのが二階建て車両を組み込んだ16両のH編成。利用客からは色が変った二階建て新幹線100系という印象だが、こちらは従来の200系を改良した車両。新造された二階建て車両は、二階部にグリーン席、一階部にはカフェテリアと一人用グリーン個室、そして普通4人用個室が設けられた。特に4人用個室は小さな子供連れの家族には好評だったが、晩年は一部「てもみん」室へ転用された。東北新幹線は、ビジネス特化の東海道新幹線とは異なったアプローチの車両が多い。その脈流はオール二階建て車両MAXのE1、E4系や3クラス制になったE5系へも活かされている。    

最高速度240km/hながら電動車14両、16両編成の「スーパーやまびこ」は圧巻だった。
(カメラ CANON EOS RT、フィルム フジクローム RDPⅡ)
300km/h時代となった新幹線と二階建て車両は共存できないのだろうか。
人が往来しない二階グリーン席は有難いサービスだった。
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2015年4月14日火曜日

邂逅を狙う。



川下りのお客さんからは橋上を行くSLは見えているだろうか。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)
 日本の鉄道は時間に正確、これは数あるストロングポイントの中でも最たる内容だろう。鉄道のダイヤグラムからは列車の通過、すれ違い時刻も予測できるのだが、列車と他の動きものを絡めようとすると難易度が高まる。遭遇する時間は予測できないからだ。この場所では川下りの船の位置がポイントで、SLとうまく揃うか否かは正にタイミング次第、とてもスリリングな瞬間でもあった。手ごたえはファインダー通してもわかる。この時は「よし、OK!!」だった。 



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2015年4月13日月曜日

雨もともだち



関東鉄道 水海道駅は、下館方面と守谷取手方面との境界駅。下館方面は原則1両になる。
 今年の四月上旬は、例年に比べて雨が多い。雨にちなんだ洒落た季語を探してみたが、花、芽吹き、巣立ちにちなんだ季語が多く「春の雨」がらみはないようだ。 その中で「構内踏切」がある駅には、傘の花が咲いていた。 やはり四月は花か・・・でも雨も悪くない。

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2015年4月12日日曜日

魅惑のブルトレ特急色



新製時から特急色を纏ったEF65501。JR東日本に健在である。 
 国鉄時代、20系特急牽引機関車EF60 500番台、EF65 500番台へ施された特急色は、一般機と同じ青とクリーム色の塗りわけを変えただけに過ぎない。だが、その塗装の魅力は機関車と客車が一体化するように機関車のクリーム線が牽引される客車のラインと一致させているデザインの秀逸さにあった。ブルトレが廃止となった現在では影が薄くなった特急色機関車であるが、特急牽引機の証しであったことは「パートナー」との組み合わせで証明することができる。そのパートナーとは鉄道博物館収納の20系客車ナハネフ22に他ならない。
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2015年4月11日土曜日

逆転の発想



桜、菜の花、蒸気機関車・・・イメージ通りの光景を見つけた喜びもロケハンの醍醐味。
(カメラ CANON EOS7D)
 撮影ポイントに迷った時、定番と言われるポイントの逆方向を見てみるというアプローチ方法がある。ここ真岡鉄道 多田羅駅付近には茂木方面に向かう下り列車撮影では有名なポイントがあるが、上り列車に対しては見向きもされない印象だった。ところがロケハン中の下り列車から駅を見ると正面に大きく満開の桜が飛び込んできた。急遽、下車してみると満開の桜は並木で手前に菜の花・・・上りのポイントはここで決まった。 撮影者は自分を入れて2人。 逆転の発想には驚きが隠されているものだ。 
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2015年4月10日金曜日

鉄道博物館に入るEF55。



メカは戦前の名機EF53がベース。最高時速95km/hでの流線型の効果は少なかったという。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
 鉄道博物館に展示されるEF55形電気機関車は、昭和11年に製造された全3両の「流線型」機関車。現役時代は特急「つばめ」牽引にも充当されたが、特異な構造ゆえ実働期間は短かった。 だが教材用として残されていた1号機が昭和62年に動態復元されて以後はJR東日本で動態保存機として現役復帰。近年はブレーキ系統多重化への対応が難しいことから本線運転は取り止められていた。第二次世界大戦の傷跡も残る数奇な運命の機関車だが、安住の地が鉄道博物館であることを願うのみである。 

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2015年4月9日木曜日

早苗月



ロケハンで見つけた棚田、C11は絶気運転だったが汽笛が心地よかった(カメラ CANON EOS7D)
 四季が美しい日本の風景、自然と共存している方々も季節の歩みと共に動き出す。只見川沿いの棚田にも水が入り、田植えが始まろうとしていた。対岸には只見からのSL列車が走るという長閑な光景に何の躊躇いもなくカメラを向けていた。 
 だが2011年を境にこの景色から線路を往来する列車は消えた。只見線は、人災ともいえる水害の影響で会津川口~只見にある複数の橋梁が流されたため不通となっているためだ。 鉄道は自然の一部であることは、鉄道廃止によって寂れていった町を見ると理解できる。 復旧には84億円のコストが必要ともいわれている。風光明媚なこの区間に列車が走る日は来るのだろうか。 

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2015年4月8日水曜日

凡人、筆を選ぶ。



ホームのベンチから2両のディ-ゼルカーを見る。面白い。(カメラ CANON EOS7D)
 世には「弘法筆を選ばず」という諺があるが、「凡人は筆を選ぶ」写真を数点アップしてみる。選ばれたのはCANON EF8-15ミリフィッシュアイズームレンズ、フルサイズカメラでは全周魚眼に、APS-Cカメラでは対角線魚眼の構図が創れる、他のレンズでの代替が利かない個性派レンズだ。開放値がF4とコンパクトにまとまっているので、ISO感度が変えられるデジタルカメラではフットワークが利く撮影ができる。このレンズを通して日常の光景をみると面白い世界が見えてくる反面、個性的ゆえ使いこなすにはコツがいる。 頭脳を柔らかくするには良い「筆」のようだ。 
フルサイズでは全周魚眼に。(2014年11月17日ブログ「美しき中央停車場」から)


立ち飲み屋台からのスナップ。近距離でも圧迫感を与えない。



個性派レンズ8-15ミリ。2回目の登場。
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2015年4月7日火曜日

貨物列車が往来する秩父鉄道



ライン下りで有名な上長瀞を行く
(カメラ CANON NewF-1、レンズ NewFD500ミリF4.5L、フィルム フジクローム RDP)
 蒸気機関車C58パレオエクスプレスの運行で知られている秩父鉄道、この路線の重要な事業は武甲山からの石灰石を運ぶ貨物輸送。全国的にも貨物輸送と旅客輸送が共存している民鉄は珍しくなっているが、2、3両編成の電車と異なり編成の長い貨物列車は見応えがある。最近では、石灰石列車にもカメラを向けるファンも増えていると聞く。風光明媚な秩父路に似合う良き被写体となっているようだ。  

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2015年4月6日月曜日

ツツジで染める。

車窓からは見えない光景を見る、これが撮影の醍醐味。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)
 今の電車はステンレス、アルミ車体の全盛期。最近の軽量ステンレス車は、創生期に見られたコルゲートや歪み補正のビードはほとんど見られなくなり、車体表面がフラットになってきている。 そのフラット化の副産物?として、条件によっては周囲の色を車体に映り込ませることができるようになった。 かつてツツジで有名な山手線 駒込駅では、満開の時期には車体にツツジが映る不思議な光景が見られたものだ。今はステンレス電車の全盛期、ちょっと視点を変えてみると似たような光景は他の駅でも見られるだろう。 さて、「いつもの電車」は何色に染まるだろうか。
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2015年4月5日日曜日

孤高の夜行列車

 青森~札幌を結ぶ「はまなす」には特徴がある。JR最後の「急行」であること、座席+寝台車編成であること、そして夜行列車であるということ。まさに「昭和の夜行列車」なのだが、この列車の特徴が本州連絡の一翼を担う運転区間と合致していたこともあり、青函トンネル開業後の運転開始から現在に到っている。 
 ところが今年3月、本州連絡の「北斗星」、「トワイライトエクスプレス」が廃止されると北海道新幹線開業後の去就が「カシオペア」共々注目されることになってきた。東京への窓口は青森から新函館北斗に代わる。「昭和の夜行列車」は役目を終えてしまうのだろうか。 
通常は7両だが、多客期は12両になるのはこの列車ならでは。(カメラ CANON EOS7D)
車両は酷寒地向け改造された14系。車内は快適だが車体の痛みが目立つ。
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2015年4月4日土曜日

「44」を名乗る客車

 4月4日ということで懐かしの往年の特急用客車44系をフューチャーしてみたい。44系はスハ44、緩急車スハフ43、荷物室付きスハニ35を総称し、現在は日本ナショナルトラスト所有のスハフ43が2両大井川鉄道に残っている。スハ43系と同時期である1951年の設計段階から固定式2列クロスシートなど特急用に相応しいアコモデーションを備え、新製後は国鉄の看板列車であった「つばめ」「はと」、他には「かもめ」「はつかり」といった特急に投入された。その後、使用列車が電車、気動車化されると長距離急行へ転用、最後の優等列車は急行「銀河」だった。転用に際して、この系列は「特急」使用に特化した構造だったため転用先には恵まれず、スハニ35は早期に事業用等を経て廃車、スハ44は一部緩急車改造されたが廃車、スハフ43は普通列車用として四国へ転用された。そのスハフ43のオリジナル車が稼動状態で大井川鉄道に残っている。客車特急全盛期を語る意味でも、とても意義のあることといえるだろう。 

四国時代のスハフ43、ローカル輸送に充当されていた。(カメラ CANON AE-1P、フィルム フジクローム RDP)

スハ44使用の最後の優等列車が「寝台急行 銀河」。

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2015年4月3日金曜日

3枚の「さくら」。

 寝台特急「さくら」号は東京~長崎・佐世保を結んでいた「ブルートレイン」。長らく列車番号「1」を堅持していた名特急。日本人が好きな「さくら」という愛称と夜行列車との関係は、朝日を浴びた満開のソメイヨシノの清々しさに似たものがあるように思えたものだ。
 昭和50年代初頭、ポストSLとして突如ブームとなった「ブルトレ」、その白眉は東京発の九州特急に装着されていたヘッドマークで休日になると東京駅には多くの鉄道ファンが集まりシャッターを切っていた憧れの列車でもあった。客車は昭和46年から廃止されるまで、新系列寝台14系車両が一貫して使用されていたが、ヘッドマークを装着して牽引する機関車は三代に渡った。それぞれヘッドマークにも変化はあるが伝統あるデザインは不変。しっかりしたデザインはあきられないということだろう。今回掲載した「さくら」、印象に残るのはどれだろうか。
昭和60年からは高速貨物用EF66が牽引。スピードアップが図られた。ヘッドマークの色は葉桜に。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
EF65 1000番台は昭和53年から牽引。ヘッドマークに赤桜も登場した。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)  

ブルトレブーム真っ盛りの頃、昭和43年から「さくら」の先頭に立っているEF65 500番台は憧れの機関車。
ヘッドマークの塗りわけはオリジナル。(ネガカラー) 
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2015年4月2日木曜日

花見日和

池の水も心地よく感じる小春日和。(カメラ CANON EOS7D)

 桜が咲き誇る時期は足が自然と外へ向かうもの。この日も多くの花見客が満開の桜を満喫していた。背景にはゆっくりと走るオイルトレイン。 季節の歩みも列車も急がないほうが良い。 
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2015年4月1日水曜日

帰ってくる赤い北斗星



8月までのブルートレインの最後の輝きとなる「臨時 北斗星」。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)
3月14日のダイヤ改正で廃止になった寝台特急「北斗星」、4月からはカシオペアと同じ隔日運転の臨時列車としてハイグレード車6両を連ねたスペシャル編成で運行される。その先頭に立つのが田端機関区のEF81。カムバックした北斗星の最後を飾るに相応しい粋な計らいだ。(・・・というのは表向きで実際は用済みとなった専用機EF510型電気機関車をJR貨物への転用改造のためでもあるのだが)。 とわいえ赤い北斗星カラーやお召し装備の81号機、元レインボー専用の95機と「役車」は揃っているので、春、夏の景色を行く様々な北斗星が見られるだろう。
(PS  4月1日の投稿ですので誤報が含まれていることもあります。)
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