2019年2月28日木曜日

ゴハチ、最後の輝き

 振り返ると今回の作品は悔やまれる一枚。昭和59年1月に撮影した寝台特急「つるぎ」の回送は、57年11月ダイヤ改正によって宮原操車場~向日町運転所 間をEF58が牽引することで話題になっていた列車だった。ところが回送列車ダイヤを把握していなかったことが仇となって突然現れた列車に咄嗟にカメラを向けたため、中途半端な「日の丸構図」になってしまった。地元のファンもカメラをセットしていなかったのでノーマークだったと悔やんでも後の祭り。だが最も悔やまれた事はゴハチ牽引のブルトレに遭遇したのはこの日が最後になったこと。無理をしてでも延泊すべきだった。
なぜ翌日も撮らなかったのか、これも不可解なこと。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
      
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2019年2月27日水曜日

認めたくないもの。

 某アニメキャラの名言に「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを」があるが、今日誕生日を迎えあらためて自問してみるのは、今の自分は学生や社会人初期の頃「ああいう『大人』にはなりたくない!」と見つめていた「大人」になっていないか?ということ。
 人として避けて通れない過程に「老い」があるが、良い歳のとりかたもあればその逆もある。例えば本ブログでも幾度かとりあげているマナー問題でも、たちが悪いのは「知らない」若年者より「分別がある」年配者の方。自己中心と合わせて「赤信号、皆で渡れば怖くない」的な集団行動で気が大きくなるのは「酒場の論客」タイプの「うるさ型」とも繫がる。それが「なりたくなかった」大人だった。一方で、相手に気づかせるように話を持っていく人との交流では不思議と自己重要感が高まっていくことも実感している。さて今の自分はどうだろうか。冒頭のキャラも40年後に「認めたくないものだな。自分自身の老い故の過ちというものを」と呟いてはシャレにならないのだから。
既に鬼籍入りしているキハ56形は1961年生まれ。(再掲) 
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2019年2月26日火曜日

いすみ鉄道から去るムーミン一家。

 いすみ鉄道のPRによると、3月末をもって車両のムーミンラッピングが消えるという。長年、世間に「いすみ鉄道」を知らしめる役割を担ってきた有名なキャラクターが去るのは寂しい限りだが、運転士採用プラン、国鉄形キハ、レストラン列車などキャラクター頼みでない話題を提供してきた同社としてはあえて「ムーミン」の冠を下ろすことで会社イメージの転換をはかったともいえそうだ。さて「ムーミン」なきいすみ鉄道が次に繰り出す一手はどのようなものになるのだろうか。
ムーミンのキャラクターが描かれているいすみ鉄道カラー車
         

3月16日からは埼玉県飯能にオープンする「ムーミンバレーパーク」で再会できるムーミン。
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2019年2月25日月曜日

神田川クルーズ

 聖橋でロケハンしていると真下に神田川クルーズ船がやってきた。今は梅の咲く時節、船上から感じられる「春の気配」はどのようなものだろう。こういうオープンタイプの周遊船は気持ちよさそうだ。
「ほら電車、来ましたよ」(カメラ CANON EOS7D)

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2019年2月24日日曜日

マニアックな愉しみ

 小湊鉄道~いすみ鉄道での房総半島横断の旅には古の旅の記憶を呼び起こすアイテムが揃っている。例えばDMH17型ディーゼルエンジンのアイドリング音、車内放送オルゴール音、ホーロー製のサボ。これらが繋ぐ現在と過去。目を閉じると懐かしい夏の日の記憶が蘇ってくる。
席取りはエンジンの近くがマニアック。

暖かみのあるサボ。

小湊鉄道、いすみ鉄道、そろい踏み。

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2019年2月23日土曜日

NEW CLASSIC  

 今日から営業運転が始まった東京メトロ 丸ノ内線2000系。先の銀座線1000系同様に「新しい古さ」を感じさせるこの新車のアピールポイントは「ラインカラー」の存在。鮮やかな赤は、1953年の丸ノ内線開業時の300形同様東京に新しい風を吹き込んだ印象があった。今後は2022年度末まで順次在来車を置き換えていくという。四季折々の地上区間を行く「昭和テイスト」の2000系が楽しみになってきた。
背景のJR線との絡みも楽しみな2000系(カメラ CANON EOS7D)
            
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2019年2月22日金曜日

記憶に残るエピソード。

 平成元年12月3日は良いも悪いも記憶に残っている日。良い面では同年の鉄道友の会エバーグリーン賞を授賞したC623号機が記念ヘッドマークを装着して片道だけの冬季運行を行ったこと。一方悪い方ではメインカメラの絞りが作動せず、露出オーバーの作品になったこと。記録はサブカメラで残せたのは幸いだったが、メインカメラのトラブルは痛恨の極みだった。あらためてフィルム時代の「カメラは2台が標準」の有難味を実感できたが、同時に一番安堵したエピソードはこの冬季運行のため渡道した経費(飛行機+宿泊+α)がムダにならなかったことかもしれない。
C62ニセコ、待望の冬季運行。このシーン、ウン万円也
(カメラ CANON T90、フィルム コダクロームKPR)

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2019年2月21日木曜日

北街道行きカートレイン

国鉄時代の昭和60年に汐留~東小倉間に運行されたカートレイン(後のカートレイン九州)が好評だったことから、民営化後その第二弾として恵比寿~白石間に誕生したのが「カートレイン北海道」。編成は青森区の24系客車4両(内1両は電源車)+車搭載用貨車ワキ10000形9両で客車はB寝台車のみで後にJR北海道が道内で運行した「カートレインくしろ」で「北斗星」予備車のミニロビー、シャワー室を備えたスハネ25形を充当したのに比べるとサービスレベルには差があった。合わせて運行当時は1989年の税制改正により5ナンバー車の大型化、更には3ナンバー化が進んだ時期でもあり寸法的にワキ10000に搭載できない車種が増えた事も列車存続にはマイナスとなった。仮にカートレインに特化した車載用貨車、寝台車が整えられていたらと思わずにはいられない。会社間での運行経費の分配に問題があった「カートレイン九州」と異なり東日本、北海道の両エリアで運行する「カートレイン北海道」は将来への可能性があっただけに熟成してほしかった列車だった。
新幹線札幌延伸に際して新幹線での復活が期待される「カートレイン」
(カメラ CANON EOSRT、フィルム フジクローム RDPⅡ)

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2019年2月20日水曜日

総武・中央緩行線の209系は残り1編成。

「お下がり」のイメージが強い総武・中央緩行線だが、新車で投入されたのが幅広車体の209系500番台(以下209系と略す)、E231系0番台の2形式。両形式とも現在山手線から転入のE231系500番台に置き換えが進む中、いよいよ209系は残り1編成となった。どうやら桜の季節は迎えられそうだがいつ戦線を離脱するか予断を許さない状況だ。一方、E231系0番台は6編成が500番台に置き換え完了後も残置するが、特徴だった「6扉車」は他編成からの転用車によって外され5号車の停止位置は「4扉」に統一される。山手線が新形に置き換え完了予定は来春、その時期が訪れたとき今回の転属は節目を迎える。
1998年、103系を置き換えるため誕生した209系500番台。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)
         
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2019年2月19日火曜日

「食後のコーヒー」が消える「やまびこ」

1月26日の本ブログ「失われてはいけないもの」(https://gazosousakunin.blogspot.com/2019/01/blog-post_26.html)に引き続いて2月18日付のJR東日本のPRによると一部の新幹線・在来線特急の車内販売についての廃止、取り扱い品目の見直しがなされるという。ショッキングなのは北陸新幹線「かかやき」「はくたか」以外の新幹線列車も見直し対象となることで、東北新幹線「やまびこ」は全区間、「こまち」は田沢湖線内での車内販売が廃止される。取り扱い品目が見直される列車も販売内容はホットコーヒー、ペット飲料、アルコール類。お菓子、つまみ類に留まるという。現行の販売品目には事前に買い込むことはできない「熱い、冷たい」、沿線名物弁当や土産の類もある。あらためて問う。「車内販売」は時代遅れなのだろうか。
在来線「踊り子」、「日光・きぬがわ、スペーシア鬼怒川」、「草津」、
「いなほ(酒田~秋田)」ではホットコーヒーの車内販売も廃止される。

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2019年2月18日月曜日

三線軌条への誘い

同一区間に標準軌(広軌)と狭軌といった軌間が異なる車両を走らせるために、レールが三本敷かれている「三線軌条」。近年では北海道新幹線開業時に青函トンネルを含む木古内~新中小国信号所間で採用されたことで世に広く知られることとなったが、関東では古くから箱根登山鉄道 入生田~箱根湯本、京浜急行 金沢八景~神武寺で見ることができる。前者では車庫がある入生田への登山電車の入出庫、後者では沿線にある車両メーカー(総合車両製作所)の車両搬入出のために使用される。見所は三本のレールが巧みにクロスする「ポイント(分岐器)」区間。マニアならずとも一見する価値はありそうだ。更にマニアックな方向けにお勧めしたいのが京浜急行 六浦駅。そこには三線軌条のネックと車両限界を共存させる工夫を見る事ができる。
金沢八景では御馴染みの三線軌条。

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2019年2月17日日曜日

「キリバン」

「キリの良い番号」をキリバンと称する様になったのは何時からだろうか。初めて聞いたのがウェブサイトのアクセスカウンターが「キリの良い」数字を指す時だったのでそれ程昔の話ではないが「キリの良い番号」を尊重するのは古くからあること。鉄道車両での「1番」信仰もその一例だが、昭和58年(1983年)に誕生した欧風客車「サロンカーなにわ」の牽引にあたって優先的に充当されたのが「キリバン」EF58 100号機。共に宮原客車区、宮原機関区所属というお隣さん同士のペアだったが長続きはしなかった。
その背景には昭和59年2月のダイヤ改正で東海道・山陽筋の荷物列車の牽引機の変更があり、従来のEF58から信越線用EF62への置換えに際し沿線機関区での訓練などによって必要な車両数が揃うまで間、EF62用運行ダイヤをEF58が代行するため各地から配置区となる下関に集められた機関車に100号機が含まれたこと。1月31日付で下関へ転属後は平均日車キロ約700kmに及ぶ過酷な運用に充当され、蒸気暖房装置に端を発したトラブルに見舞われ早期に戦線を離脱、休車~廃車という哀れな晩年だった。今回の作品は、昭和59年1月に撮影した宮原区の100号。正面の小窓が美しい機関車だった。
100号転属後も「お座敷客車」牽引用に宮原区には3両のEF58が残された。
当時「キリバン」に価値があれば残されたかもしれない。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクロ-ム RDP)

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2019年2月16日土曜日

未来の見える電車

今回の作品はいずれも昭和30年代に登場した衝撃的な電車たち。左上から昭和32年 小田急3000形、同33年 国鉄151系、左下は同35年 東武1720系、同36年 名鉄7000形、いずれも前例のない中、紆余曲折を経て誕生したそのコンセプトは未来を見据えていた。これらの車両から影響を受けたファンは数知れない。あれから半世紀を過ぎ「未来」や「夢の21世紀」になっても、将来が見えるエキサイティングな「作品」は求められている。人は過去から学び、今をどう生きているかで未来を拓くことができる。さて今後、度肝を抜くような車両を世に出すのはどの鉄道会社だろうか。 
    
 


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2019年2月15日金曜日

富士急行から消えるオリジナル車

 富士急行5000形は富士急の鉄道車両として自社発注した最後の新製車両。「5000」という形式は誕生した昭和50年に因んでおり、当時地方私鉄としては珍しかった「冷房付」新車だった。5000形は鉄道友の会「ローレル賞」を受賞した意欲作だったが製造両数は一編成2両に留まり、以後の車両増備は他社からの譲渡車にシフトした富士急にとっては孤高の存在だった。その5000形が2月をもって引退する。昭和50年製の車両の灯がまたひとつ消えていく。電気車両を長く使うためには保守部品の確保、維持管理がカギになる。
「トーマスランド」号で最後の活躍をする5000形
(カメラ CANON EOS7D)
                       
車内はトーマスワールド。

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2019年2月14日木曜日

「なつかしの新特急なすの」

4月1日~6月30日まで開催される栃木アフターデスティネーションキャンペーンのイベント列車として5月26日に上野~黒磯間に運行されるのが「なつかしの新特急なすの」号。現在「なすの」という愛称は1995年に東北新幹線へ召し上げられていることもあって久方ぶりの在来線への復帰だが、案外知られていないのは「新特急」は列車種別ではなく愛称の一部だということ。「新特急なすの」のヘッドマークに「新特急」の文字が申し訳程度に入れられているのはそのためだ。その「なつかしの新特急なすの」号、現役当時の185系7両で運行される。
「新特急なすの」一日だけの復活
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)


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2019年2月13日水曜日

比べてみると・・・。

 今回は昭和49年の会津若松機関区と平成21年の郡山総合車両センター会津若松派出所のスナップ。左の電柱を基点に比べてみると完全な定点撮影ではないが、転車台を中心にした扇形庫は排気用の8本の煙突を除けば大きな変化が無いことに気がつく。変わったのは構内への立入方法で、従来は見学許可を経ての入構だったのに対し平成21年では「生活通路」として構内の通り抜けが可能だった事から「通路上」から撮影できたことだろう。東日本大震災後は「生活通路」の取り扱いが中止になったとも聞いているが、改元後には再訪する機会を持ちたいもの。この「機関区」には思い入れがある。鉄道写真撮影の原点はここにあるのだから。
転向するキハ23。(ネガカラー)
         
変わらず残るターンテーブルと扇形庫。


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2019年2月12日火曜日

古川橋の長椅子

京阪本線の古川橋駅上にある「長椅子」は中々ユニーク。腰部に適度な傾斜があることから収まり良く「きれい」に座れるのだ。あわせて区切るような肘掛けの類が無い潔さも嬉しい。ホーム上のベンチの向きが線路と垂直に配置するのは関西が発祥と言われている中で、趣のある古川橋の「長椅子」はいつまでもこの姿を保っていて欲しいもの。旅先でこういった面白いものを発見すると得した気がするものだ。
門真運転免許試験場の最寄り駅でもある古川橋。区間急行と普通電車が停車する。

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2019年2月11日月曜日

収まりの良さ。

 現在運行されている蒸機列車で最長編成なのは「ばんえつ物語」用の12系客車と大井川鉄道の7両。ただ大井川鉄道では7両運転の際は補機として電気機関車が連結されるので、単機で牽引する編成としては「ばんえつ物語」に軍配が上がるだろう。機関車を含めて8両で運転される「ばんえつ物語」が「長編成」となるのには違和感もあるが、3~5両が通常になった蒸機列車ではこれも時代の流れというべきだろうか。そう思うとC57のような大型機には「長編成」は収まりが良いことに気がついた。乗車しても楽しい「ばんえつ物語」は、もっと注目されても良い列車だ。
青とクリームの塗装時代の「ばんえつ物語」。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)

 

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2019年2月10日日曜日

身近になった北陸

 2月10日で思い出されるのは1990、91年のJR七尾線行き。ターゲットは連休に運行されるC571+C56160の重連「冬の北陸 ときめき号」。北陸新幹線開業前の金沢は近いようで遠いエリアで、現地で早朝から活動するためには金曜日に前泊するか、上野21:00発の夜行急行「能登」で移動するのが定番だった。寝台特急「北陸」での現地入りは「(到着が)遅すぎますね。」と称されるほど沿線には早朝から多くのファンで賑わった。
 現在では上野21:10の「かがやき519号」で移動すれば金沢には23:35に着く。金沢は今、遠いようで近いエリアとなっている。
悪天候下ゆえ煙が映えた。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)

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2019年2月9日土曜日

アンチクライマー

「古い」電車で見かける前面下部にある3枚の板はアンチクライマー。衝突事故の際にアンチクライマー同士が嚙み合う事で台枠が車体に乗り上げることを防ぐ構造物だ。その役割ゆえ活躍しては困る装備だが、一年に数回しかない雪の日ならこういう雪化粧も良いものだ。乗せるのは雪なのだから。
雨ニモマケズ、風ニモマケルナ。
(カメラ RICOH GRデジタルⅡ) 

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2019年2月8日金曜日

「28」の日

 いささかこじ付けの感もあるが今日は2月8日に因んで「キハ28」に注目したい。国鉄ディーゼルカーの中では最も「顔なじみ」の車両でもあるキハ28を含むキハ58系列は民営化の時点で1098両がJR5社に継承されたが、その中で現在いすみ鉄道の2346号が唯一現役車として活躍しているのは奇跡に近いこと。この昭和の「クラシックカー」は新元号後も稼動しそうだが気になるのは編成を組む車両。現在のパートナーキハ52形の状態如何によっては、案外フェードアウトの日も近いかもしれない。「昭和の車両」を懐かしむ世代にとって聖地ともいえるいすみ鉄道のキハ28。平成の奇跡ともいえるその存在価値が問われるのは次世代への宿題だ。
昭和の急行、キハ28

2346号車は元346号車、冷房改造時に原番号+2000で改番された。

フル装備の「サボ」、これも昭和ならでは。


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2019年2月7日木曜日

国鉄末期の異変

1986年国鉄当局によって誕生した「人材活用センタ-」は波紋を呼ぶことになった組織だった。そこに配属された職員は1万5000人、「余剰人員の活用」の名の下で本来の業務とは全く異なる仕事に従事することになったからだ。この当時、駅構内に「珈琲ショップ」や「立ち食いそば屋」が誕生したのもその一例で、不慣れな「店員」が悪戦苦闘していた姿を思い出される方々もいるだろう。後世から見ると民営化前に行われたリストラクチャリング。「活用されなかった」職員は民営化後は「清算事業団」付になっていった。今回の作品は「Bell」という名のコーヒーショップ。「JNR」のせつない武士の商法だった。
店員の心中いかがなものか。露出は控えめにしてみた。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
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2019年2月6日水曜日

コンデジも良し。

 今回はスナップで使っているコンパクトデジカメRICOH GRデジタルⅡのご紹介。2007年に発売されたGRデジタルの2代目で「カメラ散歩」のメインカメラだ。レンズはシングルのGR28ミリ、手振れ防止機能無しというスペックは軽快さの中にも確りとしたカメラ保持が必要なところも気に入っている。更にこのカメラでの撮影はフィルムでのスナップを意識しての「一枚切り」が基本。「気になった被写体はまず撮っておく」姿勢はフィルムもデジタルも変わらないことを再認識させてくれたのがこのカメラ。良いものとは長い「付き合い」をしたいものだ。
単体ファインダーを装着してみると「レンジファインダーカメラ」らしく見えてくる。
カメラがあれば試してみよう!

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2019年2月5日火曜日

業務委託駅になったミニ東京駅

JR高崎線の深谷駅は「ミニ東京駅」として知られている。その理由は1996年に橋上駅舎へ改築の際、大正時代東京駅建設時に深谷産の煉瓦を使用した縁もあって東京駅を模したことによるものだ。2006年の市区町村合併までは長らく深谷市にある唯一の旅客駅だった深谷駅も昨年、JR東日本のグループ会社による「業務委託駅」へ転換。これによって駅は本庄駅長管理下となっている。 JR東日本エリアでは近年、有人駅が「業務委託」化される傾向にあり東京、上野、新宿、池袋といったターミナル駅でも業務の一部は「外注」されている。「駅ナカ」商業施設に代表される駅のあり方が変わったのが平成時代。そこに働く職員も既に「ぽっぽや」の時代ではないようだ。
今回の作品は1996年の12月に撮影、当時はホームから駅舎を見る事ができた。
(カメラ フジティアラⅡ、フィルム フジクローム RDPⅡ


「ミニ東京」を発車する金沢行特急「白山」

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2019年2月4日月曜日

パワフルなキハ54。

キハ54は国鉄最終年度の1986年製、現在は基本番台はJR四国、500番台がJR北海道に所属している。この車両の大きな特徴は軽量ステンレス製の車体とエンジンを2基装備していること。その2エンジンの威力を実感できるのが、冬季排雪走行を行うJR北海道の500番台で「単行」で雪を蹴散らせながら力行する姿は逞しさと合わせて不思議と安心感を与えてくれる。座席も特急車から転用された簡易リクライニングシートや転換クロスシートに更新されていることもあって居住性も悪くないが、経年も進んでいることからこの車両の去就も気になるところ。そのカギとなるのが特徴でもある「2エンジン」になりそうだ。
JR北海道のキハ54は旭川、釧路に配属されている。
(カメラ CANON EOS7D)
花咲線用のシートには道内の鳥がデザインされている。
  

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2019年2月3日日曜日

酒匂川 7:25

デジタル写真でありがたいと思うのは、撮影データをファイルのプロパティで確認できる事。今回の作品ではシャッタースピード 1/500秒、絞り f/14、時刻は7:25とある。山を絡める構図では雲が発生する前の澄んだ空を活かしたいもの。そのためには早朝出発も苦にはならない。列車はその「雰囲気」の中を走ってくればそれでOK。後はコーヒーで冷えた身体を温めて一息つくだけだ。     
小田原行き定刻通過。(カメラ CANON EOS7D)

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2019年2月2日土曜日

武蔵野線、過渡期だった頃

 現在、205系からE231系へ世代交代が進むJR武蔵野線、同線の歴史の中で幾度かなされた新旧交替だが国鉄晩年の昭和61年頃、開業以来活躍していた101系を他線区から転属の103系で行った時期は混沌としていた。ステンレス車ではライン帯を貼り変えるだけの外装変更も鋼製車では塗装変更が完了するまで旧運用線区のラインカラーで運用に供されたことによるもので、山手線ウグイス色を除く4色が活躍していた。今回は当時のオモシロ編成を載せているが、運用が決まっていなかったこともあって遭遇するかは運頼みだった。
開業当時から運用された101系は初期車が多かったこともあって取替えは急務だった。


エメラルドグリーンは常磐快速線からの転属車。
カナリア色の編成は元「冷房試作車」
スカイブルーは京浜東北線から転入。


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2019年2月1日金曜日

「冬のD51」はシュプール号で。

’90年代初頭、2月の第一週は磐越西線の郡山~会津若松の「冬のD51」行きが定番だった。往路に利用したのはスキー列車の「シュプール猪苗代」、夜行ならではの早朝着が撮影行には都合がよかったこともあって、大荷物のスキーヤー諸氏に雑じりながら旅したものだ。14系座席、485系、583系寝台と年によって変わる車両はファン心をくすぐったが、仕事疲れの身体に優しかったのは寝台だった。シュプール号は目が覚めると白銀の世界が飛び込んでくるドリームトレイン。この頃は鉄道でもスキーツアーのように車中泊日帰りが出来た時代だった。
勝田区波動用編成による485系「シュプール号」
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RDPⅡ)
白銀の世界、磐梯山を背に行く「冬のD51」
        
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