2019年2月17日日曜日

「キリバン」

「キリの良い番号」をキリバンと称する様になったのは何時からだろうか。初めて聞いたのがウェブサイトのアクセスカウンターが「キリの良い」数字を指す時だったのでそれ程昔の話ではないが「キリの良い番号」を尊重するのは古くからあること。鉄道車両での「1番」信仰もその一例だが、昭和58年(1983年)に誕生した欧風客車「サロンカーなにわ」の牽引にあたって優先的に充当されたのが「キリバン」EF58 100号機。共に宮原客車区、宮原機関区所属というお隣さん同士のペアだったが長続きはしなかった。
その背景には昭和59年2月のダイヤ改正で東海道・山陽筋の荷物列車の牽引機の変更があり、従来のEF58から信越線用EF62への置換えに際し沿線機関区での訓練などによって必要な車両数が揃うまで間、EF62用運行ダイヤをEF58が代行するため各地から配置区となる下関に集められた機関車に100号機が含まれたこと。1月31日付で下関へ転属後は平均日車キロ約700kmに及ぶ過酷な運用に充当され、蒸気暖房装置に端を発したトラブルに見舞われ早期に戦線を離脱、休車~廃車という哀れな晩年だった。今回の作品は、昭和59年1月に撮影した宮原区の100号。正面の小窓が美しい機関車だった。
100号転属後も「お座敷客車」牽引用に宮原区には3両のEF58が残された。
当時「キリバン」に価値があれば残されたかもしれない。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクロ-ム RDP)

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