2015年9月30日水曜日

函館へ3時間50分の旅。

 函館へ3時間50分・・・は、北海道新幹線ではなく、かつての青函連絡船「片道」の所要時間。 飛行機で東京から札幌、往復の時間を差し引いてもお釣りが来るという船旅だった。晩年、本州と北海道への旅客の流れが飛行機にシフトしていた中でも、鉄道航路としての役目は大きく、多くの物資を積んだ「貨車」が日夜、津軽海峡を渡っていた。 青函トンネルの開通によって、レールで日本国内が一本化したことにより、貨物輸送が航路から鉄道へ移行したのは、自然な姿で天候に左右されることなく、なおかつ大幅な時間短縮がなされた大きな改善だった。
 「連絡船」は演歌の歌詞に残るだけになったが、これからは新幹線の時代になる。 PRによると新函館北斗駅まで最速4時間10分で結ばれるという。もちろん始発は東京で青森ではない。在りし日の青函連絡船ある光景をまとめてみた。 
上野発の夜行列車を降りて向かう連絡船へのアプローチ。

桟橋からみる「羊蹄丸」

カーペット席。


一般席。


出港待ち、既に貨車の積み込みは終わっている。


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2015年9月29日火曜日

思い出の紅葉

豊橋と辰野を結ぶ飯田線、全線乗車すると6時間近くを要するという長大ローカル線でもある。 湘南電車80系が終焉を迎えた路線だった事を知っているファンは、アラフィフ?あたりかもしれない。
 飯田線に通った頃は、新旧交代の時期で80系の置換えが始まるという晩年だったが、注目はスカ色の旧型国電に向けられ、美しい全金属車で組成された80系は「来れば撮る」という程度の扱いだった。 その中で印象的なのが為栗(してぐり)~平岡をロケハンしての紅葉。当時、利用した信州ワイド周遊券の南限、「中井侍」駅までのエリア内だったことから気軽に行ってみたのだが、期待以上の光景には驚かされたものだ。移動の列車時刻との兼ね合いがあったので数本の撮影に留まったが、その中で最後の活躍を見せる80系が白眉だった。 時は流れ、東京から「飯田」へは高速バスがメインとなり、飯田線自体の存在が薄くなっているのが残念だ。  

旧型国電の最高峰80系300番台の勇姿を記録できたことは幸いだった。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム400D)
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2015年9月28日月曜日

JR貨物のハイパワーロコ。

 手前からEF500、ED500、EF200の三台の電気機関車は、JR貨物が民営化後に国鉄時代からの継承機関車の後継機として開発した「ハイテク、ハイパワー」機関車。VVVFインバータ、誘導モータといった最新メカを搭載しての登場だった。車号の900番台は、試作車区分と言われており各種試験ののち量産機へフィードバックする目的を担っているが、結果としてこれら三機種のうち量産に至ったのはEF200型のみとなった。
 量産されなかった大きな理由は、「ハイパワー」過ぎたこと。国鉄時代最強のEF66型の総出力3900KWに対しEF200、500は6000KW、ED500でも4000KWだった。 特に6000KWを活かした試験運行では架線電圧の変動を引き起こすことになり、電力供給設備の増強が必要とされ、貨物輸送量に対し過大出力になる懸念とも合わせ、量産にあたってはパワーダウンを含めたコストパフォーマンスの良い機種(EF510、EH500)に移行された。 量産されたEF200型も、最大1600トンの重量貨物牽引可能なパワーを活かすことは前述の理由から叶わず、EF66型同等の運用にとどまっている。メカ機器更新の時期も近いことから前途は芳しくないようだ。
 
ハイパワー試作機そろい踏み。EF200は1993年の「ローレル」賞を受賞している。
(カメラ CANON EOS RT、フィルム フジクローム RDPⅡ)

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2015年9月27日日曜日

ススキと月・・・ん?

 今日9月27日は中秋の名月が見られる日だそうだが、ススキと満月モドキを絡めた写真が出てきた。 
 蒸気機関車のヘッドライトは、かつての運輸省令に従って上部に一灯が基本。補助灯が付けられている機関車もあるが、いかにも後から付けました!という印象がする位、控えめだ。
 鉄道車両のヘッドライトは、1960年代までは白熱灯が標準で決して明るい光源ではなかったが、その後、シールドビーム灯や近年のLED灯の登場で照度の面では大幅な改善がなされている。だが、満月モドキの淡い光を描けるのは白熱灯ならでは。 蒸機を除き、今では白熱灯を装備した現役車両も希少となっている。「大きな目玉の前照灯」が判別のポイントだ。      

停車時間のひととき。(カメラ CANON EOS7D)
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2015年9月26日土曜日

成田空港アクセス特急 253系


253系は横浜支社初配属の特急車両でもあった。
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RVP)
1991年 成田空港へのアクセス列車として登場した「成田エクスプレス」は、東京のみでなく横浜、新宿、渋谷といった地区からのアクセスを重視したコンセプトで誕生した。 特に千葉駅を通過する運行形態は物議を醸したが、現在も早朝、深夜を除き千葉通過は継続されている。
 専用車両253系は3両を基本編成とし、内1両がグリーン車でレイアウトはエグゼクティブクラス、ファーストクラス乗客向けに四人用個室と一人席を備えた開放室で構成され、普通車もフランス製の固定式クロスシートの採用など他の特急車両とは一線を画した仕様での登場だった。
 その後基本編成は、利用客の増加に合わせ6両に増強され、総武本線を2編成併結した12両編成で空港を目指す姿も日常的になっていった。
 だが、経年により後継のE259系に置き換えられた後は、空港アクセスに特化した仕様が一般特急にはそぐわないこともあり、一部が長野電鉄とメカ更新のうえ東武日光、鬼怒川向け特急へ転用された以外は早々に廃車となっている。 この電車は、本来の目的「空港アクセス」を全うした短き生涯だったといえそうだ。  
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2015年9月25日金曜日

真鍮に魅かれる

真鍮は銅と亜鉛の合金で黄銅とも言われる。 鋳造、加工が行いやすく錆びくいので工業材料として昔の鉄道車両には多用されていた。 今回の作品は、飯田線で最後の活躍をしていた頃のクモハ43015車内。颯爽と京阪神を往来していた頃から使い込まれた「真鍮」の輝きが魅力的だったので、ピントはここへ合わせている。データでは15分の1、1.4開放。 車内の雰囲気を大事にしたかったので、連続撮影はしていない。 
 あらためて今回の作品をみると、考えて一枚を撮る・・・という思いが伝わってくる。 じっくり「一枚切り」で撮ってみる。 最近、そうありたいと思うようになってきた。
真鍮と木のぬくもりが戦前の電車の特徴
(カメラ CANON NewF-1, フィルム コダクロームKR)

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2015年9月24日木曜日

♪ わたしは真っ赤なりんごです ♪

みのりの秋、りんごの産地を走る路線では、この時期、鮮やかな赤い果実が車窓に飛び込んでくる。 何気ない光景でも沿線から見るのと、列車から見るのでは印象が異なることは多い。ロケハンも「撮影者目線」を意識すると良いともいわれる。 今回もそのようなプロセスで撮影した一枚。 釜石線でかつてD51が運転された際の補機が回送されるシーンだが、赤と緑と朱色の組み合わせを狙ってみたもの。 でも、赤い「りんご」は撮るだけ。盗ってはいけません。  
童謡「りんごのひとりごと」をふと思い出した。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)
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2015年9月23日水曜日

現像ソフトの面白さ

 デジタルカメラに欠かすことができない「RAW現像ソフト」。 PCのモニターで現像のステップを確認しながら画像を整えて行く作業はとても面白く、スキャナーを使用してフィルムをPCに取り込めば、現像ソフトで懐かしい過去の記録を蘇らせることができる。 今回のスナップは、まさにそんな一枚。 原画はカラーでコダクローム64で撮影したが、ハイライト部分をトーンカーブで整えながら、人物の表情の出し方を試行錯誤した一つの答えが「モノクロ変換」だった。 コントラストを強くしてみることで、ほのぼのとした雰囲気が活きてきた。 現像ソフトは、自分が表現したいイメージをアシストしてくれるツールの一つなのかもしれない。 あとは「いじり過ぎ」ないことだろう。 
背後の電車は食堂車サシ481。長距離特急が健在だった頃の上野駅では日常の光景だった。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム コダクロームKR)
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2015年9月22日火曜日

災い転じて・・・?(2)

 昨日の投稿した「災い転じて・・・?」の反響が多かったので、悪乗りついでで「パート2」を。 
列車撮影に際して情報収集は大事で、イベント系や臨時列車では「鉄道ダイヤ情報」誌の運行予定はとても参考になるが、実は「おいしい情報」は友人つながりからの「口コミ」情報が一番だ。今回の「トホホ」は、国鉄時代にEF58型電気機関車がスロ81 お座敷客車を牽引して東海道線を下るシーン。御覧のとおり正面窓に太陽があたりギラッと凄みを出しているのだが、これも結果オーライ作品。 実はこの時は口コミ情報から予測していた通過時刻が外れて、突然列車が現れたためとっさに「オート」にセットしたままのカメラで撮影した一枚。「ド順光」の太陽が窓に反射した時、「優秀な」カメラはこれに引っ張られ、露出アンダーになってしまった。 まさに「ド順光」のトラップにはまった結果なのだが、スナップは別にして「本気モード」では「露出はマニュアル」を実感したものだ。 
キラリに速やかに反応したカメラは素晴らしかった。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム RHP)
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2015年9月21日月曜日

災い転じて・・・?


 サプライズに遭遇した人の行動は、想定を超えることもある。
 鉄橋を渡るSL列車を川辺にいる人達が見たとき、彼らはどのような行動をとるだろうか・・・という狙いで構図を作ってみると、彼らは通過の際「想定どおり」列車に向かって手を振ってくれた。これはOK! が、次の瞬間、川釣りをしていた人も立ち上がって呆然と列車を見送っているではないか!! おぃ、おぃ・・・しかも、ファインダー内に堂々と映りこんでいる。 やられた!とその瞬間は思ったが現像を見てみると、いい雰囲気を出している。 災いは福にはならなかったが、結果オーライの失敗作になってしまった。 こういう喜怒哀楽の繰り返しが、作品創りでは日常茶飯事だ。
釣りに専念してください! と、心で叫んだ。 
(カメラ CANON EOS-1N RS、フィルム フジクローム RDPⅡ)

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2015年9月20日日曜日

蕎麦畑を見ながら。

とっておきの秋を探しに(カメラ CANON EOS7D)
蕎麦の花は、秋らしい光景。正面から撮影するお立ち台の傍にある小さな蕎麦畑でもレンズワークで、良い雰囲気になる。 微かに見える家は、ここで生活が営まれている証し。 実りの秋をどのように見ているだろうか。 

2015年9月19日土曜日

波動輸送用電車

 波動輸送は季節波動に合わせて運転される臨時列車で、その中心は行楽シーズンや盆暮れの多客輸送だが、少し毛色変わった運用が「修学旅行臨」。国鉄時代では「修学旅行用」車両が東京、大阪、中京地区では用意されており、修学旅行のみならずオフシーズンには波動輸送に充当されていた。
 現在の波動輸送は、定期運用を持たない特急用車両やお座敷電車等のジョイフルトレインが充当される時代となり、首都圏の修学旅行では「踊り子号」185系、元「スーパーひたち」651系などが使用されている。

踊り子号用185系電車は、近年 波動用の運用が増えている。 
(カメラ CANON EOS7D)

神奈川地区の日光集約臨では11両編成の修学旅行用電車167系が活躍した。

元祖 修学旅行用電車 155系。独自色で区別されていた。




















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2015年9月18日金曜日

ヘッドマーク

 観光列車の要素が高い蒸気機関車牽引の列車の先頭に取り付けられることが多いヘッドマーク。 定番な乗車記念撮影ではヘッドマーク付き機関車を背景に撮ることが多いため、ヘッドマークなしでは乗客からクレームが入る位、重要な撮影アイテムになっている。 元々、ヘッドマークはブルートレインに代表される「優等列車」牽引機関車にのみ装着される「誇り高きシンボルマーク」だが、蒸機列車に装着されたヘッドマークは、「旅の思い出」としての役目を担っているようだ。
 ヘッドマークは嫌いという撮影ファンもいるが、優れたデザインのマークには好感がもてるのも事実。 乗車することに意味がある「旅の思い出」には「センスの良い」ヘッドマークで応えて欲しいものだ。  


ツアー貸切という特別な事由でヘッドマーク未装着なC57。何か物足りなさを感じたものだ。
(カメラ CANON EOS-1vHS、フィルム フジクローム RVP)


「SLに乗った!」と記念撮影。 アルバムに思い出が残される。
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2015年9月17日木曜日

向ヶ丘遊園モノレール

2002年に廃園となった向ヶ丘遊園。1927年から続いていた歴史ある遊園地を知らない世代からすると、小田急 向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正門駅をモノレールが結んでいたことなどは信じられないことかもしれない。 この向ヶ丘遊園モノレールは、1966年日本で「ロッキード式モノレール」を初めて採用したことで知られており、他でこの方式のモノレールを採用した例は廃止になった姫路市営モノレールのみで稀有な方式でもあった。 開通以後は2001年まで川崎市多摩区の町並みの変化を見届けていた向ヶ丘遊園モノレールだったが、驚くべきは1編成で運行していたこと。 廃止の原因のひとつが車両の老朽による台車部亀裂という、予備車がない状況では運行を取り止めざるを得ない致命的なトラブルが、ロッキード式という特殊性と合わせモノレール存続に引導を渡すことになってしまった。  
 向ヶ丘遊園自体もモノレール廃止に伍して翌年には廃園となったが、園内のバラ園こついては川崎市が管理を引き継いでおり、現在跡地には「藤子・F・不二雄 ミュージアム」が開館されている。 もし、モノレールが残っていたらどうなっていただろうか。「ドラえもんラッピング」のモノレールが街を往来していたかもしれない。そう思うと残念である。  

利用料金 片道100円だったモノレール。遊園地近隣住民の貴重な足でもあった。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)



2015年9月16日水曜日

「信濃路」への「旅路」


 今回は「信越本線 豊野付近を行くJR西日本 広島支社のお座敷列車『旅路』」。 広島の車両が、秋の信州へ遠征してきた頃の一枚で紅葉をイメージした赤が鮮やかだった。
 北陸新幹線長野開業前の信越本線は、各地からの団体列車が多く運転されており、碓氷峠を越えるルート、日本海側からのルートからの入線があり、沿線の観光地を目指していた。 ところが北陸新幹線の開業は状況を一変させる。並行在来線は第三セクターに移管されたことにより、団体旅行は新幹線を基点とした行程に変わり、合わせて車両更新時期を迎えると後継として機関車を必要とする「お座敷客車」は造られない時代となっていった。
 現在、「しなの鉄道 北しなの線」となった豊野付近を行くJR西日本の列車は「W7系」、北陸新幹線のみである。 

リニューアルされた「旅路」だが、2007年に廃車となっている。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)

2015年9月15日火曜日

水面ギリギリに走る島鉄

 九州 有明海は干満の差が大きいことで知られている。島原半島を行く島原鉄道 南島原駅付近では海につながる入江沿いに走る区間があり、満潮時には水面スレスレに走る光景が見られるという。 もちろん洪水ではないので列車は止ることはないが、自然現象と長年共存している町の姿がそこにはある。 どこまでが安全でどこからが危険か。 自然は知らず知らずのうちに教えてくれている。過去より学ぶことは多いが、経験の積み重ねによって培われた絶妙なバランスで維持されていることを忘れてはいけない。バランスが崩れた時、災害は起こるものだ。 (カメラはRICOH GRデジタルⅡで撮影)
波のない入江では水鏡が出来る。かつては島原鉄道でもトロッコ列車が運行されていた。 


南島原駅 旧駅舎。平成27年に新駅舎に建て替えられている。






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2015年9月14日月曜日

思い出の大川橋梁

只見線 大川橋梁は西若松~会津本郷間の大川にかかっている鉄橋。 私事ながら昭和49年の1学期終業式の夜、担任の先生と生徒4人で0泊3日のSL撮影の旅をした最後の撮影ポイントとして記憶に残っている場所でもある。 その大川橋梁だが、先の台風18号崩れの大雨により線路が曲がったという。土台となる橋脚が損傷しているようで、復旧には時間がかかりそうだ。今年も紅葉シーズンにSL運転が計画されているが、それまでに橋の復旧はなされるのだろうか。 とても気になる「思い出の場所」だ。
長閑さを出すため、できるだけ川と空をいれてみる。
(カメラ CANON EOS-1V HS、フィルム フジクローム RVP)
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2015年9月13日日曜日

電化30年を迎える川越線。

1985年9月30日は「埼京線」が開業した日、と同時にこの日はローカル線だった川越線が電化、埼京線と直通運転を行うことにより通勤路線へ変貌した日でもある。当時、小江戸、川越へは池袋、新宿から直通する東武、西武の両私鉄がメインルートで、大宮で乗換えが必要な国鉄川越線は遅い、汚い、高いと問題外とも言えるルートだった。それが、非冷房のディーゼルカーから、山手線で使用されていた冷房付き103系電車10両に置き換えられ池袋へ直通する路線となり、この沿線の開発は大きく進んだ。 あらためて当時の写真をみると、何気ない日常の記録が大事なことを実感する。 まずは今を記録すること。 そのために動いてみることだ。
腕木式信号機にキハ35。これが30年前の川越線。
(カメラ CANON AE-1+P、フィルム フジクローム RDP)

埼京線に103系が転入した背景はATC採用のため。
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2015年9月12日土曜日

彼岸花

赤い彼岸花の花言葉をネットで検索してみると、「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「想うは貴方一人」「また会う日を楽しみに」・・・だそう。 怪しげな雰囲気を持つ有毒植物にしては、含みが多い花言葉だ。 川沿いに群生した彼岸花に相応しい表現はどれだろうか。 

リズミカルに時を刻む (カメラ CANON EOS7D)
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2015年9月11日金曜日

台風一過

 台風が去った後の空は、青く美しい。 ふらっと外を歩いてみると、空気が入れ替わったことを実感できるものだ。 今回の作品を撮影した二年前の空は穏やかだったが、今日の空は少し哀しかった。
青空の下、「流星」が通り抜けた。(カメラ CANON EOS7D)
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2015年9月10日木曜日

お見舞い申し上げます。

 秋は台風の季節と言われるが、昨日からの台風18号くずれの大雨で鬼怒川の堤防が決壊した報道を見ると、東日本大震災以来「あらためて」水害の恐ろしさを見せ付けられた感じがする。被害規模が今以上拡大しないことを願うと共に、被災された方にはお見舞い申し上げます。

雨は程々の方が良い。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)

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2015年9月9日水曜日

変わるもの、変わらないもの。 

 八木沢駅は、上田電鉄別所線の終点 別所温泉駅のひとつ前の駅。 とりたてて特徴もない駅だが、1986年 昇圧によって名物の「丸窓電車」が消える前に訪れた際、古い駅舎が面白くスナップしていた。
 2005年、別所温泉へ行く途中、久方ぶりに下車してみると見覚えのある駅舎は健在だった。同一位置でのスナップはかなわなかったが、二枚の写真を比べてみると、ワンマン対応のミラー設置、架線柱が付け替えられた以外は大きな変化はないようだった。 現在は、写真左のトイレ小屋は撤去されたが、駅舎は残っているそうで機会があれば再訪してみたい駅のひとつだ。

昇圧前は、戦前製造の古豪電車が往来した。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RDP)
昇圧後は東急電車による車両更新がなされている。
丸窓電車風に装飾された元 東急7200系は2014年まで活躍した。



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2015年9月8日火曜日

C12が牽引する日

真岡鉄道には、C11とC12の蒸気機関車が在籍している。 「SLもおか」号牽引には一両が使用されるが、どちらの機関車が牽引するのかは不明なことが多い。そういう中で、C12の牽引が確実な時期がある。それはJR東日本環内で運行されるSLイベントにC11を貸し出す時。 イベント本運転は土日だが、その前の試運転とあわせ週単位で真岡鉄道を離れることとなるので、C11が留守の間はC12牽引「SLもおか」号となるわけだ。 ちなみに今秋は、左沢線と只見線でC11の運行が行われるので、その時期は芳賀路の秋を行くC12を見ることができる。

小さなC12も、実りの秋を実感する。(カメラ CANON EOS7D)
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2015年9月7日月曜日

夕陽を帯びる

 柔らかな夕陽を帯びた無骨な蒸気機関車、艶のある工芸品のようにみえた。
 
 (カメラ CANON NewF-1、レンズ NewFD135ミリF2.8、フィルム フジクローム RVP)

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2015年9月6日日曜日

秋の釜石線

2014年から「SL銀河」の運転が始まった釜石線、かつてはD51が東北遠征して北上線と共にSL列車が運行されていた。両線とも四季を通じて魅力ある線区だが、稲穂が頭を垂れる時期は特に魅力的。前身の「銀河ドリーム号」は一日で往復したが、「SL銀河」号は二日で往復する運行のため撮影だけでは暇を持て余してしまうが、釜石線沿線は海の幸、山の幸も豊かなので、じっくり岩手の秋を楽しみたいものだ。


秋の釜石線にはD51が似合った。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RVP)


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2015年9月5日土曜日

動かないビア電車

開業100年を迎える流鉄で開催された「流鉄Beer電車」、他のビール列車のように「動く列車」ではなく、地元「名店」の屋台で飲食物を購入して停車中の車内でライブと料理を楽しむというスタイル。 全長5.7キロの流鉄だが地元との強い繋がりを実感できる企画だった。今後の「100年」関連イベントにも期待したいものだ。 (撮影は、RICOH GRデジタルⅡを使用)
会場の流山までは馬橋駅から200円。

「なのはな」号がビア電車に衣替え。

焼きたてチキンは美味。 オブジェの瓶も良い味を出している。

アイドルさん。電車内でのステージは初めてとか。

ライブと料理が楽しめる「Beer電車」、参加費は飲食代のみ。
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2015年9月4日金曜日

イチ、イチ、イチ

車号の111は、100番台の11番目。111両製造された訳ではない。
(カメラ CANON T90、フィルム フジクローム RVP)

 人に名前があるように、鉄道車両は形式と車号で管理されているのは言うまでもないことだが、時にはナンバーマニアが喜びそうな車両にも遭遇することがある。 かつて、総武快速、横須賀線で使用されていた113系電車にはクハ111-1111という「イチ並び」車両が在籍していた。国鉄時代は一部のナンバーマニアが知る程度の存在だったのが、平成になり年号と日付けでのソロ目が話題になったときに俄かに注目され、平成11年11月11日にはこの車両を目玉とした「イベント列車」が運行されたこともあった。
 形式は一定の規則性によって定められるので、ゴロの良い形式と車号が重なることは偶然性に委ねられることが多い。前述の「イチ並び」も形式が「111」であるなかで1000番台という区分で製造された111番目の車両だから成し得たもの。大量増備の産物で決して「ウケ」で附番された訳ではない。 現在は同一形式でも番号区分が細分化され、ゾロ目が揃うのは難しくなっているようだ。 そんな中、次の注目されるイチ並び」はキハ111-111。現在、小海線で活躍中だ。

晩年は、一般の人からも注目を浴びたイチ並び。
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2015年9月3日木曜日

はさがけ。

「はさがけ」は、秋らしい光景のひとつ。 刈り取った稲を水田から空気中に持ち上げ、籾を太陽光と風で乾燥させることで品質を維持するという。 機械乾燥が主力になる中で、昔ながらの「はさがけ」を見ると、気になってカメラを向けてしまう。 稲刈り後の田圃にもいろいろな表情がある。実りの秋らしさをどう表現してみせるかが、腕の見せ所になる。 
磐越東線、秋の旅
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム フォルティア)
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2015年9月2日水曜日

夕暮れで冴える色

 昨年、登場した新京成電車のピンクと白のニューカラー。1年経過して、着実に在来色からの「衣替え」が進んでいる。 このカラーには賛否はあるが、在来色と併用されていることで解ることは、白昼では白色が目立ち過ぎる印象がある反面、夕暮れ等日が陰る時間帯では判別し易いということ。 コーポレートカラーによるブランドイメージ戦略の推進のひとつが、このニューカラーとのことなので、徐々に共に沿線に定着してくるのだろう。 だが、ニューカラーが増えるにつれ、従来の8900系電車カラーが新鮮なことを再認識できたことは皮肉だった。 
汚れが目立つ白をベースにしたニューカラー。(カメラ CANON EOS7D)


8900系カラーは、メモリアルカラーとして鎌ヶ谷大仏駅に残る。

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2015年9月1日火曜日

高原を行くマザーグース。

 地方路線の特徴は、時には観光資源にもなる。八ヶ岳を行くJR小海線は、単なる普通列車でも高原列車の雰囲気を醸し出している。1987年、JR東日本と長野市のファンシー雑貨店との共同イベント列車「マザーグーストレイン」は、余剰車両の改装ながら清里、野辺山に相応しいお洒落な高原列車として運行されていた。最近、路線独自のイベント車両が多数登場しているが、その先駆けでもあったマザーグーストレインは共同イベントという事情からか定着しなかったのは残念だった。
暖房装置を持たないDD16牽引の旅客列車は珍しかった。
(カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP)
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