大阪発北陸線特急の全て、急行「立山」が湖西線経由となった昭和50年3月ダイヤ改正で、従来通りの米原経由で残された優等列車が「ゆのくに」「越後」「きたぐに」の各急行列車。特に昼行優等列車は特急格上げが基本線だったこともあって「急行」はレアな存在だった。今回の「ゆのくに」は米原が京阪神ミニ周遊券の周遊エリアに含まれていたことから、わざわざ「ゆのくに」で移動したときのスナップ。小さくなったヘッドマークが往年北陸急行の片鱗を感じさせたが既に編成は簡素化されていた。その「ゆのくに」が廃止されたのは昭和57年11月。東北上越新幹線開業に拠るダイヤ改正によるものだ。
昭和54年の「ゆのくに」 |
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