今回の作品は今もJR東日本に車籍を有しているクモハ12052の鶴見線大川支線時代の姿。当時は20m車の入線が困難だった武蔵白石~大川 間用として残されていたが、国鉄末期から1994年までの閑散時間帯や休日には、鶴見~大川、海芝浦へ充当されたこともあった。両運転台車ながらも前後で「面」が異なるのは、種車が片運転台のクモハ11形に運転台を増設したことによるもの。現在は東京総合車両センターに保管されているこの無骨な戦前型車両、令和時代ではどのように活用されるのだろうか。
クモハ12全景、52号車は車籍を有する最後の17m車となった。 |
運転台増設改造は昭和34年。 |
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