2020年2月29日土曜日

如月、そして弥生へ。

 冬至から2ヶ月経つと、陽が早くなってきたことが実感できる。ロマンスカー撮影有名ポイントも7:30頃では通勤列車の天下。清々しい空気を前に気が引き締まる思いがする。
電車の好き嫌いはあろうとも景色は不変。それで良い。
【スポンサーリンク】

2020年2月28日金曜日

上野口の185系普通列車

上野口で185系の普通列車が見られたのは2004年10月まで。国鉄時代から急行形車両の間合い運用だった頃の名残で、一般開放されたグリーン車2両を組み込んだオールクロスシート14連は「乗り得」列車だったが晩年は高崎線のラッシュアワーを避ける早朝5時台の籠原始発の上り列車1本のみに充当されていた。今は通勤輸送にも着席サービスが求められる時代になった。そう思うと185系普通列車はちょっと時期尚早だったのかもしれない。
新前橋区配置だったことで発生した「185系」普通列車。
【スポンサーリンク】


2020年2月27日木曜日

ニュータイプ

 今日は59回目の誕生日、聞くところによると今年は男性最後の前厄だそう。あらためて昨年を振り返ってみると既に厄が始まっているのでは?を思う程ケガが多かった。何が起こるかわからない前期高齢者予備軍になりつつある我々の世代も、実は「新人類」と称された世代の先駆け。何か新しいことも受け入れる度量、アナログとデジタルをジョイントする新しい「世代」なのだ。まだ、やれるぞ。新しき老雄、矍鑠として、いまだ意気盛ん。
老雄EF59

【スポンサーリンク】

2020年2月26日水曜日

次なる期待

 大河ドラマ「徳川慶喜」が放送された1998年1月、常磐線土浦から水戸 間の片道だけD51が走ったことがある。茨城デスティネーションキャンペーンのPRを兼ねていた蒸機列車運行も「特急街道」の合間をぬってのダイヤ設定ゆえ、試運転から緊張感が漂っていた。今回の作品はその試運転時のもので「常磐線らしさ」をPRするため偕楽園を背景に撮影している。その常磐線、3月のダイヤ改正で不通区間が解消される。願わくば全通した「いわき~仙台」間で蒸機列車運行を期待したいもの。さてどうなるだろうか。  

日本三名園のひとつ「偕楽園」を行く。
【スポンサーリンク】

2020年2月25日火曜日

下河原線の電車




下河原線は、かつて中央本線の支線として国分寺~東京競馬場前までを結んでいた路線。路線は昭和48年4月武蔵野線開業に合わせ廃線となったが、下河原線を晩年往来していた車両が鉄道博物館のクモハ40074号。現存する「半流型」として保存対象になった背景には、下川原線後は両運転台車であることを活かし電車区職員輸送用として残されたことが幸いしている。同館には共に下河原線で活躍した新性能電車101系も保存されている。両車を絡めた「下河原線の日」イベントも面白そうだ。
シル、ヘッダーが戦前製車両の特徴。
美しき半流旧形国電


                                                                                                                                                                                   
【スポンサーリンク】

2020年2月24日月曜日

「タキシードボディの凄いヤツ」

 タイトルのキャッチコピーは651系登場時に与えられたもの。’90年代の電車絵本を席巻した「スーパーひたち」651系も直流化改造(1000番台車)、波動用編成の廃車が進んだ結果、来月の常磐線全線開通を前にタキシードボディのオリジナル車はいわき駅~富岡駅の普通列車運用に供されている付属編成2本が残るだけになった。偕楽園の紅梅との絡みも過去帳入り。平成を走りぬいた651系が常磐線から去る日はそう先の話ではない。
「残り香」
             
【スポンサーリンク】

2020年2月23日日曜日

特別装飾が残るC571号機

今日は今上天皇の誕生日。天皇誕生日には例年御召列車に因んだ作品をアップしているが、今回のC571号機も昭和47年(1972年)新潟県村上植樹祭開催に際し、羽越本線新津~村上間に運行された御召列車牽引の栄誉を担っている。今回の作品は1990年「冬の北陸 ときめき号」運行時のもので運転台窓枠等に当時の御召装飾が残っているのが良くわかる。PRによると今年の「やまぐち」号は C57牽引に戻るという。生涯現役機はまだまだ元気だ。
現役時代から幾度もの故障、修繕を繰り返したC571号機。令和でも現役だ。
【スポンサーリンク】

2020年2月22日土曜日

痛し痒し

 JR北海道がキハ281系以降に開発した特急形車両に共通する前面形状に高運転台と貫通扉がある。小窓が設けられた貫通扉からの展望は誕生当時から人気があり、圧巻は振子傾斜中の走行シーンでこのために「人」が居ることも珍しくなかった。残念ながら2010年の踏切事故を切っ掛けに立入禁止になったが、衝突リスクの低い後部からの展望は再解放して欲しいもの。安全と眺望サービスとのバランス、痛し痒し。
面長フェイスのパイオニア、キハ281系。
貫通路へのアプローチ。












【スポンサーリンク】








2020年2月21日金曜日

ビーム光線

 ビーム光線が登場するのは特撮ヒーローやアニメーションに限らない。30秒のバルブ撮影が創り出すSHOW TIME。
むせる。丑三つ時の築港詣で。
【スポンサーリンク】

2020年2月20日木曜日

鏡花水月

汽車は出て行く煙は残る・・・残る煙に泡沫の夢。 
消える煙に思いをはせる。

【スポンサーリンク】

2020年2月19日水曜日

5対88。

 今回の作品は東京~鹿島神宮間を結んでいた特急「あやめ」。1975年に新設され最盛期は5往復運行されていたが、定期列車としては2015年に廃止、現在ではアヤメ祭りに合わせた臨時列車にその愛称が残るだけになっている。列車廃止に至る決定的な背景には高速バス「かしま」号の存在がある。1989年6往復で誕生したが、翌年には18往復へ増便された段階で「あやめ」との勝敗は決していた。現在「かしま」号は88往復までに成長、JRバス関東他3社で共同運行がなされている。
「あやめ」が6両モノクラス編成になったのは1985年から。
          
【スポンサーリンク】

2020年2月18日火曜日

二兎を追うものは・・・。

今回の作品?は中途半端な一枚。鐘を鳴らそうとする子供と記念撮影の女性、どちらを主題にするか瞬時に決められなかったことが原因だ。スナップは一瞬の判断が成否を決める。今同じ状況だとしたらどうだろう。迷いは禁物だが、果たして一兎を追えるだろうか。
SL運行に際して設置された「湿原の鐘」。釧路駅3番線にある。
【スポンサーリンク】

2020年2月17日月曜日

今春、八高線が熱い。

 4月1日~6月30日まで開催される群馬デスティネーションキャンペーン。その概要がPRされるなか注目を浴びそうなイベントが八高線での「リゾートしらかみ」と25年ぶりとなる蒸機列車運行だろう。JR五能線をメインとする「リゾートしらかみ」は4月11日に高麗川~高崎間を蒸機列車は5月24日に寄居~高崎間をSL&DL八高号として運転される。いずれも1日限りの団体列車としての運行なので沿線には多くのギャラリーが集まることが予想されるが「25年前」と同じ轍を踏まないようにしたいもの。さてどうなるか。ファンのマナーが問われるイベントになるだろう。
八高線はD51498号機が現役最後の運行を行った路線。
初代リゾートしがらみ「ブナ」編成。


【スポンサーリンク】

2020年2月16日日曜日

しらはまかいすいよくじょうまえ 

 今回の作品は2008年3月末廃線となった島原鉄道南目線「白浜海水浴場前」駅。2006年環境省選定の「快水浴場百選」のひとつ長崎県南島原市の白浜海水浴場の最寄り駅だった。1932年開業(1973年に再開業)した歴史ある駅がタラコ色の気動車と共に役目を終える前の記録。廃線後、線路は撤去されたがプラットホームは今も残っているという。
「百選」効果に恵まれなかった駅
          
【スポンサーリンク】

2020年2月15日土曜日

「赤・青」共存

 JR京葉線のラインカラーはワインレッド。国鉄時代の色名称の赤14号が京葉線に初めて登場したのは1990年東京駅延伸による全線開通時に投入されたステンレスの205系の帯に配されてから。以来同線のラインカラーとして定着しているが、西船橋~千葉みなと間の第一期開業から使用されていた鋼製車(103系、201系)はスカイブルー(青22号)のままで残置された。この「赤・青」共存は2009年、201系がE233系に置き換えられるまで続き、4+6両編成に分割可能な103系&201系は外房・東金両線への分割・併合運用をメインに充当されている。当時103系のワインレッド色への変更も検討されたというが、後年JR西日本 播但線に誕生したワインレッド色車両を見る限り、京葉線で見送った判断は正しかったようだ。
赤14号帯では2番目になる205系、先駆車は121系だった。
201系は元総武、中央緩行線から転属車










  



【スポンサーリンク】

2020年2月14日金曜日

記憶に残る色

小湊鉄道を見て懐かしさを感じるオールドファンにとって、その記憶を呼び起こす一端にそのカラーリングが関係しているのかもしれない。京成グループの鉄道会社でもある関東鉄道、小湊鉄道の車両には昔、京成3000形の赤電カラーをベースにした統一色が施されていた。その名残が今の小湊鉄道カラーという訳だ。どうやら、この沿線には昭和へのノスタルジーが潜んでいるようだ。       
ツートンカラー
京成赤電カラー。














2020年2月13日木曜日

只見線のキハ40

 既報のとおりキハE120形の転入が進んでいるJR只見線。現在分断されている会津川口~只見を境に会津若松~会津川口間は郡山総合車両センター、只見~小出間は新津運輸区それぞれのキハ40形によって運行されている。車両の変化が乏しい中、粛々と体質改善も進められ、長らく非冷房だった車両もその後他地区からの転入車により2015年に冷房化100%を達成している。かつて在来車を置き換えるべく投入されたキハ40が今度は後継車に道を譲りひっそりと消えていく。この道はいつか来た道、サヨナラはいわない。これが定めというもの。
会津川口駅での並び。全線復旧の際、キハ40は残っているだろうか。

【スポンサーリンク】

2020年2月12日水曜日

異質を活かす。

 国鉄119系電車は、通勤形105系をベースに飯田線特有の路線条件に対応した設計がなされた「特定路線」車両。通勤形に近郊形(セミクロスシート&車内トイレ)の特徴を併せ持った電動車一両で運行可能な仕様は、駅間距離が短くかつ勾配区間が多く存在する飯田線に合わせ高速性能より加速性能を重視していたため、国鉄末期「するがシャトル」として東海道線に転じた際は、不向きな高速運転に早期撤退を余儀なくされている。民営化後は再び活躍の場を飯田線に戻した119系に大きな転換期が訪れたのは「えちぜん鉄道」への譲渡で、ワンマン運転対応車の制御システムを抵抗制御からVVVF化した上2014年までに12両が転じている。国鉄では特異な存在だった119系、その第二ステージは今も継続中だ。
末尾「9」が付番された横軽非協調運転車は159系以来の119系。
【スポンサーリンク】

2020年2月11日火曜日

いい線いってる?

今日のスナップのキモは二つの「14日」。時節柄仕方がないとしても、マスク越しが少し切ない。
鬼怒川、日光方面への特急もお願いします。
             

バレンタインセール
急行に乗ってスタンプラリー?

大樹、寝付く


【スポンサーリンク】

2020年2月10日月曜日

3月8日ラストラン

 JR東海のPRによると3月8日臨時「のぞみ315号」をもって東海道新幹線から700系車両が引退するとのこと。定期運用からは既に退いているのでこれがラストランとなる。先頭部には歴代の引退車両同様に惜別ヘッドマークが貼られるというが、700系で印象に残る装飾としては2003年品川駅開業から2005年日本国際博覧会まで先頭車に張られた「AMBITIOUS JAPAN!」がある。当時は、長々と張られていたのに閉口して全く撮影しなかったのが今になって惜しまれるが、JR東海車の車内放送チャイムにはTOKIOの楽曲が使用されていることを踏まえると最終運行での「AMBITIOUS JAPAN!」再現を期待したいもの。さてどうなるか。華があった500系に比べ、いぶし銀的存在だった700系の晴れ姿も悪くない。
ピカピカの車体は検査明けの証し。700系が活躍したのは約20年間。


【スポンサーリンク】

2020年2月9日日曜日

二つの七尾線

 今回の作品は平成3年(1991)2月、JR七尾線を行く「冬の北陸 ときめき号」。この年の運行は、9月にJR七尾線が和倉温泉を境に経営分離され、和倉温泉~輪島間はのと鉄道七尾線へ移管されることから両区間を跨ぐ最後の蒸機列車となった。分離した二つの七尾線の明暗が別れたのはその後で、JR側は電化によって大阪、名古屋からの特急が乗り入れる一方、のと鉄道側では路線が穴水までに短縮されてしまった。幸いな事に「ときめき号」で注目を浴びた風光明媚な景色はのと鉄道側にある。北陸新幹線開業後導入された、のと鉄道の観光列車「のと里山里海」号には「ときめき号」のコンセプトが引き継がれているようだ。
後ろ向き重連がレアだった「ときめき号」
【スポンサーリンク】


2020年2月8日土曜日

「28」通し。

 2月8日に因んで今回はキハ28急行「ときわ・奥久慈」。キハ28を中心とした編成は昭和59(1984)年ダイヤ改正で10両に減車されたが、常磐線が平坦路線ということや列車種別が停車駅の少ない急行ということもあって「足手まとい」にはならなかったようだ。「ときわ・奥久慈」の廃止後もこのキハ28編成は、つくば万博「エキスポライナー」運用の一員として残留、最後の足跡を残した後、廃車あるいは他地区へ転属している。
10両中9両がキハ28、キロ28で組成された「ときわ・奥久慈」。
【スポンサーリンク】

2020年2月7日金曜日

鹿の道

 今回は、今月運行中の釧網本線SL冬の湿原号のビューポイントのひとつサルルン展望台先の「三角点」での作品。ここでは蒸機列車を強調するため煙の背景に樹を入れる構図が収まりが良いポイント。この場所へのアプローチは駐車スペースからの遊歩道経由が一般的だが、びっくりしたのは斜面を登ってくる地元の方を発見したときで、聞くと鹿が行き来する獣道を歩いてきたという。勾配が緩く、最短ルートである鹿の道。モノは試しに同行させてもらうと、いとも簡単に下りられたことも驚きだった。この三角点でのエピソードは今でも飲み会でのネタになる。
釧路湿原は国立公園、許可無き樹木の伐採はご法度。
【スポンサーリンク】

2020年2月6日木曜日

首を傾げる

 平成29年11月のJIS規格の改正によって「i」のピクトグラムは有人、無人を問わず「案内」を表すことになったという。昨年12月高架ホームになった新京成線 新鎌ヶ谷駅に設けられた案内板にも「i」マークが使用されているが、首を傾げなければ読めない「Line Guide & Timetable」が気になった。デザインなのかインフォメーションなのか、今ひとつわからない。このような表示にこそピクトグラムが欲しいところ。どうもホーム上のベンチ共々方向性は試行錯誤中のようだ。
階段向いて座りたいか・・・。

【スポンサーリンク】

2020年2月5日水曜日

「ららぽーと」の夢空間

 平成20年(2008年)に営業運転を終了した夢空間車両。その中の「ダイニングカー」オシ25形、「ラウンジカー」オハフ25形はショッピングセンター「ららぽーと新三郷」にて展示されている。共に屋外展示なので車体の状態が懸念されるが、ラウンジカーは日中のみ休憩スペースとして利用可能で’90年代を偲ぶことができる。夢空間車両のコンセプトは「車両の形をした建築物」。その保存にモニュメント以上の価値があると考えるのは私だけだろうか。
オハフ25形外観
        
ラウンジカーの内装は松屋百貨店が担当


推進運転用のワイパーは撤去されたオシ25形
オシ25形外観(2014年時点)
新三郷駅、このエリアは元武蔵野操車場。

【スポンサーリンク】

2020年2月4日火曜日

ブルトレ少年の記録(14)

70cmの幅広B寝台となった14系以降は「ニュー・ブルートレイン」とも称され、好評のうちに増備が進み「ハネ(羽)を伸ばす」こととなっていったが、その中で陰りが見えてきたのが食堂車。製造は14系オシ14は14両、24系オシ24では5両に留まっているのは新幹線博多開業による需要の変化を前提にしており、食堂営業が東京発ブルトレのみになった昭和50年以降の車両転配は改造によってまかなわれた。具体的には14系オシ14から5両が24系オシ24 100番台へ改造、既製の5両と合わせて「富士」「はやぶさ」「(浜田)出雲」「(博多)あさかぜ」運用に充当されている。今回の作例はその2区分のオシ24形。
外観上、両車を区別するポイントは車端の手すりの長さと知ったのは「少年+20年」の頃だ。#ブルトレ少年
14系改造のオシ24 100番台。民営化後はJR九州に継承された。
       
国鉄末期「グレードアップ改造」を受けたのが0番台。現在保留車ながらも701号車がJR東日本に残留している。
【スポンサーリンク】

2020年2月3日月曜日

ヘッドマーク付急行「利尻」

札幌~稚内間を結んだ「利尻」は昭和33年に夜行準急として運行開始以来、急行、特急に格上げされ平成20年まで運行されていた名門列車。急行時代の晩年にディーゼル列車化されるまでは客車列車だった中、民営化後は牽引機関車にヘッドマークが装着され連なる14系客車共々雰囲気は既に「特急」の貫禄が漂っていた。当時は網走行「大雪」、釧路行「まりも」、青森行「はまなす」の夜行急行も健在だった頃。全て廃止となった現在との違いには驚かされる。
平成元年の「利尻」、ED76が牽引していた時代。
【スポンサーリンク】

2020年2月2日日曜日

冬青空

 空気の澄んだ日の冬空は「蒼」が美しい。冬の季語の「冬青空」に相応しい穏やかな雪晴れの下、D51は定刻通り通過。「よし、OK!」手応えは十分だった。
このアングルでは山の麓にある台形状のリゾートホテルをどう処理するかがポイント。
【スポンサーリンク】

2020年2月1日土曜日

そこにあるからさ。

 あるべきところに有るか無いかで一喜一憂するのは旅行者ならではの見方と思っていたが、今年の雪不足はゲレンデのみならず雪解け水を必要とする春の作付けにも影響を及ぼすのではと心配になってくる。杞憂であって欲しいことを願うが、雪のない冬景色を目の前にして「一憂」する自分は管見の域に留まっているのかもしれない。なぜそこに行くのか、そこにあるからさ。
「そこに雪があるからさ」という口実で”90年代通っていた磐越西線。
        


【スポンサーリンク】

ブログ アーカイブ