国鉄時代、展望車復活の切っ掛けを作ったのが「ナコ座」こと名古屋鉄道管理局のお座敷客車。1983年に12系座席車をお座敷改造した際、両端の緩急車2両を往年の特急「つばめ」「はと」の1等展望車を模したオープンデッキの開放式展望車にしたものだ。展望車としては1982年に大井川鉄道で誕生したスイテ82形の後塵を拝したが、国鉄での展望車は久方ぶりで各方面から注目された結果、密閉構造の展望室を備えた欧風客車、お座敷客車の誕生を促し、更には国鉄最後の日を前に「本物の展望車」マイテ49形の本線復帰へと繋がった。
民営化後、JR東海に継承された「ナコ座」がその役目を終えたのは1999年、因みにこの年に誕生した寝台特急「カシオペア」のラウンジカー、カシオペアスィートの展望スペースには「ナコ座」での展望スペースのあり方が活かされている。地味ながらも確固たるコンセプトは、後にまで大きな影響を与えるようだ。
編成愛称がなかったことからファンからは「ナコ座」と親しまれた。 (カメラ CANON NewF-1、フィルム フジクローム RFP) |
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