昭和57年まで常磐線には朝、昼、夕と上野〜平(現いわき)、仙台を結ぶ「普通客車列車」が走っていた。首都圏の重通勤路線でもある常磐線に客車列車が残っていた大きな理由が荷物、郵便輸送でファンからみると都市部を行く荷物車、郵便車を連ねた長大編成は圧巻だったが、利用客からするとアナクロニズムな「垢抜けしない常磐線」の象徴でもあった。運用的に興味深かったことはこの客車編成は、高崎線~信越本線経由で新潟まで行く広域運用も受け持っていた事。国鉄時代の車輌運行は限られた車輌を有効活用するためシステマティックなものだった反面、現状に即した臨機応変さは欠けていた。ラッシュ時ではなかったにしろ重通勤路線を行く普通客車列車が消えた昭和57年は東北新幹線が大宮開業した年、国鉄が大きく変わる節目だった。
イベントではない。これが日常の普通列車。 (カメラ NewF-1、フィルム フジクローム RD) |
郵便車、荷物車を連結した上り列車は上野駅地平ホームに到着した。 |
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