非電化区間に「特急」を普及させた国鉄80系気動車、その立役者は先頭車キハ82形となるだろう。1960年「はつかり」用に誕生したボンネット形キハ81の製造が6両に止まったのに対して、翌1961年から全110両製造されたキハ82形は、外観的には貫通構造になったことが大きな特徴で、制約の中でも乗務員室への「曲線ガラス」の採用などによって「特急らしい」優美さを醸しだしていた。
さらに機能面で優れていたのは、食堂車を境に車両方向が逆転していた80系気動車の編成構造に対して、車両方向を問わずどの車種とも連結可能だったこと。これによって基本編成7両に多様な増結を可能としたことは大きかった。 反面、車内アコモデーションは「こだま形」系電車151系に比べ簡素化されてはいたが、運行開始後は「冷房完備の特急」は好評を持って迎えられ、後の「特急時代」の先駆けなった列車の顔こそがキハ82だった。 引退後は北海道、本州に数両が保存され博物館関連では、JR東海「リニア・鉄道館」にはキハ82、JR西日本「京都鉄道博物館」ではキハ81が残されている。
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