2021年3月6日土曜日

「347M」のメモリー

新型コロナウイルス感染症の陰でひっそり消えていった「ムーンライトながら」のルーツは東海道線を全線走破した夜行普通143列車。その後、急行「東海」用153系電車によって143Mへ電車化された際、運転区間が東京~大垣間に改められたのは同編成が大垣電車区所属だったため車両を入出区させる役割も担っていたことによるものだ。その大垣夜行が注目されたのは昭和40年代、リクライニングシート+冷房完備の急行グリーン車に普通列車用グリーン料金で乗車できた事。当時急行の普通車はボックスシート+非冷房が主流だった時代、後の青春18きっぷユーザーを除く「大垣夜行」乗客はグリーン車から列をなすのが日常の光景になっていった。「大垣夜行」は世代を超えた共通話題。皆さんの想い出は列車番号143M、347M、345M、375Mのいずれの時代に残っているだろうか。    
国鉄急行はグリーン車と普通車の差が大きい「格差」列車の側面があった。

【スポンサーリンク】

0 件のコメント:

ブログ アーカイブ